2014年5月11日土曜日、アランフォーダム自筆記載アーカイブス。

お互いに仲良く健やかに暮らしたいものだが。お互いの主張が異なる事で、口喧嘩や言い争いが耐えない事で、お互いの人間関係が疑懼釈する。お互いの置かれている立場が幾分異なっており、上下関係の甲乙が略固定されている。自分が相手に対して下の立場であった為に、相手が考案しているアイデアを、大半は受け入れるしか手立てが無かった。相手が常日頃から思い思索している趣旨に置いて、全てが理に叶ってはおらず、思うように事が進行しなかった事も数多かった。我々グループ全体の失敗の要因を、上役・部下だけに責任言及するよりも、全体責任として真摯に受け止め、次にできる応急処置を考えるべきだ。企業業績が予想を遥かに下回る事で、何が原因で業績が悪化したのかを考える。複数の仇・粗・斑が折り重ね合う事で、業績成果向上の為に必然的概念が、成り立たなくなる訳だが。利益を上げる為に必要経費が嵩む事で、売れた数が多い分、反比例するかのように赤字が厖大に膨れ上がる。数多くの物を製造して売った際に、重要と供給の相対関係を、客観的に把握理解していないと、今後の業績予測が不透明感極まりなくなる。世俗社会内で、物を必然的に要求している顧客層を分析解明した場合、実用性・利便性を最も重要視されている。物を使用せず手作業で執り行った場合、不便さの為に相当な労力と、無駄な時間のロスが莫大に係り、便利で合理的にスピーディーにやり遂げる事が難しい。現実に存在している事で、一部の人達に重宝がられていて、需要使用頻度が猛烈に高い値を示している。上の立場の人が言うには、「製造作業工程で一部が採算度外視だったとしても、他の顧客の人達が手堅く購入して貰えるならば、我々は製造・販売する事で、社会的使命感を果たしている」と、切実に訴えていたのだ。物作りの厳しさ・難しさ・面白さを、十分認識していたならば、決して業務に飽きる事は無いと思った訳だが。理想と現実の違いには大きな格差が生じており、全てが己の思うように事が進行しなくて当たり前であると言う、割り切りのような妥協が必然である。物に対して愛着を抱く事が出来たならば、物と人間が関わって行く事に、大変深い意味合いが存在している事実に気づく。物に対して意思・感情・偉功が存在すると言うならば、道具を100%活かし切る為に必要な事は、一体何があるのだろうかと思うのだが。物の意思を我々が客観的に受け入れられる心の余裕があるならば、道具の意思を無視したような酷使や、遣い潰すような過酷な利用は絶対に行わないだろう。道具や物の概念を客観的に窺った際に、存在価値と使用価値が概要されている事実を突き止める。宝飾品は物の存在価値を向上させる物だが。宝飾品でも時計やバック等は、使用頻度に応じて使用価値の賛辞が追求される。物や道具の中でプロが仕事上使用する商品の場合、別な項目で厳しい基準値が定められている。仕事を円滑・順調に執り行う場合、プロスペックの物理特性向上が、キーワードとなっている。プロの仕事場へ道具を納品した際、動作特性基準が猛烈に高く、ヘビーデューティー的条件を満たさないと、納品する事の意味が無いと言われている。我々が顧客のプロの仕事上で見た光景は、許されない妥協を徹底的に排除しており、一寸の値の狂いさえも見逃されてはいない。顧客が道具を使用している場所を見た人達は、厳格なる緊張感が漲っており、仕事場内で休憩を取らずに、別の休憩室が用意されている徹底振りである。道具を大切に使用していると同様に、数多くの作業工程内で、違った道具を巧みに使用する事で、仕事の業績をアップさせている。顧客の仕事場へ訪問して数多くの習得があり、数多くの人達と互いに助け合う事で、一つの調和を描いている事実に触れる事ができた。我々全ての世俗社会内は、皆他力で成り立っている事実を確信された訳だが。物作りで得られた趣旨・意味は猛烈に大きいものであり、結果の善し悪しに左右される前に、やるべき学ぶべきものがある。我々は物事に興じた際に失敗する事を、最も恐れる性格の生き物なのだが。たとえ失敗したとしても、失敗の経験をする事により、他の数多くの人達の優しさ・思いやり・労いの言葉を、実感する事ができた。他人の優しさの情感に直に触れ合える事で、我々はたとえ弱者だったとしても、数多くの人達と支え守り合いながら、この世を見据えながら生き続けている。失敗と成功を繰り返す事で、心理的成長を成し遂げながら、歓喜なる人生観を見出す。世俗社会内の全ての人間達・全ての動物達は、何の隔たりも無く恩恵を平等に分かち合っているならば、お互いに幸福のお裾分けする事で、全てが丸く修まる。全ての人間達の幸福を肖りたいと言うならば、道徳慈善・宗教に思いを馳せるべきであろう。我々の身近な場所で生命の尊さの精神が、根強く反映されている。誕生して生き続けて大往生を全うする事は、大難も引き連れて来る。我々の寿命は限られており、幾ら長寿を全うしたいと心に思っていたとしても、寿命が尽きた際には天上界・御浄土へ還る公算となる。たとえ自分の寿命が短かったとしても、高密度な毎日を過ごしていると思えば、何も理不尽さは感じられない。