自分が行動力・実力が無いのは解っていた事なのだが。単独の力・能力で、他人の心を動かす事が困難である。相手の意思・意向を忠実に汲み取る事は、自分と他人は違ってる趣旨もある事実を、概ね認めざろう得ない用件が必然的となる。今迄周囲の人間関係の在り方に置いて、相当悩まされて来た訳だが。相手の感傷的な心の傷みを突き付けられる事で、自分にはどうする事もできないもどかしさに、苛立ちと不安を感じた。相手が自力を駆使して迄も、自分の気持ちを変化させようと企てる。周囲から大きな関心と表面的意表を買うように、伊達を担ぎながら偉そうな口を叩く口調が、大変醜く思えて来る。言葉遣いと態度を窺ってみると、ケバケバした様子で己の偉さを誇示する訳だが。相手と自分の思想・考え方が異なっていて当然であると自負していたとしても、理想と現実の違いの大きなギャップを、埋め合わされないままに、現状維持させる訳だが。相手は文句を言いたいのが本音だろうが、何処の誰も耳を傾けてくれない。今の現実を見据えながら、今後の未来への道のりを歩んで行く。今後の未来縮図が不透明感極まりなく、人の思想・考え方に関しても、多種多様化して分散して浸透しており、真実の概念・概要が固定化されてはいない。物事の事実関係を有耶無耶な形で、放置・黙認する事が絶えず続けられて来た訳だが。事実関係を客観的に把握理解させる事で、自分と周囲の相手の襤褸・粗・仇が剥き出しに曝される要素も当然有りうる。失敗した事を悔やむ事が数多い訳だが。失敗に至った事により、別の方面で数多く学んだ要素も数多い。失敗が生じた為に重要な趣旨を失う事も多い訳だが。失った事の後悔を挽回しようとして、全く新しい事柄に挑戦したとしても、自分自身のポリシー・信念と適合されていなかった場合、大いに矛盾を感じてしまう。公の一般世間で通称化されている趣旨が、常識・当り前であると無理矢理に信じ合える人間関係を、強制・強要するのが一般社会論であるならば、自分は敬遠して避け続ける事だろう。スマホを使用する事で、膨大な使用料金が毎月掛かる位だったならば、スマホ購入を敬遠する選択肢もあって当然である。今現在の幸福論を考えた際、普通の普段通りの実生活を執り行える事が、第一条件である。月並みで平凡な実生活を営んでいたとしても、手に届く範囲内の幸福は、たとえ素朴だったとしても、小さな喜びが大きく感じる事で、心の慰め憩いになる筈だ。他人を羨み妬んだとしても、自分は決して他人の真似事はしたくは無い。自分が他人になる事を目指した所で、数多くの重要な趣旨を見失い、膨大で無駄な時間が潰れる。我々が決して忘れてはならない事は、合理的理屈を駆使して造作された理想・完璧を、追求して縋り求めてはならない。理想論追求による心理的落とし穴に関して、表面的に分析解明されてはいるのだが。何処の誰も本音を吐こうとはしない。我々の実生活内で、完璧理想を掲げられている要因の裏では、人間が利己的な理由で目標値を掲げている現状がある。今現在の現実の理想値を掲げた側は、一切直視して受け入れようとはせず、無理矢理に強制・強要して迄も、完璧なる理想値の追求に拘る。我々人一人分の力・能力は大変非力であり、数多くの人達と助け合いながら、守り支え合って生き続けている。人間や他の動物達にとって、完璧なる理想を演じ続ける事を、同じ非力な人間が指示・命令する事は、道義上決して許されてはおらず、矛盾と欺瞞に満ちている。我々が理想目標値の概念に、相当拘りを持っている現実があり、物事を利己的に振り回しているだけの話であろう。完璧なる理想論が尽く崩御した背景には、他の趣旨・物事に対して、排他主義を用いて同化・統合化・統一化させた為に、分離・分担してきめ細かく執り行う事を、省略した為による仇である。完璧なる理想を追い求める為に、他の小さな趣旨を犠牲にしたとしても、世論の襲来は凄まじい勢いで推移しており、一個人では対処する事ができない。建前上に完璧なる理想値を掲げて、通常通りの目標に達していれば、尚良しであると言う企業・教育機関も一部で存在しており、我々は注目を集めている。