「暑い」です。毎年、少しずつ温度が上昇していることに気が付きました。アラフォーなので、十数年単位で振り返ってみると、TVから「30度を超える真夏日になるでしょう」が聞こえる、最近は最高気温37度という表示の天気予報がスマホに表示されるのを見るようになりました。TVからスマホ視聴時間へ移ったのですが、こうしたライフスタイルの微々たる変化と同じように上昇している気温は恐怖だなと思います。ゆっくりだと気が付かない。ヨーロッパの気温も大分ひどいと思いますが、山火事の映像もよく放映されていたような気がします。熱波で大陸の山火事がひどいということで、私も渓流や山林の滝のある避暑地がいいなと思ったりします。滝の周辺も暑かったりするんですか。「毎年の」という形容がつく点がきになりますよね。夏は毎年あるので、夏に思うことでいいわけですが、「毎年の」であると「例年」というところではないかと思います、特定の夏である場合は、昨年のであるとか今年の夏はとしますが、毎年の夏は違和感でした。今年の夏はツモリチサトのハンカチのデザインがジョージアオキーフの骨と🌸のデザイン(女性の陰部)に似ていることに気が付きました。10年くらい前に買ったものなので、よくぞ気が付かなかったなと思いますが、オキーフの動物の骨のマークと丸い花弁の🌸が描かれているんです。デザインの盗用です。笑。どういう思いでツモリチサトのハンカチにオキーフ風になったのか、幾何学的配置でモチーフが配置されたデザインになってしまうと気が付かないところが不思議です。ツモリチサトのサイトみますと、🌪★☾みたいな形象文字がでますが、仙厓義梵の〇△□風で、膝でいうと🌙🌲💧みたいです。((最近膝がみしみし音がなるような軋みを感じているため、とっさに膝だな・・・水がやや違うのですが、膝の水の量が原因できしむということがとてもこの漢字に表せすぎていて、嫌になります。リンパの流れが悪く、膝の後ろから水分量を調整できない悩みなんですが、これが浮腫みでなんで🌙はわかりませんが、アラビアンナイトですかねー(デザインのほうはアラビアのアッパーを意識されてでしょうか)、樹木は水脈というか樹木みたいな毛細血管の調子がややわかり。))
暑いので何とも言えない女性柄のハンカチで💦を抑えながら、女性解放運動を思う前に地球の異常気象が立ちはだかっているんだなと感じる今年のアラフォーの夏です。オキーフもオキーフですが、マルセル・デュシャンの泉だってどうかしているなと思うので、でも網膜芸術というものを超えている点がやや商業主義的なマーケティングの基礎を築いたとも思えていて、純粋想起が購買力へ影響を与えることは言うまでもないですが、写実を超えた脳裏といったものへのアクセスが人間の感情や無意識、観念といった、禍々しくは女の想念といったところへ行きつくともはや行動心理というものが自己意識をはるかに超えた超越的何ものかを感じずにはいられない、自己卑下に陥るような類似性の埋没化は恐怖に相違ないとはいえて、既製品は世に出回るので、一種簡単に実は同じ購買履歴で集合させると気持ち悪いなといろいろとAIは恐怖です。同じ服を着た、同じ背格好の性別違いが同じ居住区で、性差なく自己を対象として視るみたいな実験がしたい方が世の中いる気がすると気持ち悪いです。同じ背格好でも大分気持ち悪いんですが、洋服が同じだとより一層恐怖だろうと思う・・・相違、選択が人間らしいの一助だということは明白なわけなので、こうした点を差し引いた状態が格差であるとか認識するわけです。ようやく、貧困というものの高度化が始まったのかと思いだし、より気持ち悪さが高まりつつあるので、一層の買わせる努力が必要でこの恐怖から逃れるための人生設計が不毛だとも思え、温暖化が対応できればいいなとクーラーを前に思えていることが幸福追求権なのを実感します。
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意識現象は初めより無意義なる要素の結合ではなくして、統一せる一活動である。思惟、想像、意思の作用よりその統一的活動を除去したならば、これらの現象は消滅するのである。これらの作用については、いかにして起こるかというよりも、いかに考え、いかに想像し、いかになすべきかを論ずるのが、第一の問題である。ここにおいて論理、審美、倫理の研究が起こってくる。真善美という目的観念が生じる。-善の研究-西田幾多郎
今年はチューリップNuanceです♡♡♡
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