#何度も読んだ絵本 | gkmirage332のブログ

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何度も読んだ絵本

人は最善の知識に従って努力したか、また多くのもっともすぐれた頭脳は世界をよりよくするために絶え間なく働いたか、すべての努力と希望はより多くの自由、正義、繁栄の方向へ向けられたか。

 

自由と繁栄でないなら、束縛と悲惨であるなら、邪悪な諸力が我々の意向を挫折させ、われわれの目的としているものとは甚だしく異なっているとすれば、われわれの直面するものが自由と繁栄ではなくて、束縛と悲惨であるならば、邪悪な諸力が我々の意向を挫折させ、我々がある悪い力(この悪い力が征服されなければ、より良き道を回復することはできない)の犠牲になっているというのは明らかなことではないか。われわれがどのような名前をもって犯罪容疑者を呼ぼうとも、すなわちそれが悪意の資本家であろうと特定の国民への邪悪な精神であろうと、我々の祖先の愚かさであろうとまた我々が半世紀にわたって闘ってきたがまだ完全に打倒されない社会組織であろうとも、そうじてわれわれは少なくとも最近まで一つのことについて確信を持っていた。すなわち前世代を通じて大部分の善意の人々が共通に持ち、社会生活の主な変化を決定した指導的な考えが誤りではなかったということである。われわれは現在の文明の危機に関する説明を、ただ一つのことを除けば受け入れることができる。一つの点というのは、世界の現状が我々自身の純然たる錯誤の結果であること、およびある最も優れた理解の適用が明らかに我々の期待したものとまったく異なる結果を伴うことである。Hayek

 

ドーナツの穴を空白として捉えるか、あるいは存在として捉えるかはあくまで形而上的な問題であって、それはドーナツの味が少しなりとも変るわけではないのだ。

講談社文庫「羊をめぐる冒険 上」101ページ

 

人生というものは星や岩や炭素原子と同じように、ただそこに存在するというだけのことであって、意味というものは持ち合わせていない。我々の生の目的は、地球上で平和に共生する人間の数を最大にするということではもちろんないし、どんな状況であれ、数が多ければ多いほどいいというものでもない。無宗教であっても、少なくとも宗教をもっている人々と同じくらいには、欲望を制御できる。

 Jared Mason Diamond

 

よくとは言えないけれども、そして必ずしも絵が入っていないけれども、以前読んだ本は抜粋してあれば、読み返すことはあります。ドーナッツの形而上的なエピソードはブラックホールであるとか、ドーナッツの穴ってものが部分の切り取りで空間かのようで、見方の違いだとウォーリーを探せのような視点や焦点の違いが見えるを見えないとも言ったりすることの表現かなと思います。一種、ドーナッツの形上が物理的にもエネルギー的にも見逃しがたい物々しさを感じさせるのって、感情論でいうところの、食べた時の崩壊感、穴が何かの切り取りではなく連続性の罠のように、分離された穴の外とその先が隔たるものの崩壊(食べる)融解してしまうという障壁というような何か壁といった隔たるものが分離していたことが崩壊によって、消失してしまうような悲劇です。分け隔て感のある形状です。テトラポットのような外に向かって力の分散を感じる形状も似ています。集合したエネルギーがまるでなかったかのように感じる、罠のように。テトラポットを組み合わせた空間はエネルギーを分散消失させます。立体性を帯びるところが不思議だということだと思うんですが、以前スワークルという商品が某珈琲チェーン店で出されていて、ひも理論の連想で、攪拌工程がカップの底までのひもみたいでスワークルといわれると物理かなと思ったりして、切り取った空間みたいな見え方が諸所で見え方の違いといった認知的格差があります。

 

読み返して感じることの差が生じるのは時間の経過であって、個々人の歴史みたいなものなんですけど、昔と見方が変わることを当たり前に受け入れることは老化って何か個々人の内部的進化、成長、斟酌などなど。子供みたいですが。深淵といった深さではなくて、ただ老いが受け入れさせていく角度、穿っただとか表現があいまいになりますけど。そういう不可思議さが年齢重ねると出てきますね。ダリの絵画にあるような脳裏に引き出しみたいなものがあって、時々取り出したくなる、そういうエイジング感じますよね。読書って。

 

 

 

 

 

 

 

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