地元の坂シリーズについて | G.K.Maryanオフィシャルブログ『KEEP ON MOVIN DELUX RELUX BLOG』powered by アメブロ

地元の坂シリーズについて

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えーと夜中にいきなりだけど、北海道の街おこしというイベントをずーとやってるマイメンみやっちと久し振りに電話したら、あの地元の坂ってなんですか?って純粋に理解できてないらしく、きかれたので説明したけど、忘れそうなので、今いっときます。 まず単純に地元に坂が多いということ、そして江戸時代より以前はここは山だった、もしくは森だった。城南地区じたい山ばっかしだったんじゃないかと思う。だって江戸の城下町って、人形町とか門前仲町とか皇居から東側がさかえてたと思うから。
このへんは、やっぱ品川宿があった海沿いだけさかえてたんじゃないかと。 その辺はもっとちゃんとディグらないと!たぶんもとは農家の村。土地もってる地主みたいのいるもん。どこもそうか。話がそれた。だから、話しを戻すと、俺はガキの頃、いまでもそうだけど、どこにいくにしても坂をおりてでかけて、帰りは登らないと帰って来れない。とくにチャリンコだと俺は前にも書いたけど、絶対チャリをこいで、降りて押したりせず、登ったという思い出と思い入れをもってこの地元の坂シリーズをやっています。
そして、あと言っておくと、崎中と台中と三中の3つの中学の学区内限定でやってます。
いろいろ詳しく説明できてよかった!だから地元の坂シリーズは今さらだけど、俺がチャリンコでかけのぼってるもしくは、かけおりてるイメージでご覧、お楽しみください。

ちなみにこの写真は浜松城の石垣。

もっとちなみに戸越から中延とおって南に、馬込のほうってまた山みたいにでこぼこしてて、その先の久が原ってUZIが言ってたけど、洪水がきても高台だから浸水しないんだって!だから高級住宅地なんだ!なるほど。