病気の背景にはいつも自分を罰している構造が隠れています。

世の中の大半の人間は、意識できている事が全てであるかのように生きておりますが、意識して病気になろうとする人間などいるのでしょうか?

人間誰しも嫌な事は嫌なはずです。

病気は人類が嫌っている最も代表的な状態です。

しかし最も嫌っているにも関わらず人間というのは病気について考えません。

人間という生物についても考えません。

この腐りきった停止思考が医者信仰へと導くのです。

医者はもちろんあらゆる治療家も、病気や人間に対して深い考察をしている者はほぼ存在しないと言えます。

彼らも信仰という面では一般人と本質的には同じであると考えます。

何かに執着し続ける限り、思想や思考の縛りを無くす事など到底不可能です。

現実を受け入れ直面する為には煩悩を捨て去る必要があります。

全ての執着から自分を解放した視点で考えれば、病気になっているという事は病気になる為に生きているという精神性があるという事です。

病気を治してはいけないという生き方を選び続ける精神性を持っているという事です。

ここで考えなくてはいけない重要な事は、まるで自分に罰を与えているかのような精神構造など、そもそも持つ必要がないという事です。

なぜ自らを罰するような生き方になってしまっているのか?

自らの生い立ちから根深く残る感情や闇深い精神性を探しに行ったとき、自らを罰する構造に気づく日が訪れると私は考えます...