状況記事の合間に、ちょこっとバス旅行の記事を。


今私は、赤穂の城前にいます。

今週一週間は遅まきの夏休みをいただいてるので、赤穂城跡めぐりツアーで締めくくることにしたわけ。






2枚目の地図の右上に、息継ぎの井戸 がありますが、例の松の廊下の一件の直後、江戸から4日かけて馬を駆った使者が、この井戸で一旦喉を潤して城の裏手の門から駆け込んで大石内蔵助に報告した、という井戸です。

赤穂市は平坦な城下町です。城も山城ではなく平坦なので、

だから私でもガイドさんについていけるかな?

とチャレンジしたのですが、


追手門をくぐって

  (場内から見たところ)



城の威光を示すという、石垣の鏡石(台形っぽいの)を触って、


番所の前を通ります。
ここは警備の人たちが詰めていた場所。

おお、空がきれい。


神社を背にして


次からの画像の
下侍の住居跡は16時まで見学できるとのことで、生活感あふれるどこやらなつかしい空間を楽しみます。








途中の大石内蔵助邸門前を過ぎたあたりから






脚が怪しくなって、それて、


東屋で一服。



その先の本丸城址あとや資料館を見たかったけど、

完全に脱落しました(笑)

逆行して大手門外へバックして、堀端の茶屋の緋毛氈で、堀を眺めながら最中で一服。

これがよかった〜(⁠*⁠´⁠ω⁠`⁠*⁠)

そうするうちに、落伍組が三々五々引き返して帰ってきて、お土産売り場は次第ににぎやかになりました。

結局最後までついていったのは半数強。
平坦だったけど、長胴中だったそうです。

あ、もう15枚超えたので画像貼り付けはできません。

赤穂城のような地方の小規模の大手門がいまだに残っているのは珍しいことのようで、そこはそれ、赤穂義士の功績というか。

この市には高いビルもなく、つまりはとても田舎で、ああ、浅野内匠頭はこんなところでの〜
んびりと育って、生き馬の目を抜く江戸へ行って目が回るような思いをして
あんなことやらかしたのね
それに内匠頭は性格も神経質で偏狭。ちょっと、なところがあったらしいし。

ま、私が東京好きなのは観光で行くからでして、もしもあの東京で慣れぬ第約仰せつかって放り込まれたら、目が回ってなにかやらかすに違いない。

と、私は同情もするけど、ちょっと辛辣な思いを抱いています。
家来はエライ思いをしましたもんね。

かたや吉良上野介は領民に慕われたいい領主だった(今でも領民の子孫たちはそう言っているそうな)とか。なのに忠臣蔵では何百年も、冬になると毎年悪役。
刷り込みってこわいわ〜。

ま、あれはひとつのエンターテイメントにすぎないから、そこまで考えないで楽しめばいいのかもだけれど

それに今、吉良上野介やあの一件への評価は見直されつつあるらしい。
どちらにしても真実は後世になって明らかになるかもだけど、

同じことは繰り返されてる昨今であります。

と、これは個人の感想です。

忠臣蔵ファンの方、ごめんなさい。