数年前・・・

実家の母が、父に感謝状を書いた。


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「お母さん、助けて! 」

と、涙をぽろぽろ流しながらお墓に手を合わせたときから

はや27年が過ぎました。

私は、がんにおかされていたのです。

小さい時は兄弟姉妹が多く、けっして大事に育ててもらった

おぼえがないのです。結婚しても、核家族ではありません。

お金持ちではないので、よく働き、心身ともにぼろぼろに

なりました。50年、長い年月でした。

今は娘夫婦と孫二人、二世帯住宅でそれぞれの生活を楽しんで

います。

私は体が弱いので、家事全部主人にしてもらっています。

感謝です。

やさしい主人と二人金婚式を迎えることができました。

これから体に気をつけて、残りの人生を仲良く生きたいと

思います。


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「面と向かって言えないので、書いた」

と、母は言った。

 私と妹は読んで顔を見合せ、にやにやした。

 何と感謝にあふれた、しおらしい文章。

ま、これはこれで母の本音にはちがいないが。

 その頃の母は、父に辛辣だった。

 自分自身の体が弱って、これまでのように動けないことに

いらだち、父によく当たっていた。

 人一倍元気で口下手な父は、

「あんたが、大将!!! 」

とか

「はいっ! 司令官」

とか呼んで母をまつりあげながら家事を引き受け世話をしている。

母は、言葉とは裏腹に、父がいなければ寂しがり、なにもできない。

 けれども、以前はそうではなかった。



 私が物心ついた頃・・・

 祖父が悲鳴を上げる。

「おーーーい、T子ーー、きてくれー」

朝顔の支柱に、蛇がからみついているのだ。

一目で状況を見て取った母が、火ばさみと十能を持って飛んで行き、

蛇にとどめをさし、川へ捨てに行く。

 実家は、以前田んぼだった土地を買い取って建てられたので、

最初の数年は、ひと夏に5~6匹、蛇が出た。

そのたび「お~~い、T子」という声は響き渡り、母が大活躍した。

 母だって、蛇は大嫌いだ。けれど、他に退治する人がなければ

しようがないではないか。他の人がもたつくのを見てイライラするより、

自分で片付けた方が気持ちいい。

 父もよく母を呼んでいた。

「お~~~い、T子~~」

風呂の木の蓋が壊れているのだ。

今度は、釘と金づちを持って、風呂場へ走る母。

 夕暮れ時、父が暗がりに坐っている。

帰宅した母が、電灯のひもを引っ張るが、つかない。ヒューズが飛んだのだ。

 母は屋根裏に上がって修理し、家中に光を取り戻す。

 母は、小柄で、器用で、働き者だった。