ベテラン漫画家の絵の変化について | 私たちを夢中にさせた漫画(あらふぃふ)

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大人になって、無性に過去の漫画が読みたくてしょうがなくなった。



子供のころに見た漫画家さんで

「ちょー絵がうまい!!」

と感動した方について、久しぶりにその方の最新の漫画を見たら






「・・・絵が、絵が・・・・劣化している・・・ORZ」




あ!間違った。

覚えたてのパソコン文字。



『ORZ』ではなく『orz』だね。

大文字でなく、小文字だね。




でも、あれ?なんかちっさくて感じがでない。


うーん うーん。??大きくならない。うーん・・・








・・・・というのはおいといて、


そう



なんかベテランの漫画家さんの絵が、その方の若いときの絵じゃなくなっていることがある。





で、ただ私が好きだった絵柄がそうじゃない絵柄になっただけであって




決して、劣化されたわけでもないときもある。




でもあきらかに手抜きに見えたり、斜めになっちゃってたり、することもある。





私が子供のころ好きだった20代、30代、40代だった漫画家さん。

私が50近くなった今、

60代、70代になられた漫画家さんの最新の絵が変わっちゃっていることに気が付くことがたまにある。





そんなに長く一線でいられること自体、素晴らしいことで貴重なことではあるが、

あまりの絵の変化にびっくりすることがある。





これは私以外の漫画ファンの方もよく感じることらしい。






その漫画ファンたちに「どうしてベテラン漫画家さんの絵が変わっちゃうものなのか?」ときくと



主な理由としては



●漫画家さんの方向性や嗜好の変化
●絵が洗練されたことによる変化

●加齢による劣化
●アシスタントが変わった



などが、その理由として、ファンの間では考えられているらしい。





まず、はじめの

作家さんの『方向性や嗜好の変化』はそりゃあるだろう。

そりゃそうだろう。どんどん新たな世界を切り開くことはあるだろう。

ガキ相手やしろうと相手じゃなくなることもあるだろう。

まあこれは納得だな。





次の

『絵が洗練された』というのは、どういうことかというと、


基本の画風は変わっていないのだが、やけにすっきりした絵になる。



若いころは、線がいっぱいあり、書きこんで、結果、派手だったり迫力が感じられる絵を描いていた。



しかしベテランになり、これしかないという線がみつかり、一本でばしっと決まるし、余計な線は余計なんで、

描かない。



絵がきれいになり、

洗練され、

結果、ちょっと空白が多かったりさみしい絵だと、われわれが感じてしまう・・・・・・・・というものだそうだ。





水島新司先生がインタビューかなんかでご自分の絵について

「最近、ちょっと絵がきれいになりすぎちゃって、どうかなあ?と思っている」みたいなことを数年前におしゃってたのを見たが。





次の『加齢による劣化』とはどういうことかというと



加齢による遠視、握力の低下、体力の低下により絵がうまく描けなくなっちゃうと、いうことらしい。

あるいは、体力の低下に伴う手抜きもあるかもしれない。


おもしろい話を作るという作業は、たぶん、年齢がいくほどよいものができるので、そっちのほうが大事になり、

老化による絵の劣化はほっておいてもさほど問題はないと考えられるのも、なんとなく納得がゆくような気もする。



いやー、漫画描くこともアスリートといっしょなんだね。

年齢による劣化ってあるんだ?

私、今までそんなこと思わなかった。



スポーツ力と違って、画力は一回、身についたらどんなに年とっても変わらないと思っていた。



高年齢のスポーツマンがよく言っている

「ベテランなので若いもんのようにパワーゲームはできないが、その分、技と脳みそで勝負します」ということか。


そうなのかー知らなかったー。





しかし昨年より、

今すでに老眼で、初めて絵の練習を始めた私にはやっとそれが実感としてわかった。







2、3年前から老眼と近眼のミックスで大変なのよ。


でも会社の仕事はダイジョブなので老眼=遠視の眼鏡は持っていなかった。



近眼眼鏡だけもっていて、息子のスポーツの試合観戦のときなどだけに使用していた。




常ひごろの仕事では、パソコンで文字をうったり、机の上で書類を作ったり、部下になんか話をするときには、その距離なら近眼も遠視も影響ないので裸眼で過ごしていた。


そうひごろの職場では近眼用も老眼用も眼鏡いらず。

(近眼眼鏡をして部下や同僚の顔を見たら、いつもきれいだと思っていた人の顔が実は意外に毛穴が多くて汚いのでがっかりしたりもするし)

(あっ、すいません!すいませんです!自分の顔が近眼眼鏡でみるともっともがっかりです。すいません)



そう、普段のデスクワークの仕事はぜんぜん眼鏡なしで平気なの。




ただし、大きい会議室での会議など、前のほうのボードやスクリーンに描かれた文字を読みながら、同時に手元の資料をみるときだけは別!


これが大変なのよ。




ボードのほうは、近眼の眼鏡をしないと絶対に見えないし、

その近眼の眼鏡をしたまま、ふと下を向いて手元の資料をみようとすると、

老眼によってまったく手元の文字が見えない。


なので、手元をみるときには、あわてて眼鏡をはずさないといけない。



大きい会議室での打ち合わせは、近眼眼鏡をかけたり、外したりですっごい忙しい。



これが超、めんどくさいんです。




でもまあ、会社の仕事は近眼眼鏡と裸眼のすばやい切り替えで対応できた。

老眼眼鏡(遠視)はいらなかった。





しかし、しかしですね、このたび、絵の練習をはじめたら、

「こりはやばい」。



絵を描くには、絶対に、老眼めがねが必要だとわかり、老眼めがねをう生まれて初めて購入しましたよ!

1か月前にね!お絵かきの練習のためにね!



仕事では相変わらず使用しないがね。




そっかー。

絵は脳みそだけでなく、肉体で描くもんなんだねーと納得だった。




肉体ということでいえば、

つけペンもそうだ。

つけペンの練習を少し前から初めて、私はつけペン描くのは本当に体力がいることがわかった。

太い線ひくのに手が疲れる。

線をひきやすいように紙の向きを変えるのが意外に疲れる。



6Bとか4Bの鉛筆で絵を描くのは柔らかいので肉体的衝撃が少ない。

(精神的にはつかれるが)

パソコン絵も柔らかくて肉体が楽。

でもつけぺんは、とっても肉体作業で疲れるものなんだと初めて気が付いたのです。




鉛筆で絵の練習するときは普段どおりの食生活だけど(2食アンド酒)

3、4時間、つけペンで描く絵の練習する日はおなかがすごくすいて4食食べちゃうし。