古代宗教における死の概念,現代における生の概念
破壊を司る神が言った
『私は今日,100人の人間を殺そう』
創造を司る神がこう言い返した
『それなら私は,今日100人の人間を生み出そう』
いきなり何言ってんだ?
頭オカシいんじゃねぇか?
って思った人,
そうじゃないんです笑
暇なんで,久しぶりに宗教学の勉強してたら
こんな一説が書いてありました
起源も何も解っていないが,
コレが紀元前の宗教における
“死”の概念が誕生した瞬間らしいです
なんかスゴくねぇ?
だって,当然文明が進んでない時代に
こんなロマンティックな解釈で死に向き合ってたんだゼ?
この現代にゃ,
犠牲者が何人も出るような悲惨な事件の報道ですら
カメラに向かってピースするようなクズ人間だっている
ネットの上じゃ事実も明らかでないメディアの情報に操られ
1人の人間に対して多数の人間が『死ね』だの何だの
叩き合い,潰し合い
モラルの欠片もない罵詈雑言が飛び交う始末
“死は命の残骸”ぐらいにしか思ってねぇ
俺たちみたいな今の時代を生きてる人間は,
ホントに進歩してるのか?
生活は楽になった
娯楽は遥かに多くなった
飽食で食うに困るようなことは無くなった
その程度の進歩しかしてないんじゃないのか?
命賜りし,生き年往ける人間として,
もっと大切な根っこの部分は
腐り始めてるんじゃないのか?
俺も充分腐ってるから,
諦めはついてるけどさ
いいじゃねぇか
どんどん腐っていけ
そんな感じのほうが,
退屈しないですみそうだ笑