1年と少し震災から経過し、好むと好まざると、日々の生活に戻られている方も多いのではと推察します。


そういったなかで、震災自体は人々の心に残っていても、大事な人を亡くした人のことは一般には忘れられがちです。さらには、もう前を向いて歩き出していると勝手に押し付けられている人もいるかもしれません。

1年経過すると、なかなか周囲になくなった人の話もしづらくなり、それがストレスになることもあります。


愛する人をなくしてからの回復は、ほんとうに人それぞれです。10年単位で苦しむ人もたくさんいます。

あれほど、愛していた人が急にいなくなる空白感は、他人には想像も及ばないはずです。


どうか、周囲の人々と、亡くして今でも苦しんでいる人は、「もう1年も経過したのに」という考えは棄ててください。

どれだけ時間がかかってもかまいません。今苦しいなら休んで泣いてください。

一日一日をやりすごしてください。そうしていると、悲しみは消えないですが、ちぎれるような痛みからは解放されます。

苦しいのに、まわりの期待に知らず知らずにこたえたり、仕事などでごまかしていても、心の奥にある悲しみは癒されません。長年経過した後に、突如として顔を出し、心身のバランスを崩す方もたくさんいるのです。


男女を問わず、苦しみ、悲しみを押さえつけず、それらと少しずつつきあい、少しでも癒されることを祈っています。

本日、小沢一郎氏に無罪の判決が出た。
これは、法曹に携わる人間であれば、予想できた判決である。
二度、プロである検察が、有罪になりがたいと判断して起訴を辞めたのであるから、国民審査会が強制起訴をしたところで、なかなか有罪に持ち込むのは難しいはずだからである。

問題は、これに対する二つの反応である。
ひとつは小沢サイドや支持者の反応、もうひとつは小沢を快く思わない側の司法に対する絶望の反応である。

まず、はっきりとさせておかなければならないのは、今回裁かれたのは「収支報告書の虚偽記載」についての「法的責任」という点である。それ以上でも、それ以下でもない。

小沢サイドでは、これを機に、私は潔白であり、きっちりと司法で判断されたとして、クリーンであるとの主張をしてくるであろう。しかし、これはまったく「政治責任」「管理者責任」としてはおかしな話なのである。秘書は少なくとも有罪となっており、その管理責任や政治責任は決してクリアされないのである。虚偽記載に直接関わった証拠がなかったということと、虚偽記載をするような秘書を雇い、しかも監督責任も果たさなかったということとは別問題なのである。

一方で、小沢を快く思わない人々の、こんな司法では正義はどこにあるのだといった義憤の反応もある。しかし、これもまったく司法の役割を誤解している。上記した、小沢の政治責任や管理責任を法的に白黒つけた裁判ではないのである。裁判所は国の最高の判断権をもつものではない。法的責任を裁くところである。正義は国民が実現すべきものである。政治責任を追及し、グレーを野放しにしない責任は国民にあるのである。国民、選挙、世論、政治参加、メディア、様々なチャンネルで国民が実現しなければならない。

地元の利益だけで投票してませんか?目先の分配だけで投票してませんか?長いものに巻かれるだけの政治家を選んでませんか。さらに、選挙や政治に無関心であることはグレーを放置していることと同じで問題外です。この無罪判決に義憤を感じたならば、国民である各々がアクションをしなければならない。

重要なテーマなので再度書きます。


偶然にこのブログに出逢ってもらえるとよいのですが。

大切な人を失った時、何もかも絶望的になる。
その時に無理にがんばると必ず、心身を壊す。

今、日本全国、被災者に「がんばれ」という言葉が向けられる。
当然、復興のために、これからを生きるために、がんばる必要は嫌でも出てくる。
でも、家族や愛する人を失って間もない時には、復興など興味はない人がほとんどであろう。

年単位、十年単位で苦しむ人も多いのだ。
無理して、がんばれという周囲の言葉に合わせて、より心が苦しくなっていることもあるであろう。

日本全国で、グリーフケアの視点が欠けてしまっている。

家族・愛する人を亡くした人は、どうか、できるかぎり寝て、できるかぎり食事をして、そして泣けるところでは、泣いてください。
今、あなた方はそうしているだけでも、想像を絶するがんばりを発揮しています。
絶望の言葉をなかなか吐き出せない環境かもしれません。
どうぞ、そういうときはコメントに吐き出してください。

今は、心を休めるときです。今、世間で言われているがんばりを貴方がたに強いるのは、重傷患者を外に引っ張り出してスポーツさせるようなものです。

どうか、休めるときは休んで、泣いていてください。そして、震災が悪いのであって、貴方がた自身を責めることは何もないことを心に言い聞かせてください。


復興はしばらく、我々が頑張ればいいことです。少し気が楽になったときに、復興に立ち上がればいいのです。

今は、心を休めることが、何より前向きな行動であると思っていてください。