おしょうがつ、で思い出すのは祖母の家だ。子供の頃、正月はいつも祖母の家で親戚たちと過ごすのが恒例だった。祖母と僕。そんな空気や感覚を思い出しながら、最初のページをめくった。

西加奈子「ふくわらい」を読んだ。

例に漏れず、西加奈子さんの文庫本を本屋で見つけるたびに買い漁っていたため、机の上に未読の加奈子がずらっと並んでいる。いつもなら古い順に制覇していくものの、何故急に最近の作品である「ふくわらい」(2012)を読もうと思ったのか。それは、間違って2冊買ってしまったからと言う理由から。1冊余ったので友人にあげることにしたんですが、人にあげるからには内容を知ってないとなと思ったので読むことにしました。

タイトルからして「福」や「笑」が印象としてあったので、前回読んだ「さくら」のような心温まる物語かなあと思っていたんですが、いざ読み始めてみると出てくる登場人物たちが「普通」とは少し違った一般的ではない人々ばかりだったので、「これはまた独特な物語になるのかなー」と思いながら読み始めました。

主人公、鳴木戸定(なるきどさだ)は編集者として働く女性。父親は世界中を放浪していた有名な紀行作家、人生の半分以上を旅の途上で過ごすこととなった男。母親はその父親と23歳も歳の離れた女性だった。そして、手伝いの婆や。そんな4人の家族。
そして定の勤める編集社の社員や作家、プロレスラー、街で出会う盲目の男性、といった登場人物が出てくる。その登場人物のほぼ全てが普通ではない。普通なんてものの定義は分かりませんが、明らかに普通でない変な人ばかりなのです。

僕はバイトの休憩中、バイトの行き帰りの道中など、日常の隙間を埋めるように「ふくわらい」を読みました。
ちょうど読んでいる最中に、読書特集の雑誌を読んでいて、そこで二階堂奥歯という人を知った。とてつもなく本好きな編集者で、本に対する愛情がものすごい人。最後には自ら命を絶ってしまう人なんですけど、その人から感じるただならぬ雰囲気を、同じ編集者と言う部分もあって、主人公の定と少しリンクさせたりしながら読みました。

主人公の定は、特殊な家庭環境や性格など(ちなみに彼女は全身にタトゥーを入れている)、自分とはかけ離れていて、なかなか感情移入ができないところはあったのですが。逆に、プロレスラーであり作家でもある守口には感情移入するところがありました。守口のアントニオ猪木への憧れや自分の才能のこと、そして本業ではない執筆・言葉・売文への思いなど、自分が感じていることと近いものを感じていて、その思いを深く読み込みました。

この物語にはたくさんの印象的な場面がありました。

感情移入はできないものの、定の行動で印象に残っている場面は、定が頭の中で人の顔を使って、すぐ福笑いをするところ。それは定の癖なんだろうけど、僕もよくする妄想に近いものを感じて、頭の中でついやっちゃうってところは分かるなあと感じました。最初、その行動は単なる癖だと思っていたのですが、読み進めていくうちに、それが定にとっては、幼少期の幸せな思い出であり、母との数少ない思い出なんだと気付きました。単なる癖じゃない、癖というより、生活の一部だなと思いは変わりました。

守口が昔、妊娠した豚の子宮(セキフェ)を食った時の話も、すごく印象的でした。

守口がリング上でも喋った、連載最終回のエッセイの文章も、好きな場面です。
天才と自分、自分の才能、怖いけど好きで頼れずにはおれない言葉について、グッとくる言葉だった。
「おいらは体も、言葉も好きだ。それって何だ、わからねぇけど、ほとんど生きてるってことじゃねぇのか。おいらが生きてゆくってことじゃねぇのか。生きてるんだから、おいらは好きなことをする。生きるのが終わるまで、好きなことをする。」

そして、物語のラストシーンは又吉直樹「火花」のラストシーンに近い衝撃を感じました。


この物語の登場人物たちは、本当におかしな人ばかりです。でもその人たちは、みんなそれぞれ愛を持っている。当人たちはぶっ飛んでいたり非常識な行動もとったりするのですが、その愛はどれも純粋でまっすぐなんです。
盲目の男・武智の定に対する愛。作家・水森康人とその妻ヨシのふたりだけの形の愛。プロレスラー・守口のプロレスに対する愛、言葉に対する愛。
そして、それに触れて愛を知らないと思っていた定も、愛を意識するようになる。
愛の形は、人それぞれって言いますが、、本当にそうなんだなと思わせる。愛に定型なんかない。それぞれ自分なりの愛を見つけて、それを持ち続けるしかないんだなと思いました。


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んんんんんんん~、読書感想文ってこんなに難しいのか。。。
夏の終わりまでには上達したいものだ。