大和川を潜る大阪メトロ御堂筋線直上の吾彦大橋を歩く
南海高野線の中百舌鳥駅、難読漢字駅でも有名ですが、
すぐ横の地下鉄の駅に答えが書いてあります、
大阪メトロはひらがな標記。
ここから地下鉄に乗ります。
2駅先で下車、
3、
2、
1、
箕面萱野行き、
大阪地下鉄の電車の側面には号車番号が大きく書かれていてカウントダウンのようになります、10両編成なのでテンカウントできますが長くなるので3両だけにしました。
今度は反対側のホームになかもず行きの電車、ここまではどちらも古い方の21系でした。
降りた駅は北花田駅、
次に来たのはどちらも新しい方の30000系、
期待していた北急車やラッピング車は残念ながら来なかったのですが、先を急ぐため新旧車両が来たところでホームを後にします。
コンコースには大和川を図案化したタイル壁画、
地上に出ます。
この辺りのランドマークともいえるイオンモール堺北花田、
オープン直後にはちょくちょく来ていました、当時はイオンと経営統合前だったのでダイヤモンドシティ・プラウ、
「プラウにでも行くか」と言ってましたね、現在は撤退しましたが当初は阪急百貨店も入居していました、懐かしい。
その後イオンモール堺鉄砲町、セブンパーク天美、イオンタウン松原、ららぽーと堺など続々と大型商業施設が出来たので来なくなりました。
さらに進むと高速道路の案内板、
阪神高速6号大和川線の常盤入口が見えてきました
こちらは大和川ではなく支流の西除川、
こちらの写真は以前行ったJR浅香駅のすぐ横、ちょうどここで大和川と分岐しています、支流ですが一級河川。
西除川を渡った先にあるこちらが本流の大和川、
大和川を横断する鉄道路線のうち橋を渡ることなく川底の下を抜けていく唯一の路線が大阪メトロ御堂筋線。
しかしながら地下を走る電車は見えないので今回は代わりにその直上の風景を見ることにしました。
上流の方に行基大橋が見えます、
行基とは民衆布教のみならず道路や橋や溜池といった当時のインフラ整備にも尽力し、奈良の大仏造営にも携わったとされる奈良時代の僧、
行基は難波橋、長柄橋、山崎橋など多くの橋を架けたとされていますが、この辺りの大和川は江戸期に付け替えられたもの、行基の時代にはここには川そのものが無かったので架けようがありません、このように命名されたのは生誕の地がこの周辺でもあり地域における功績を讃えてのことだということです。
この行基大橋はこの前の近鉄南大阪線の横の下高野橋からも見えていました。
橋を渡りきったところで信号を渡って上流側から下流側に移ります、
欄干の親柱に吾彦大橋の文字、これで「あびこおおはし」と読みます。
この辺りを拠点にしていた古代豪族の依網吾彦男垂水が由来と言われています。
依網が氏で吾彦は官職を表わす姓、読みは「よさみのあびこおたるみ」。
現在の地名表記は「我孫子」、なぜ地名と橋の名前で字が違うのか少し調べたところ、
吾は私を意味する一人称「我」と同義で、曽孫(孫の子)を「ひこ」と読むことから全く同じ意味、時代の流れで充てる漢字が変わっただけのようです。
下流を見ると電車が走っているのが見えます、JR阪和線の223系。
連結数は違いますが以前浅香駅で撮った近くからの視点と比較。
289系特急くろしお
こちらも浅香駅撮影分と比較。
271系+281系特急はるか、
こちらも近くで見た様子を。
吾彦大橋はここら辺で切り上げて再び北上します。
あびこ大橋北詰バス停、大阪シティバスはひらがな標記。
あびこ駅まで来ました、
この周辺の難読駅はバス停も含めて旧大阪市交通局はひらがな、南海は漢字のようです。
隣の北花田駅から歩いた距離は1.5キロ。
大和川を渡る…ではなく潜ってきた電車が来ました、そのままこの電車に乗り込みました。
位置関係はこんな感じ、この4線はそれぞれ約1.5キロ前後でほぼ等間隔で並んでいますが、ここから上流に行くとこの先10キロ近く鉄道橋はありません。
ただ、道路橋も含めて12キロの橋空白地帯が続く淀川と違って、大和川はこの間道路橋は無数にあります。
地下鉄ではこの御堂筋線の東側に谷町線があるのですがこちらは大和川まで達しておらず、幻の富田林延伸が実現していたとしても終点の八尾南はすでに地上駅。
今後可能性のある大阪モノレール線延伸も地上架橋になるので、大和川を地下抜けする鉄道路線はこの先もこの御堂筋線のあびこ-北花田間のみになるものと思われます。






























































