智異山〔チリサン〕老姑壇〔ノゴダン〕全羅南道・求礼郡。©ameblo.jp/jnkorea.
日本の大学には、「第2外国語」の独語講師が山のようにいるが、一度でもこんな話を聞いたことがあったろうか? 日本の独文学の先生は、足もとの大地を忘れて、何の研究をしているのだろうか?『ハンギョレ新聞』から。
全羅南道 羅州〔ナジュ〕鉄川里 石造如来立像。©sanshin-travel.com.
韓国、後期ファシズム社会を乗り越えて【寄稿】
ドイツの学校で反権威主義教育、批判教育、抵抗権教育など政治教育を強調することや、権力の抑圧に「抵抗する能力」、社会的不義に「憤る能力」、弱者の苦しみに「共感する能力」を民主市民の3大能力として重点的に教えることも、すべてファシズムの過去を清算する取り組みの一環だ。韓国はどうなのか。軍事ファシズムが32年間も支配した国で、ファシズム清算に向けた取り組みはあまりにも不十分だった。
キム・ヌリ|韓国・中央大学教授(独文学)
2025年6月19日 .
智異山 天王峰(1915m)。 ©globalnationalparks.com.
尹錫悦〔ユン・ソギョル〕内乱事態を経験し、私たちは韓国社会が民主主義社会というよりは後期ファシズム社会に近いということを知った。言い換えれば、軍事独裁から民主主義に移行した社会ではなく、前期ファシズムから後期ファシズムに移行した社会ではないかという衝撃的な認識に至ったのだ。
権威あるファシズム研究者であるテオドール・アドルノは「民主主義を破壊するファシズムより、民主主義の中にあるファシズムのほうが危険だ」と述べた。「民主主義を破壊するファシズム」が前期ファシズムなら、「民主主義の中にあるファシズム」が後期ファシズムと言える。前期ファシズムが「制度としてのファシズム」であるならば、後期ファシズムは「態度としてのファシズム」とも定義できる。
韓国で、前期ファシズムはかなり前に姿を消した。民主主義を蹂躙した軍事ファシストたち、朴正煕〔パク・チョンヒ〕、全斗煥〔チョン・ドゥファン〕、盧泰愚〔ノ・テウ〕は今、いずれも墓の中にいる。ところが、果たして後期ファシズムも清算されたのだろうか。
ヒトラーは1933年に政権を握り、1945年の第二次世界大戦の敗戦で没落した。ヒトラー政権は6年間戦争を準備し、6年間戦争を遂行した、まさに「戦争政権」だった。戦後ドイツ(西ドイツ)はこの12年間にわたるナチスの過去を清算することを国家の「アイデンティティ」に据えた。
一つの事例として「儀礼禁欲主義」を見てみよう。ドイツは世界で最も儀礼〔ritual〕をしない国だ。卒業式や学位授与式も行わない。ヨーゼフ・ゲッベルスが政治的儀式〔ceremony〕を通じて国民の意識〔consciousness〕を掌握しようとした恐ろしい過去に対する反省のためだ。すべての儀式に裏に潜んでいるファシスト的プロパガンダの危険性を見抜いたのだ。
学校で反権威主義教育、批判教育、抵抗権教育など政治教育を強調することや、権力の抑圧に「抵抗する能力」、社会的不義に「憤る能力」、弱者の苦しみに「共感する能力」を民主市民の3大能力として重点的に教えることも、すべてファシズムの過去を清算する取り組みの一環だ。
韓国はどうか。軍事ファシズムが32年間も支配した国で、ファシズム清算に向けた取り組みはあまりにも不十分だった。民主政権が発足した後も、長い間ファシズム政権が韓国社会に植え付けたファシズムの残滓、韓国人の内面に刻まれたファシズムの文様は全く消えなかった。私たちは今も行事の度に―甚だしくは野球場でも―国旗に向かって「身と心を捧げて忠誠を尽くすことを固く誓い」、これがファシズムの遺産であることを知らない。韓国人の性格構造がファシズム社会の典型的な「権威主義的性格」に染まっていることに気づいていない。
尹錫悦内乱事態は、私たちが民主主義社会ではなく、後期ファシズム社会に暮らしているという事実を閃光のように呼び起こした。内乱同調犯が大統領選に出馬して41%を得票し、内乱に同調した政党が第1野党を維持するという、あり得ないことが韓国で起きたのだ。
なぜこうなったのか。何より二つの原因がある。一つ目は態度としてのファシズム、日常の中のファシズム、「私たちの中のファシズム」を清算しようとする真剣な試みがなかったためだ。私たちにはファシストを民主主義者へと変化させる決定的な転換点がなかった。ファシズムの下で教育を受けた世代の多くが依然としてファシスト的な態度と考え方を持っている。いわゆる「87体制」も転換点ではなかった。盧泰愚政権は、後期ファシズム社会へのソフトな移行を可能にすることで、後期ファシズムに対する覚醒と自覚を鈍らせた。
二つ目の原因は社会的破局の感情だ。アドルノはファシズムに対する古典的分析である『新たな極右主義の諸側面』で、ファシズムは大衆が持つ「社会的破局の感情」と関連が深いことを喝破している。「ファシズム運動はある面では破局を求めている。それは世界没落のファンタジーを栄養分とする」。ファシズム運動は「災いと破局を願う無意識的な願い」を背景にしているということだ。現在の韓国のケースがそうだ。すべての国際的指標が示すように、韓国は社会的破局が目前に迫っている社会だ。このような社会でファシズムが頭をもたげるのは不思議なことではない。
後期ファシズム社会をどう乗り越えるのか。最も急がれるのは、尹錫悦前大統領とその追従者たちを生み出した政治・社会的構造を根絶することだ。まず、韓国の学校が育てた最高の優等生のほとんどがファシストであるという衝撃的な事実は、教育革命が切実であることを痛感させる。競争教育を尊厳教育に転換し、教師の政治的市民権を直ちに復元しなければならない。また、内乱同調政党が「最悪の場合にも」第1野党になるとんでもない政治地形も、もう変えなければならない。選挙制度の根本的な改革を通じて、まったく新しい政治地形を作り出さなければならない。
キム・ヌリ|韓国・中央大学教授(独文学) (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
智異山(1915m)。 ©Wikimedia.
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「後期ファシズム」は「態度としてのファシズム」だという。しかし、この議論から読みとれるのは、「態度としてのファシズム」自体は精神的なものだとしても、それを支えているのは、制度や、眼に見える外形的な習慣や社会活動だということだ。そうした外形の現れ方は、韓国と日本では異なるだろう。
たとえば、「社会的破局の感情」を強めてきたのは、韓国の場合にはおそらく、終末論的なキリスト教宗派や新興宗教の活動だろう。そうしたものは日本では少ない。代わって思い当たるのは、1980年代頃から目立ってきた「霊感書籍ブーム」だ。現在では、書籍からインターネットに移行している。「霊感書籍ブーム」が風靡したあとで、日本の政治の世界に何が起きただろうか? よく考えてみる必要がある。
「儀式」にたいする警戒感の無さは、日韓に共通した問題だろう。
もうひとつ思いつくのは、「緊急」と銘打った法律の危険性だ。憲法改正の提案のなかで、「緊急事態条項」は、一見すると害が無いように思える。国会議員の任期を延長するだけなら問題がないかのようだ。むしろ、ウクライナのように、何年も選挙ができない事態が続いた時に、国会議員の任期が切れて居なくなってしまったら、かえって独裁になってしまう、と。
しかし、韓国の「12・3クーデター未遂」は、考え直すきっかけにならないだろうか。「緊急」「非常」‥は、独裁を狙う者にとっては、最も利用しやすい法律なのだ、ということを、私たちは隣国の経験から学べるのではないか。
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