エドヴァルド・ムンク『星月夜』1922年、ムンク美術館(オスロ)。

 

 

 

 

 

 

 

 

【21】 レーニン ――

「前衛党」と「官僚制」国家:の破滅的二重体制

 


 レーニンのボリシェヴィキが実施した「戦時共産主義」は、「厳格な指揮下にある軍隊のよう」な「党の完全な中央集権化を命じた。」じつは、トロツキーはボリシェヴィキに移る前に、こう述べて同派を批判していた:ボリシェヴィキのような「手法は、次のような事態を引き起こすだろう。党組織は、党そのものに取って替わり、中央委員会は党組織に取って替わり、最終的に[独裁者]が中央委員会に取って替わる。」そして、ボリシェヴィキに転向したあとは、自らこの過程を推進した。(p.72.)


 

『革命家たちは、この「ドイツの国家資本主義」の潜在的な力学〔…〕を回避できなかった。問題の一つは官僚制化だった。もう一つの問題が、』組織的カリスマとしての」だった。というのは、「成功した国家資本主義」は、もはや「党」を必要としないからだ。こうして、『破滅的な二重体制が構築された。一方には、「専門家」や「熟練者」を備えて拡張を続ける国家があり、もう一方には、職業的革命家と訓練されたイデオローグからなるがあった。の役割は、すべての制度――とくに国家の制度――に「党の精神 パルチノスチ」を注入することだった。こうして、国家(そして、だんだんと社会)全体が官僚制化される一方で、〔…〕は、とりわけカリスマ的だった時期に、急進的な宗派 セクト のように活動しつづけた。


 そして、民主主義はどうなったのか?〔…〕ボリシェヴィキは、国家行政と経済への「大衆の直接参加」というスローガンをくりかえし〔…〕た。それが実現しない現状では、ロシア語のデモクラツィヤ』とは『プロレタリアート独裁を意味する』と宣教して糊塗するほかなかった。つまり、『農民層はすでに』そこから排除されていた。そして、『投票に始まる政治活動に参加』できる権利は、『「労働し搾取されている人民」にだけ』与えられた。

ヤン=ヴェルナー・ミュラー,五十嵐美香・他訳『試される民主主義 上』,2019,岩波書店,pp.72-73. .  

 


 レーニンが『国家と革命』で宣揚して描いていた「パリ・コミューン」の直接民主制――行政,警察,工場管理への大衆の直接参加――は、どうなったのか?「レーニンは、公式には、コミューン国家という目標を放棄したわけではなかった。」そこで、「前衛党」内には、一体いつになったら「コミューン国家」になるのだ?‥「コミューン国家〔…〕への前進が遅すぎる」‥‥という不満の声が生じ、「彼らは決まって、[官僚主義]に〔…〕不平を唱えた。」

 


一部の人びとは、1917-18年の短期間に実在した評議会民主主義、すなわち選挙と・労働者による自主管理・への回帰を欲したが、こうした人びとは容赦なく弾圧された。

 

 1921年、ペトログラート近郊クロンシュタットの労働者と水兵が「ボリシェヴィキなき評議会 ソヴィエト」を要求した時、レーニンは軍隊を送り込んだ。党内からの批判ですら、いまでは厳しく制限された。「分派」は公けに禁じられ、出版の自由などといったものも、もちろん無かった。そうしたすべて』が、『「一国社会主義の建設」〔スターリンではなくレーニンの表現!――著者註〕が、内外の強力な敵によって脅かされている、というお決まりの根拠によって正当化された。〔…〕


 レーニンは、〔…〕官僚主義が国民の性質を改変してくれるだろうと考えたようだった〔「質の悪い」ロシアの労働者を改善したいと思っていたのと同様に。――ギトン註〕〔…〕レーニンが、官僚制化による麻痺に対抗すべく、ただ一つ〔…〕心に描くことができたのは、〔ギトン註――国民,労働者に対する〕監視のいっそうの強化だった。つまりは、よりいっそうの官僚制化である。』

ヤン=ヴェルナー・ミュラー,五十嵐美香・他訳『試される民主主義 上』,2019,岩波書店,pp.74-75.  

 

 

イヴァン・ヴラヂミーロフ〔1870-1947〕『食糧供出』 1922年。

農民からの、小麦その他農産物の徴発が、公定価格と割当て数量で行なわれた。

Реквизиция продовольствия в окрестностях Пскова. ©Wikimedia.

 

 

 

【22】 マクス・ウェーバーの対案 ――

「官僚制」を監督する「議会」とカリスマ的「政治家」

 


 社会主義の『このような力学〔官僚制が、監視の強化と自由の圧刹によりますます官僚制化するメカニズム〕こそ、〔…〕ウェーバーが社会主義を拒否した〔…〕理由であった。彼は、社会主義が〔…〕悪夢のような普遍的な官僚制化をもたらす〔…〕と主張した。〔…〕西洋では分離していた・経済と国家の官僚制が融合し、「官僚の独裁」〔…〕を生むだろう。〔…〕ボリシェヴィズムの「壮大な実験」と彼が呼んだものを目にし、恐怖は高まり続けたのである。

 

 では、ウェーバーは』社会主義『の代わりに、どのような望ましい〔…〕政治的倫理を提案したのか? また、「大衆生活」という新時代にあって・自由主義的着想を具現化する・いかなる制度を提案したのか? ウェーバーは、『プロテスタンティズムの倫理』〔…〕に忍ばせて〔…〕彼が称賛する・自律的で責任を果たせる人格を指し示し、ドイツ人を従順にしてきたルター主義を攻撃しつつ、中産階級 ブルジョワジー にたいして、闘争を通じて自らを鼓舞し・最終的には自己決定できるようにと訓戒した。

 

 ウェーバーは、一般的には君主制が最良の国家形態だと考えた。しかし、ドイツ帝国の政治体制〔…〕では、責任をとらない文官が、現状すべての決定を下している〔…〕

 

 近代の君主制は、才能豊かな王や皇帝が偶然即位するという例外を除き、官僚による統治を意味する。〔…〕したがって真の問題は、この官僚制が監督されるかどうかだった。ヴィルヘルム〔Ⅱ世――ギトン註〕のドイツでは監督されなかった。そのうえ政府は、政党政治や議会での訓練をへていない人物によって構成されていた。

 

 ウェーバーの処方箋は明快だった。才能のない君主を中立化〔局外中立、つまり名目化――ギトン註〕し、官僚を抑制し、政治的判断力を訓練する場を提供するためには、本当に力を持った議会が決定的に重要だった。〔…〕そうした議会は、カリスマ的な指導者を、競争を通じて選び出す助けにもなるだろう。そのような指導者は、政治の方向性を示し、政治生活に活力を与え、それによって官僚支配の危険に対抗するだろう。』

ヤン=ヴェルナー・ミュラー,五十嵐美香・他訳『試される民主主義 上』,2019,岩波書店,pp.75-78.  

 

 

 ウェーバーは、立憲君主制とはいえ世襲君主の居る体制を最善と考え、プロイセン国家主義とドイツ民族の「文化的使命」に共感する・やや古めかしい信条的バックボーンを負っていました。しかし、そうした “理想的” 国家も、「合理的官僚制」への依存を避けることができない、という歴史認識から、「自らは責任を負わない」官僚制行政機構を監督すべき「議会」の民主的役割を重視していたのです。が、その監督的機能は、正当に民意を代表するシステムが整っていれば発揮されるというものではなく、その成否を握っているのは、個々の政治家の資質と活動度,「活力」でした。ウェーバーが、職業的政治家の資質として挙げる2大要素:「信条倫理」と「責任倫理」がどれだけ発揮されるかに、システムの成否がかかっていたのです。「責任倫理」とは、自らの政策や政治的行為の結果について責任を負うべく行為しようとする倫理です。行為自体の美的評価に重点を置く「信条倫理」〔ないし、心情倫理〕とは正反対のものです。ウェーバーは、「信条倫理」ではなく「責任倫理」に、より大きな比重をかけていました。

 


マクス・ウェーバー職業としての政治』(1919年) 。

 

 

 ウェーバーは、「議会」を基盤として強力なリーダーが輩出することに期待をかけていましたが、そのリーダーの「カリスマ」は、君主・貴族のような「血統のカリスマ」でも、レーニン前衛党のような「組織のカリスマ」でもなく、政治家本人の才能と経験的力量と倫理に基く「人格カリスマ」なのです。

 

 

ウェーバーは、選挙権の拡張にはっきりと前向きだった。〔…〕平等な地位の承認は、近代秩序にとって不可欠のものだった。〔…〕ウェーバーは、〔…〕戦場から帰還した兵士たちに、銃後で快適に暮らしていた資産家たちよりも少ない政治的権利しか与えないという考え、〔…〕高学歴者により多くの投票権を与える〔…〕考えを厳しく斥けた。』

ヤン=ヴェルナー・ミュラー,五十嵐美香・他訳『試される民主主義 上』,2019,岩波書店,pp.77-78. .  

 


 ウェーバーによれば、「教育、とりわけ人文学の教育が、しばしば政治的判断力の欠如につながる」というのです。彼の発言の狙いは、当時のドイツ革命で輩出しつつあった、マルクス主義系,社会民主主義系の知識人活動家に警鐘を鳴らすことにあったと思われます。彼らは、彼らのもとに集まった「大衆」が、結果としてどんな目に遭うか〔どんな迫害を受けるか〕顧慮することなく、もっぱら「信条倫理」にしたがって行動していました。

 

 ウェーバーは、「直接民主主義」には否定的でした。全体的に見て、ウェーバーの考えは、〈国民の意思にしたがった政治が最良だから、民主主義が良い〉というようなものではなかった。彼が「民主主義」を支持する理由は、国民が主権者だから、というよりも、すぐれた政治家を訓練する場として「議会」と「民主主義」は最良のものだから、という点にあったと言えます。

 

 ウェーバーにとって「市民〔…〕ができること〔…〕、すべきことは、ただ投票することだった。」「国民の意思」などというものは「フィクションだ」と彼は断定しました。「選挙は、より優れた政治技術を持ち・大衆の希望に関心を示す指導者が報いられる」ような政治闘争の場を提供することにのみ意義がある。「得票を求めて闘争することによって、官僚とも・純粋な〔心情倫理一本の〕デマゴーグとも異なる・果敢で政治的責任を果たせる政治家だけが」勝ち残る「ことが保障される」と、ウェーバーは考えたのです(これとて、現実とは大きく異なる「フィクション」であることに変わりはないが)。

 

 ウェーバーの考えでは、「民主主義は必然的に委任を意味し、それゆえ一部の人間が他の者たちを統治することを意味せざるをえない。それはまた必然的に官僚制化を示唆する。〔…〕ここでも真の問題は、官僚制を備えるか否かではなく、いかに官僚制を封じ込めるかなのである。」


 「大衆」の「政治的包摂こそ、政治責任を涵養する最良の方法である、〔…〕大衆の包摂が」政治家の「応答責任を涵養する」とウェーバーは考えた。そしてこれは、「闘争の導入が、政治的リーダーシップの質を高める、という議論によって補完された」。(pp.78-79.)

 

 

US・オバマ大統領ドイツ・メルケル首相。2013年1月、ベルリン。

 


『だから、ウェーバーの正統性の3分類、すなわち、 伝統, カリスマ,🄫 合法性・合理性』『言えば、彼は最後の2つの組合せを提唱したことになろう。🄫 法と官僚制による合理化と、 指導者が持つはずの人格的ヒロイズムとの融合である。ウェーバーは、🄫 党の政治機構によって支えられる「 指導者型民主主義」』が最良のものだと考えた。そうでない体制は、けっきょくは『党官僚と名士が舞台裏で影響力を競い合う「指導者なき民主主義」』とならざるをえない。『いかなる政体も、後者になれば、もっと悪いものになるだろう。』

ヤン=ヴェルナー・ミュラー,五十嵐美香・他訳『試される民主主義 上』,2019,岩波書店,p.79.  

 

 

 

【23】 マクス・ウェーバー ――

「信条倫理」「責任倫理」と「自由主義」

 

 

ウェーバーによれば、あらゆる政治家には、3つの決定的な性質が必要とされる。情熱,責任感,バランス感覚である。〔…〕情熱とは、〔…〕選ばれた目標への献身を意味した。〔…〕バランス感覚や現実感覚、すなわち物や人間、とりわけ自分の感情から距離をとる能力がなければ、政治家は〔…〕情熱によって盲目になってしまう。〔…〕客観性の欠如〔…〕は、政治家にとって致命的な罪なのだった。

 

 〔…〕信条倫理は、無条件なもので、実践者は自らの良心に対してのみ責任を負う。信条の政治家、たとえば急進的平和主義者やユートピア的社会主義者は、自分の意図の純粋さを保持することに最大の関心がある。彼らは政治領域の自律性をまったく理解することができ〔…〕なかったが、「政治の自律性」の結果としての『不可避な暴力の存在から逃れることはできなかった。〔にもかかわらず、――ギトン註〕彼らは、自らの意図が純粋である限り、いかなる結果責任も受け入れなかった。〔…〕

 

 他方、責任倫理は、政治家が自らの行為の結果についての説明を引き受け、政治において働いている矛盾す〔…〕る諸力の玩具に自らがなってしまう倫理的危険を受け入れ、妥協することを意味した。しかし、結果を評価して、いずれの結果が受け入れられるか〔…〕を決める〔…〕基準とは、何か?〔究極において、そのような基準は存在しない。――ギトン註〕ウェーバーは、〔…〕いかなる合理的基礎づけも欠如したなかで人間は選択を行なうという・究極的な世界観を受け入れねばならなかった。〔…〕

 

信条倫理と責任倫理は、完全に反対のものではなく、むしろ〔…〕「政治を天職」としうる人間を作り出すうえで相互に補完的なものである。〔Max Weber, Politik als Beruf.〕

 

 それゆえ、真の責任倫理は、政治世界からの自己中心的な逃走〔つまり、信条倫理100%――ギトン註〕と、冷徹な機会主義〔つまり、結果責任100%――ギトン註〕の間の進路を進むことになった。

ヤン=ヴェルナー・ミュラー,五十嵐美香・他訳『試される民主主義 上』,2019,岩波書店,pp.80-82. .  

 

 


ジーノ・セヴェリーニ『アコーディオンを弾く芸人』1919年。

Museo del Novecento, Milano. ©Wikimedia.

 

 

 「ウェーバーは、自由主義の社会的基礎が侵食され、その理念の多く――とくに、進歩と個人の権利――が、同時代人の眼からは信頼できないものになったことに〔…〕気づいていた。「人間の権利の時代の成果」を不用意に放棄することは、「まったく無責任であると彼は考えた。〔…〕しかし、脱魔術化された世界では、自然法への信念や、権利の形而上学的な基礎づけが維持されえないことは確実だった。むしろ、ウェーバー」としては、「自由主義的な成果を歴史化し相対化することが望ましかった。」(p.82.)

 

 

 

 

 

 

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