ヘレン・キーム・ゼー城の「鏡の回廊」。 ©ドイツ観光局.
バイエルン王ルートヴィヒ2世がヴェルサイユ宮殿を模して建築(1878-86)、
天井にはルイ14世を描いた 25面の壁画がある。ロマン主義の過去憧憬の極致。
【27】 「転移」時代の戦略 ―― 特権層の。
「転移 トランジション の時代」の政治討論は、「タヒ活にかかわる闘争となるだろう。」議論は、「特権が支配し・民主主義と平等が最小限になるような」新しい「史的システム」か、それとも、「人類史上初めて・それと反対の方向へ動」く「のか、ということである。」(pp.138-139.)
『熟視すべき第1のことがらは、現に特権的な人々がどのように反応するか、実際にどのように反応しているのか、ということである。〔…〕彼らは特権を保持しようと努める〔…〕。それ以外のいかなる仮定もありそうにないし、非現実的である。〔…〕
特権を保持する最適な戦略〔…〕が何かということは、長期間、特権を保持している人々のあいだの論争の種となってきた〔…〕、社会科学が今日に至るまで決定的な』結論に達していない『問題である。単純なことからはじめれば、〔ギトン註――彼らを除く全人類に対する〕抑圧〔…〕が鍵であると信じる人々と、〔…〕パイの小部分を施すような譲歩がその秘訣であると信じる人々とのあいだで意見の分裂がある。〔…〕
世界システムにかんして蓄積された知識や、大いに改善された世界的コミュニケーション手段は、〔…〕特権的な人々の〔…〕より知的な熟考』を促しているので、『特権的な人々は必ずより巧妙に情報を得て、〔…〕より〔…〕抜け目なく振舞うのである。彼らはまた』昔よりも『はるかに裕福であり、〔…〕はるかに強力で〔…〕効果的な破壊と抑圧の手段を持っている。彼らは非常に巧妙に対処できる〔…〕
もちろん〔…〕彼らは、組織され訓練された党派的集団ではない。〔…〕現存状態から利益を得ている非常に多様な集団である。〔…〕彼らは、ある結果にかんしては、集団的で階級的な利益を保持している』が、『彼らは相互に競争関係にもある。〔…〕
彼らは〔…〕集団で構造的な困難に陥っている。それは、彼らが何かをしなければならない〔…〕ことを意味している。〔…〕問題は、〔…〕いつしなければならないのか〔…〕。彼らは〔…〕システムが・より明白なかたちでダメになるまで、短期的な利益を追求するだけだろうか。あるいは〔…〕、ただちに』打って出て、長期的な特権を獲得するための一時的な『敗北〔退却,譲歩――ギトン註〕を選ぶ〔…〕だろうか。
この問題は、超強大な特権者』の場合と『通常の特権者』の場合とで異なる。『前者は、その〔ギトン註――超強大で〕長期的な特権を保護するために、短期的な敗北〔妥協――ギトン註〕を選ぶことを、後者よりも』たやすく決意するだろう。
15世紀の絵画。ヤン・ファン・エイク『子羊の礼拝』Jan van Eyck, Adoration
of the Lamb, 1432. ©Wikimedia.
『特権的な人々にとって最大の問題は、彼らが〔…〕最終的にシステムの危機に気づき、その予想を完全に運営上の手順に〔…〕組み込むときにやってくるのである。その点で彼らが、ランペドゥーザの原則を〔…〕実行しようとする可能性は高い。』しかし、特権層にとって、それは決してたやすいことではない。彼らにとって『第1の問題は、㋑ 変化を作り出すことである(これは考えられているほど容易でも明白でもない)。第2には、㋺ 多数の仲間を欺くことである。第3には、㋩ 敵を欺くことである。』
ウォーラーステイン,・松岡利通訳『ユートピスティクス』,1999,藤原書店,pp.139-143. .
まず ㋑ から考えてみよう。「彼らはどのような種類のオルタナティヴを」考え出して呈示してくるだろうか? さかのぼって考えてみよう。現在の「近代世界システム」が発祥しはじめた「15世紀のヨーロッパで、崩壊しつつあった封建階層が自らを救うために・どんなオルタナティヴを作り出」したらよいか、その階層の誰が予め知りえただろうか? ‥‥結果的に彼らは、「資本主義システム」「資本主義世界経済」という・「封建的システムとは多くの点で異なっ」たオルタナティヴに辿り着いた。その過程で彼らは、しもじもの階層から、さらには最底辺の反抗的階層の反乱のスローガン〔清教徒革命の「水平派」「ディガーズ」〕からすら、必要なものを取り入れた。「それは明らかにランペドゥーザ原則の結果であった。」オルタナティヴが成功するためには、㋩ 敵を欺くことが不可欠だからだ。
「資本主義システム」の「初めの数世紀間は」、多くの変化が、当の「封建階層」にとって「不平等な結果」をもたらした。「封建階層」のかなりの部分が没落し、最上部にいて最高の知識・金力・権力を握っていた者と、抜け目なくそこにあやかって生き延びた者だけが残り、新しい世界的「システム」の特権階層に移行した。すなわち、㋺ 仲間の大部分を欺く戦略こそが成功したのだ。
【28】 特権層の「転移」戦略 ―― ぶつかる困難
したがって、移行期にあたって「もっとも成功しそうな」特権階層のオルタナティヴとは、「不満を感じている人びとの多くの用語法を合体させたものとなるだろう」(pp.143-144.)
『それはたぶん、エコロジー,多文化主義,あるいは女性の権利という口実のもとで登場するだろう。〔…〕その3つすべては、私たちの今の世界システムの悪弊に対する不可欠な反乱の形態である〔…〕。しかし』特権者の新しい『世界システムは、それらのレトリックを取り込むことができるのである。そして』本来の被抑圧者の運動は、『時を経ても風に流されないようにすることが非常に難しい。とくに、もしそれらの運動が、流されることで〔…〕目標のある部分を獲得できる場合には、流されないようにするのは非常に難しいのである。
テスラのCEOイーロン・マスク氏と、トランプ大統領
©Justin Merriman / Bloomberg.
しかしながら、特権的な人々は、』被抑圧者の本来の運動がめざしていたのとは『根本的に異なった〔ギトン註――特権維持のための〕一連の制度を確立するために、そのレトリックを用いなければならないのである。彼らはここで〔…〕2つの問題に直面する。1つは、自陣営内部の問題であり、それは2つの形態をもっている。第1〔…〕は、世界全体と集団にとって良いと思えるようなこと〔気候保全,多様性,女性の権利など。もちろん、特権者の上層は、それを自分たちの特権を正当化するためのレトリックとして用いる――ギトン註〕が、特権者のなかの下位諸集団にとっては少しも良いとはいえないことである。敗北した下位諸集団は、〔…〕すすんで事を進めようとはしないであろうし、〔…〕政治的な実行〔…〕を混乱させることもある。』
ウォーラーステイン,松岡利通訳『ユートピスティクス』,1999,藤原書店,pp.144-145. .
特権層の「下位諸集団」は、環境保全,気候保全,多様性の尊重,女性の権利といった “世界全体のためになる” レトリックの圧倒的な「正当性」に「敗北」します。が、表立って反対するのは難しい。そこで彼らは、些末的な理由をシノゴノ付けて抵抗し、変化にブレーキをかけます。世論調査で大多数が夫婦別姓に賛成しても、自民党の一部は理由にならない理由でそれに反対して改正を阻止しているように。「政治的な実行を混乱させる」とは、そういうことです。
ただ、ウォーラーステインが、特権層の上層は「環境保全,多様性,女性の権利」といったレトリックを取り入れて一般の被抑圧者層をあざむく、としている点については、現在の段階では但し書きが必要かもしれません。ウォーラーステインが書いているのは、あくまでも 1997年時点での「一つの将来予想」にすぎない、と。
現在では、第1次トランプ政権と第2次トランプ政権の政策の違いを見れば解るように、特権層は今や、「環境保全,多様性,女性の権利」などを正面から否定するレトリックに変わっています。正面から、差別を煽るレトリックを打ち出しています。彼らはもはや、“敵” に遠慮する必要はなくなった。それだけ自信を深めていると言えます。つまり、1997年当時と比べ、特権層が狙う〈カオスからの着地点〉は、大きく “右” に寄ったと言うことができます。
それでもなお、「不満を感じている人びとの用語法」を借りてきて自らのレトリックにする・という本質的な戦略には変更がありません。
トマージ・ディ・ランペドゥーザ家の紋章「山猫」。
帯の銘:「我が一族は神のうちにあり」
『困難の第2の形態は、さらに大きなジレンマを示す。
ある賢明な集団が、有効なランペドゥーザ戦略を苦心して』作り上げ、実行に移したとしても、『陣営の多くの者は、何が進行しているのか理解できないかもしれず、すすんで支援しようとはしないかもしれない。〔…〕主唱者はもちろんそれを書物で詳細に説明することができるが、』誰にでもわかるように説明してしまうわけにはいかない。そんなことをしたら、『ランペドゥーザ戦略の全目的を挫折させてしまう。そこで彼らは〔…〕慎重に遠回しで論じなければならないだろう。』
ウォーラーステイン,松岡利通訳『ユートピスティクス』,1999,藤原書店,pp.145-146. .
つまり、「ランペドゥーザ戦略」は、反システム運動のレトリックを取り込んで、あたかもそれを(遠慮がちに,部分的に)実現するかのように見せかけて、じっさいには、特権層の特権を形を変えながら維持する制度を創っていこうとするのです。彼らのレトリックと、制度の実施とのあいだにはギャップがあります。そのことを書物で詳しく種明かしして、これはホントは君たち特権層のためになるんだよ、と説得すれば、たしかに特権層は下位集団まで納得して協力するでしょう。しかし、書物は、彼らの陣営外、つまり非特権層の味方をする人たちも読んでしまいます。からくりを知った非特権層からの反発は、特権層の戦略を挫折させるでしょう。だから、「ランペドゥーザ戦略」は、㋺ 陣営内も ㋩ 陣営外も欺く・慎重なやり方で進むほかはない。説明しすぎると挫折するし、説明し足らなければ、自陣営を結集することができない。
困難の第3形態は、陣営外部(非特権層)とのあいだで生じます。これは、第2形態↑を裏から見た場合と言ってもよい。一見すると、特権層の戦略は、もともと非特権層が主張していた要求を取り入れて主張するのだから、非特権層を説得するのは容易であるかに見えます。しかし、特権層のその主張はあくまでもレトリックなのです。「見かけ上」の主張にすぎません。レトリックが強すぎて非特権層を本気にさせることのないよう、配慮する必要があります。
特権層の主唱者は、「大多数の広範な人々に対して、変化しないことが実は変化」だと言いくるめなければならない。現存のシステムに不満を持つ人びとに対して、「転換」は、不合理の破壊・除去によってではなく、「実質合理性の世界」を建設することによって初めてもたらされるのだ、と説得する必要があります。
「実質合理的世界」の構築は、特権層にとっても非特権層にとっても目標となりえます。ただ、特権層のほうは、それによって非特権層に幻想を抱かせて動員するという戦略上の制約を負っているのです。そのため、特権層のほうの「実質合理性」の主張は、誇大で・すり替えにみちたレトリックとならざるをえず、それだけ慎重に、行き過ぎないように進めなければならないのです。
たとえば、ネオ・リベラリズムの主張の一つとして、富裕な者ほど高い報酬を得・低い税率で優遇される制度こそが、社会全体の高い成長率をもたらす、というのがありました。経済学者竹中平蔵氏の発言「君たちは貧乏になる自由がある」は、この理論に基づく主張の一部が切り取られて流布されたものです。
しかし、これをあからさまに宣言してしまったことが、失敗の原因となりました。当然に、富裕でない層からの猛烈な反発が向けられたからです。特権層が「ランペドゥーザ戦略」を成功させたければ、もっと非特権層に受け入れられる「見かけ上の戦略」を主張すべきだった、とウォーラーステインは言うのです。
「特権的な人々の陣営は、〔…〕軍勢を集めるために〔…〕㋺ 味方の側では説明を十分にするが、しかし ㋩ そのことが、もう一方の側に激しい抵抗のための証拠や動機を与えるほどではないようにする」必要があるのです。「それは容易ではないだろう。」(pp.146-147.)
「虹の連合」。1984年、サンフランシスコの民主党大会で、ジェス・ジャクソンの
写真を掲げる代議員たち。 ©Mike Alexander / San Francisco Chronicle / Getty.
「虹の連合(The Rainbow Coalition)」は、大統領予備選候補ジャクソン牧師が
主唱したアラブ,アジア,アフリカ,ユダヤ,ネイティヴ・アメリカン,青年,
傷痍軍人,小農,レスビアン・ゲイ等異質なマイノリティが結集する政治組織。
【29】 「転移」時代の戦略 ―― 抑圧されている人びとの。
『抑圧されている人々は〔…〕特権的な人々と同様に多くの問題を抱えている。もし特権的な人々が、異分子からなる無定形の集団だというなら、被抑圧者たちはさらに一層そうである。もし特権的な人々の陣営が〔…〕長期的諸利害をも広範に包摂するのだとしたら、彼らの敵対者の陣営もまたそうする〔長期的展望に立った戦略を立てる――ギトン註〕のである。〔…〕特権的な人々と比べれば、被抑圧者たちは、グローバルな政治闘争を遂行する〔…〕権力も、組織も、富も劣っている。〔…〕
虹の連合という構想は、たぶん唯一可能なものであり、しかしそれを実行するのは途方もなく困難である〔…〕。特権的な人々に、そのリベラルなレトリックに恥じない行動を〔…〕要求する戦術〔自由主義者の誇大なレトリックを、そのまま完全に今すぐ実施せよと要求する――ギトン註〕が損害を与えることは疑いないが、』その要求『を実行することは〔…〕困難なことである。〔…〕
わたしは〔ギトン註――確定的な〕プログラムを提起しているのではなくて、実質合理性のある史的システムをどのように制度化できるか、そこに到達するために転移の時代をどのように通り過ぎていくか――を提起しているだけだ〔…〕。これらの提案〔…〕は、議論し、補足して、よりよいものに置き換えていく必要がある。』
ウォーラーステイン,松岡利通訳『ユートピスティクス』,1999,藤原書店,pp.147-149. .
「移行の時代」は、予測が難しいが、その反面、「自由意志的要因の増大」する時代である。「もし自分たちの好機をつかもうと思うなら、〔…〕まずその好機が何のためのものであり、どういうものから成り立っているかを理解しなければならない。」それゆえ「必要となるのは、構造的危機の性格を理解し、その結果「わたしたちの歴史的諸選択を」判断することが可能になるような「知的枠組みを再構築することである。」
「いったんその諸選択を理解したならば、わたしたちは勝つという保証なしで闘争に加わる用意をしなければならない。」なぜなら、〈いつかは勝利する〉という幻想こそが有害だからである。「幻想はただ幻滅を育て〔…〕政治的関心をなくさせる」。(pp.149-150.)
『わたしたちの戦術〔…〕――知的,道徳的,政治的判断――は、直接的で明瞭なものでなければならないと同時に、〔…〕巧妙で中期的なものでなければならない。わたしたちは、詐欺的な相手に油断しないようにし』つつ、『わたしたちとは背後関係も要求も傾向も〔…〕利害も共有しない同盟者たちの根本的な善き信念を信頼することを求められている。〔…〕
Kwanzaa Harambee ! ©www.seminspirationals.com.
権力を持った人々は〔…〕その特権を譲り渡す』ことは『絶対に〔…〕ない〔…〕。時に彼らは権力の一部を譲歩するが、しかしそれは大部分の権力を維持するための戦略〔…〕にすぎない〔…〕。権力を持った人々は、現代〔…〕におけるほど強力で豊かであったことはこれまでにない。そして、権力のない人々は〔…〕現代ほど貧乏であったことはない。〔…〕両極化はこれまでで最大であり、そのことは、特権をみずから誇りを持って放棄することが、最も可能性の少ない結果であることを意味している。』
ウォーラーステイン,松岡利通訳『ユートピスティクス』,1999,藤原書店,pp.150-151. .
そう言えるとしても、そのことは、特権を手放さずに生き延びようとすることが、特権者にとって、容易なわざであるとか、苦痛を伴わずにできるとか云うことを意味しない。システムの「カオス的状態〔…〕は、生き延びることが愉快でもなければ、その軌道を予期することもまったくできない状況である。」(p.151.)
『新しい秩序は、50年間にわたるこのカオスから現れるだろう、〔…〕それはその間に、すべての人――現在のシステムで権力に就いている人々も権力のない人々も――がなすことの相関関係として形成されるであろう〔…〕。結果がよりよいものとなるか、より悪くなるかについて、わたしは予言もしないし、予言できない〔…〕。しかしながら、わたしたちすべてにとって実際に・より役立つかもしれない種類の組織や、わたしたちをその方向に動かすかもしれない種類の戦略にかんする議論を、鼓舞しようとすることは現実的である。そこで、〔…〕ケニア独立当時のスローガンに言うように、 harambee〔助け合おう〕!』
ウォーラーステイン,松岡利通訳『ユートピスティクス』,1999,藤原書店,pp.151-152. .
こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!