フェルディナント・ラサール。1863年「全ドイツ労働者同盟」を結成、64年にかけ

てプロイセン宰相ビスマルクと秘密裏に数回会談し、労働組合の団結権保障、

社会保険制度創設などの社会政策を進言。ビスマルクは、ドイツ帝国成立

(1870年)後にこれらを実現した。社会保険は、世界最初にドイツで創設された

Farblithographie um 1870. ©Deutsches Historisches Museum, Berlin.

 

 


 

 

 

 


【19】 「相対的に民主的で平等主義的なシステム」

―― 「差別」と能力主義

 

 

『人種,ジェンダー,民族 ネイション についての不平等は、どうなのか。〔…〕無限の資本蓄積の優位を除去することが、自動的に、人種,ジェンダー,民族の平等を保障すると言うつもりはない。〔…〕が、不平等の最も有力な理由の一つを除去するだろう〔…〕。そうすれば、〔…〕本当の仕事が始められる。〔…〕経済的な恐怖の除去――〔…〕少なくともその軽減――によって、残忍な要因は〔…〕消滅するだろう。

 

 〔…〕現在のシステムの枠内での地位と報酬の分配に関する〔…〕現実とは、仕事の割り当てや実際の生活の質が〔…〕、人種やジェンダーや民族』のせいで『強く偏っているということである。

 

 現存システムの擁護者たちは、これは単に〔…〕能力主義『結果であり、この基準は道徳的に高潔な分配様式』だと言う。『他方、批判者たちによれば、能力主義は、分配の偏り〔…〕を隠すものであり、その偏りは、候補者がスタートラインに立つずっと前から、』貧富と教育不均等によって『競争能力に影響を与えるというのである。

 

 両者とも事実上正しい。能力主義はたしかに民主化を進める圧力であるが、現在のシステムではトランプのカードは不正に切られているのである。〔…〕どのようなテストも能力を識別するには限界のあるしくみであ』る。

ウォーラーステイン,松岡利通訳『ユートピスティクス』,1999,藤原書店,pp.129-131. .

 

 

 つまり、ウォーラーステインは、人間の能力が平等ではないこと、どんなに社会を改善しても、個々人の能力に過不足があることは変えられない、という認識を出発点としているのです。そして、社会の「効率性」を儀夝にしないのであれば、より能力の高い人に・より活躍する機会を与えるシステムにする、という要求を無視することはできません。

 

 その一方で、たとえば、黒人の家庭や貧困な家庭に生まれると、教育の機会に恵まれず、結果として低い社会的地位に甘んじなければならない現在のシステムは、公正でも「高潔」でもありません。そこでたとえば、アメリカの一流大学では、男女別に,また「エスニック」ごとに入学試験の合格基準に差を設けて、女性や黒人の合格が容易になるような措置をとっています。

 

 しかし、ウォーラーステインは、このようなやり方には批判的であるようです。富裕なエリート層が知識と権限を握って社会を事実上支配し、貧困な「その他おおぜい」が彼らの意向に従わざるをえない、そういう現存のシステム〔一流大学は、それを再生産する機関です〕には手を触れないで、「差別」の外見だけを緩和してすまそうとする〔しかも「効率性」を毀損する〕やり方に、ウォーラーステインは賛成しないのだと思います。

 

 彼が (6)【18】 で述べていた「職業選択の自由」を保障するシステムは、それが効果的に機能すれば、このような「差別社会」のしくみを根本的に変えてゆく可能性があります。

 

 しかし、ウォーラーステインはここでは、より現実的な方策〔「差別社会」が改革された後でこそ、本来の機能を発揮する方策、とも読める〕を提案しています。たとえば、100人の人にテストを実施して、仕事上の地位や資格を分配する場合、点数の多い順に先頭10人,最下位10人,その他80人という3つのグループに分ける。先頭グループには高い地位・資格を与え、最下位グループには与えない。残った中間的な地位・資格は、80人のなかから「無作為に〔クジビキなどで〕分配する」というのです。

 

 

『わたしが提起しているのはユートピアではない〔…〕ことを想起してほしい。わたしは、より大きな実質合理性にいたる道を提起しているのである。

 

 

ハーヴァード大学。 ©Harvard.edu.

 

 

 不平等を真剣に削減するには、多くの集団的な仕事が必要であろう。それ』でも、『差別が、現在のように史的システムの働きにとって根本的なものとして存続する代わりに、たいして目立たなくなるような社会的世界を心に描くことは、本質的に可能であろう。

 

 今日、差別はいたるところで社会生活を毒している。それはわたしたちの精神構造を支配している。〔…〕これらの不平等は、既存の世界システムの枠内では〔…〕解決〔…〕できない。幸運なことに、このシステムは消滅しつつある。問題は、何が出現しようとしているのか〔…〕である。』

ウォーラーステイン,松岡利通訳『ユートピスティクス』,1999,藤原書店,p.132. .

 

 


【20】 「相対的に民主的で平等主義的なシステム」

―― 福祉へのアクセスと特権官僚制

 

 

両極化の終焉〔…〕は、差別を、根深く腐食性のものから、相対的に〔…〕限定された影響力しかもたないものに変換することを意味する〔…〕。階級差別がもたらす3つの最大の結果である  教育, 健康サーヴィス, 安定的な生涯収入保障 に至る機会の不平等が克服できない〔…〕理由はない。これら3つの必要物㋠,㋷,㋦――ギトン註〕すべてが、商品経済的に』ではなく『非営利の組織によって提供され、集団的に支払われるようにすることは、困難なことではないだろう。今日わたしたちは、水の供給や多くの国の図書館でそれを実践している。〔…〕商品経済化と違った方法で集団的な費用割当ての問題を解決する多くの方策がある。そのような社会的決定は避けられないし、避けようとするべきではない。

ウォーラーステイン,松岡利通訳『ユートピスティクス』,1999,藤原書店,pp.132-133. .

 


 日本の場合、この部分については別の説明が必要かもしれません。日本では、 については公立学校が、 については健康保険制度、 は厚生年金・国民年金があって、制度としてはすでに整備されています。ところが現在、これらいずれもが(主に財政的な問題で)危機にあり、縮小されるか、↑上の話とは逆に「商品経済化」され・「営利組織」によって代替されようとしています。

 

 その根本的な原因は、これらの制度を乗せている社会全体の組織が、これらのしくみに適合した非営利的システムではなく、むしろこれらの制度の理念に反する「資本主義システム」、しかも今や危殆に瀕した「資本主義システム」であることにあります。システムは、「利潤圧縮」の捌け口を求めて、「万物を商品化する」圧力を強めています。かんたんに言えば、これら非営利の制度が、「利潤優先」の社会体制のなかで営利団体と張り合って、やっていけるわけがないのです。しかも、瀬戸際に追いこまれた営利団体が・生き残りをかけて血まなこになっている時代であれば、なおさらのことです。

 

 解決の道はただ一つ、「営利」から発想を転換して、(まもなく時代遅れになる)営利企業を儀夝にすることをも厭わずに、公平な「集団的な費用の割り当て」方法を模索することです。

 

 

Johann Bahr『機械工場での事故』原:モノクロ・スケッチ。Leibzig, 1889.

"Illustrated Newspaper" Nr.2402.  ©Otto-von-Bismarck-Stiftung.

社会保険は、1880年代にドイツ帝国で世界最初に創設された。

 

 

 しかし、ここでさらに重要なことは、ウォーラーステインは、これらの制度の担い手として、「国家」や地方自治体のほかに《非営利の民間団体》を想定していることです。

 

 ウォーラーステインが、国営・公営に頼ることなく・《非営利の民間団体》に期待を寄せているのは、「ノメンクラツーラ」〔共産党独裁国家の特権幹部〕が形成されるのを防ごうとするからです。

 

 

『ノメンクラツーラの形成は予防できるだろうか。役所が、もはや  教育, 健康サーヴィス, 生涯最低所得保障 のためのよりよい機会を〔…〕迅速に保障する唯一のものではなく、また、利潤を追求する経済組織のための販売代理店ではないとしたら、何がノメンクラツーラの特徴となるだろうか〔役人は、特権者でもエリートでもなくなるだろう――ギトン註〕

 

 わたしたちは初めてマクス・ウェーバー的理想、つまり公平な市民施設を実際に創設できるかもしれない。すべてのメンバー〔役人に代わって公共施設を交代で運営する市民のような?――ギトン註〕は、現在の参加理由と違って、労働の満足が得られるためにそれに参加するのである。

 

 もちろん、ノメンクラツーラの形成を避ける本質的な要因は、真に民主的な一連の政治組織ができることであろう。そしてここで、〔…〕任期期限付きの行政府(limited terms of office)というアイディアが、非常に有益になるかもしれない。しかし、大多数の人々〔国民,住民――ギトン註〕が、政治的意思決定においてかなりの影響力を』みずから『持っていると感じないかぎりは、何の意味もないであろう。』

ウォーラーステイン,・松岡利通訳『ユートピスティクス』,1999,藤原書店,pp.133-134. .

 

 

 つまり、現在のように、住民が、たまにはリコールや住民投票で、直接みずから行政に参加した気になる、という程度では足りない。もっと “手ごたえのある” 市民参加が日常的に行なわれるようにならないと、どんなに民主的な政治・行政制度を作っても機能しないだろう、というのです。

 

 政治・行政への住民の「広範な参加をいかに獲得するか」という問題は、「ゆがめられることのない」住民の「参加意識をいかに獲得するか」という問題にほかなりません。現状では、「大量の投資によって方向づけられ」た「メディアのキャンペーン」によって、市民は政治参加に駆り出されているのが実情です。(「投資による方向付け」とは、特定の方向への世論操作としてなされるものに限りません。むしろ多くの場合は、大衆がある方向に動くこと自体が利潤を生むのです。だとすれば、できるだけ極端で・目立つ方向が大衆を動かしやすい。右か左かは、その時次第です)

 

 

2022年9月25日、社会主義国キューバで、同性婚と養子縁組など家族法案の賛否

を問う国民投票が実施され、66.9%の賛成で承認された。↑ハバナで投票する

ディアスカネル大統領。 ©Estudios Revolucion - ロイター.

 

 

 もし、現状のシステムが将来において「非営利」を中心とするシステムに取り替えられたら‥、もし「無限の資本蓄積」がなくなったとしたら、そもそもメディア・キャンペーンに投資するような大量の資金が遊離して存在することもなくなるのではないか。他方で、「今日の情報流通における技術進歩を前提と」すれば、「競合する観点のあいだに」資金力の格差が無いような方法で「事態が組織される」ようにならないだろうか。

 

 「このことは、真の民主主義意識を保障するには十分でないかもしれないが、一つの始まりとなるだろう。〔…〕この種の史的システムを建設するための本当の仕事は、〔…〕まだ始まったばかりだと言えよう。」(pp.134-135.)

 

 


【21】 「相対的に民主的で平等主義的なシステム」

―― 生物圏の維持,社会的費用の評価と負担

 


『生物圏の維持に関しては、その達成のために一つの単純で実行可能で必要な要因がある。わたしたちは、〔…〕全費用を内部化するように、すべての生産組織に要求しなければならない。〔…〕

 

 特定の生産活動が生物圏に〔…〕及ぼす結果については、なおも見解の相違が残るだろう。科学的に決定的な答えは無い。結局のところ、これらの問題は政治的選択にゆだねられる。〔…〕それはしばしば現在と未来の消費のあいだ〔…〕、世代のあいだでの選択であり、全人類のうちの・ある範囲』の人々の『リスクと〔…〕別の範囲』の人々の『リスクと間での選択である。』決定は、それによって影響されるすべての人を含めて民主的になされるべきである。

 

 根本的な問題点は、社会的費用を慎重に評価することであり、〔…〕どのようにすれば評価が真に集団的なものになるかということである。』

ウォーラーステイン,・松岡利通訳『ユートピスティクス』,1999,藤原書店,pp.135-136. .

 

 

 したがって、同様の「社会的費用」の評価と負担の問題は、たとえば「健康の費用」に関しても存在します。「健康の費用」――たとえば健康保険料負担は、健康の弱者である子供たち・老人たちのために、比較的健康な労働年齢人口が負担すべきだろうか。それとも、老人にかける費用は必要最低限度まで切り下げて、少壮人口の負担を軽減すべきだろうか。その選択は、「現在のシステムでは〔…〕個々人の利己主義〔…〕を基礎になされる。」そうしてなされる決定は、「費用が上昇し、民主主義と平等への社会的要求が高まるにつれて、〔…〕ばかげた不合理なものに見えてくる。」

 

 じっさいに現在、そのような趨勢が高まっていることは世界〔少なくとも中進国以上〕共通の現象なのです。それを、“保守的な政治家の福祉切り捨て政策だ!” と攻撃してすましていれば、リベラルな人びとは多数の信頼を得られなくなるでしょう。

 

 

マグロ。世界中で重要な食用魚とされているが、食物連鎖の高次に属するため、

クジラ,アザラシ,サメなどとともに、現在では種の生存が脅威に曝されている

 


『しかもわたしたちは、どのように』して、『これを集団的に評価するのか。決して無制限ではない・私たちの資源の割り当てにかんして、何が実質合理性なのか。〔…〕それは、できるだけ多くの人々をふくむ開かれた広範な議論なしにはわからないのである。

ウォーラーステイン,・松岡利通訳『ユートピスティクス』,1999,藤原書店,p.137. .

 

 

 

 

 

 

 こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!


 

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