ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992-95年)。破壊されたサライェボ西郊、

Dobrinja地区、1996年6月16日撮影。 ©US Army / Wikimedia.

 

 


 

 

 

 


【8】  庶民が直面する困難 ―― 国家と警察

 


 「警察力という構想〔…〕は、たかだか 19世紀初めに生み出されたにすぎない。」人びとの私的な「個別の警察行動や、自警行為を必要とした・恐怖のふんいきを終らせるために着想された〔…〕。この構想は、世界システムのいたるところに広がって、第2次大戦が終ってからの 25年間に〔…〕最高に効率的であった。いまや、その傾向は」逆転している。つまり、〈自警組織から警察力へ〉という 19世紀以来の推移傾向は、いまでは、〈警察力から自警組織へ〉という傾向に変わっている、というのです。

 

 「犯罪が蔓延する」と、犯罪行為そのものよりも「犯罪行為」に起因する「大衆の反応のせいで、国家を衰弱させる作用がある。」その結果、人びとの国家に対する「いらだち」がつのるだけでなく、国家に個人の安全を保証してもらうために「税金を支払うことに、人びとは〔…〕利益を感じな」くなる。

 

 「しかし、〔…〕それ以上の問題がある。犯罪率が高まり自衛が増加するにつれて、警察力」は、より強く力を用いるようになり、これまでよりも「自制」しないようになる。「違法な犯罪行為と、違法な警察行動のあいだの」距離は、近づいてゆく。「初期には警察の行動を正当とみなしていた集団」、たとえば政治的「右翼」や保守主義の人びとが、警察に対して「より懐疑的になり」、中傷するようになる。(pp.89-91.)

 

 


【9】  庶民が直面する困難 ――「エスニック抗争」

 

 

 「エスニック」というと料理のことしか思い浮かばないのは、まことに貧困な意識です。

 

 「エスニック」ないし「エスニック集団」「エトノス」とは、国家への所属とは無関係に見た場合の「民族」のことです。たとえば、アメリカ合州国の国民は、ひとつの「ネーション」ですが、アメリカ人という「ネーション」は、アングロ・サクソン系,ユダヤ系,フランス系,アフリカ系,ラテン系,日系,中国系など、さまざまな「エスニック集団」からなっています。クルド人は、トルコ,シリア,イラクなど複数の国家にまたがって存在するひとつの「エスニック集団」です。

 

 「民族」という日本語は、「ネーション」の意味で使われる場合は「国民」とイコールですが、「エスニック」の意味で使われる場合もあります。この場合は、「種族 gent[仏語]」と云うほうが誤解を招かない。が、残念ながら「種族」という言い方はまだ一般的ではありません。

 

 しかし、ここでのウォーラーステインの把え方は、以上のような「エスニック」の概念を踏まえながらも、独自のものです:

 

 「エスニックの抗争は、近代世界の中心にある現実として」比較的最近になって「再発見され」た。「10年ほど前〔1987年頃〕までの一般的な言説によれば、エスニックの抗争は〔…〕近代以前の遺物」だとされた。ところが現在では、過去の遺物どころか「世界システム」の各地で多発しており、「近代世界システムによって生み出された現象」だと考えざるをえなくなっている。

 

 つまり、ウォーラーステインは、20世紀末以後の世界で顕著になった新たな様相の内戦:レバノン,ボスニア・ヘルツェゴビナ,アフガニスタン,ソマリア,ルワンダ,北アイルランドなど――を念頭においているのです。

 

 

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992-95年)。ボスニア・ヘルツェゴビナ、

Vitez 周辺で刹戮された儀夝者の遺体。1993年4月。

国連ユーゴスラヴィア国際刑事法廷・提供。© ICTY / Wikimedia.

 

 

 「エスニック」は、自然に存在する集団ではなく、政治的に意識的に作り出されたものであり、「何らかの排他主義的な表現(宗教,言語,推定上の共通の血統など)で自らを規定」して、しばしば相互に「残忍な戦闘行為」や刹戮を行なう。

 

 「エスニック」の当事者は、古い伝統を持ち出して自らの結束を強めようとしますが、すくなくとも、そのような集団が長期間にわたって敵対していたような事実は無いのです。ごく最近まで、住民のあいだに・はっきりした区別はなかったか、たとえ宗教などで区別があった場合でも、長期にわたって平和共存していた場合がほとんどです。歴史的に、「エスニック」のあいだの離合集散は、ふつうの現象です。 「エスニック」は、「近代の国家機構の枠組み内で主張されるアイデンティティである。」しかも「たえず作り直されるアイデンティティである。」

 

 現代のエスニック紛争に驚いた政治学者やジャーナリズムが、それを、「エスニック」間の過去の敵対や歴史的事件で説明しようとするのは「無意味な行為である。」そういった「エスニック」の歴史の「再構成」は、現代の紛争当事者が「エスニック」の神話を創作して住民の「動員〔…〕を進めるため」のアイデンティティ政治なのである。

 

 「エスニック」のアイデンティティは、「国家機構が、最小限度の公正さ」も保障できなくなって「正統性を喪失した場合」に、「尖鋭的で戦闘的になる。」したがって、「エスニックな紛争が増加することは、国家正統性が失なわれていくことを示す主要な指標である。」

 

 現在の「エスニック」紛争は、「世界システムが 19世紀初めから 20世紀半ばにかけて経験したナショナリズムの高まり」とは「比較できない」異質なものである。「ナショナリズムは、〔…〕国家志向であり、領土に関心をもっていた。自らを、「帝国主義的」な強国や「大君主」と「区別する必要がある」時にだけ「エスニックな調子を帯び」たにすぎない。「ナショナリズムは、フランス革命とロシア革命の伝統を掲げた。」

 

 ところが、「現在、エスニックな浄化〔同一の「エスニック」に属さない「不純」な分子を、地域から排除すること〕を唱える者たちは、明らかにこの伝統を拒否して行動している。」彼らは「進歩」を求めるのではなく、「回復されることのない過去の栄光を」目標にしている。「紛争が血なまぐさいだけでなく〔…〕終結不可能なのは」、そのためである。

 

 しかし、このような現象は、けっして「貧しい諸国民〔…〕遅れた民族〔…〕未開の」人々にのみ現れる現象ではない。彼らより「文明的だと思っている、より富裕な諸国民」にも、こういう「死に物狂いの」アイデンティティ紛争が現れている。北米・西欧で起きている「移民」という「野蛮人」の排斥、「人種差別主義の抬頭」に、それが現れている。(pp.92-96.)

 

 

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992-95年)。破壊されたサラエヴォの国立図書館

で演奏するチェロ奏者ヴェドラン・スマイロヴィチ。1992年。 ©Wikimedia.

 

 


【10】 世界の「両極化」による3つの「爆発」

――「原理主義」

 

 

 21世紀に入ると、「コンドラチェフ波の上昇」がふたたび始まり、「生産と雇用の拡大」がおこり、資本主義世界システムは、「投資と資本蓄積の好機」に恵まれるだろう。アメリカ,EUをはじめとする諸勢力の競争は激化する。しかし、この競争は、従来の「世界システム」の成長局面とは決定的に違う様相を伴なう。それは、「前代未聞の水準での世界の両極化」である。

 

 しかも、従来の「世界システム」において・大衆の不満を宥 なだ めて国家機構の瓦解を防ぐ役割をしていた「改良主義」運動や「古い反システム運動」は、大衆の幻滅に遭って、いまやほとんど消滅している。したがって、21世紀における「両極化」の影響は、「著しく爆発的なものになるだろう。」

 

 「この爆発は、すくなくとも3つの形態をとる」。 原理主義運動。 軍備の世界的拡散。 世界の富裕な地域への「移民」。これらの「いずれもが、〔…〕構造的危機〔…〕の時代にはつきものの遠心力を引き出す」。

 

 「そうなる一つの要因は、〔…〕進歩の必然性というイデオロギーが正統性を喪失したことである」。「わたしたちは、とりわけ非中核地域において、非常に強い運動が、資本主義世界経済の基本的根拠」である「無限の資本蓄積」――それが近代システムにおける「社会組織の統治原理」であった――「を全面的に拒否しているのを見るだろう」。

 

 「 原理主義」と大ざっぱに呼ばれているさまざまな運動は、資本主義世界システムが持っていた「歴史的進歩」と「技術発展」にたいする信頼を、「どんなものであっても〔…〕拒否し、〔…〕現存システムと知的に折り合う〔…〕どんな様式をも拒否している」。その点で、「マルクス主義」より「はるかに強力」に資本主義を拒否している。

 

 「原理主義」は、「しばしば宗教的な言語で〔…〕装っているが」、それらの基礎にあるのは、このような「西欧の近代資本主義的精神に対する理論的な拒否」である。「この現象は決してイスラム世界に限定されてはいない。」それが「大衆の広範な支持を得て」広がっているのは、「古典的な反システム運動」,マルクス主義,社会民主主義,福祉国家など・「西欧的」なものすべてが、「現存の世界システムに固有の両極化を克服できない」と判明してしまったからである。

 

 「原理主義」が「共通して強調するのは、世俗的な国家という考えそのものへの敵対」である。「その結果、ますます激しく反国家主義が喧伝されることになる」。トランプを支持する「ディープ・ステイト」陰謀論などは、先進国におけるその典型であろう。

 

 これらの運動には、世界システムを変革するような契機は見出せない。一部は資本主義的「世界システム」に組み込まれるだろう。全体として「世界システム」を分解する作用のみ及ぼすだろう。「世界システム」の側から見ると、これらの運動によって「グローバルな利潤が圧縮され、改良主義的リベラリズムにたいする〔…〕幻滅が」深まり、「世界システム」の構造は、「かなりの破壊」を加えられることになる。(pp.97-100.)

 

 

砲兵総合軍官学校を訪れ、砲実弾射撃訓練を視察する金正恩委員長。

2014年10月、©朝鮮中央通信 / 聯合ニュース。

 

 


【11】 3つの「爆発」―― 軍備の「民主化」;「移民」

 

 

 第2に、「軍備の民主化」、すなわち、グローバルな・軍備の拡散は、「世界システム」の「さらに大きな分解力となる」。

 

 「核拡散を止めることはできない。」ウォーラーステインは、1997年のこの時点で「核兵器を持っているか、すぐに製造できる諸国は、公式の6か国以外に1ダースはある」と言い、「次の 10年にはさらに 20か国増える」と予言していました。この増え方を及ぼせば、現在の(日本のような「すぐ製造できる国」を含めた)核保有国は 78か国程度となります。‥‥そんなに多いとは思えませんが、しかし〈政府以外の「核兵器保有者」がいる国〉まで含めれば、数十か国という推測は、ありえないものではないでしょう。というのは、核兵器のみならず、細菌/化学兵器などが「すでに非国家集団の手にある」と言われて久しいのが現在です。日本の「オウム真理教」が、化学兵器を自前で製造・使用したことは、なお記憶に新たなことでしょう。

 

 つまり、「強力な国家が弱小な国家よりも」軍事的に強い、という状況は、昔も今も変わりませんが、にもかかわらず、「弱体な諸国」や「中間的な諸国は、今ではしばしば強力な諸国に損害を与える」ことができるほど「強力である」――のが、21世紀の新たな事態なのです。ドローンや、携帯可能な重火器、またサイバー攻撃の諸手段、といった兵器の進歩が、これに拍車をかけています。

 

 「非中核地域にある」諸国のなかから、強大国に「軍事的に挑戦する」国家が現れる――にちがいないとウォーラーステインは予言していますが、現在では、それはもう常識と言ってよい現実です。この事態が、「近代世界システム」および「インター・ステイト・システム」の存続に重大な脅威とならないことはありえません。

 

  「貧しい諸国から豊かな諸国への移民」は、「資本主義​​​世界システム」が受けている「最大の挑戦」です。「うたがいなく、もっとも暴力的でなく、そして最も阻止することの難しい行動」だからです。

 

 「貧しい諸国から豊かな諸国への移民」は、「近代世界システム」の歴史とともに 500年にわたって続いてきた現象です。今日、それが激しい圧力となっているのは、「最近の 50年間に輸送機関が改良されたため」であり、かつ、世界の「経済的・社会的〔…〕両極化」が、これまでになく大きなものとなっているためです。どちらも、資本主義世界経済が発展すれば必然的に起きてくることです。

 

 「汎ヨーロッパ諸国圏は、〔…〕移住者の現実の流入〔…〕を止めることができない」が、「移住者が[市民]と違って何の政治的・社会的権利も持たない」ように、また、「低収入の職業にしか就けないように〔…〕政治組織を整備し」て対処することができる。こうすれば、「中核」諸国は、「世界経済」の不等価交換システムの流れを遡行しようとする「移民」の動きを、むしろ逆手にとって、彼らの労働の果実を――数千 km 隔ててではなく――間近にもぎ取ることができる。

 

 しかし、そのようにして滞留する「無権利者」の数が膨大なものとなった場合には、「内乱が発生する」。また、彼ら「移住者」に対して、もともとの「中核」住民――さらに、先に来たことで先取特権を主張する「先移住者」――のなかから、「人種差別主義者つまりエスニック的純粋性を追求する」人びとの「移民排斥」運動が高まり、両者の暴力的衝突が「中核」国の社会を危殆に陥れる。

 

 こうして、「移民」に関しても、㋑,㋺ と同じく、「世界の両極化」の帰結は、国家にたいする信頼性の喪失、国家の「正統性」喪失であり、「近代世界システム」の「国家間システム」の機能不全と混乱である。(pp.101-104.)

 

 

モンス・デジデリオ(François Nomé)『偶像を破壊するユダのアサ王』。 

first half of 17th century.   ©Wikimedia.

 

 


【12】 3つの「爆発」――「わたしたちがつくる世界」

 


『このように見れば、私たちが問題にしているのは、もはや〔…〕遠く離れた地域にいる原理主義者や〔…〕ならず者国家〔…〕ではなく、資本主義世界経済の心臓部における深刻な不安定さだということが分かるだろう。資本主義的企業家は、利潤の圧縮について思い悩む〔…〕のみならず、個人の安全についても思い悩まねばならない

ウォーラーステイン,松岡利通訳『ユートピスティクス』,1999,藤原書店,pp.104-105. .

 

 

 「資本主義世界経済」という史的システムは、「重大な危機にある。」

 

 

『無秩序と混乱と崩壊の現在、および来るべき時代にかんして、3つのことが強調されるべきである。第1に、〔…〕生き抜くには恐ろしい時代であろうが、永遠には続かない〔…〕。混沌とした現実は、それ自体で新しい秩序あるシステムを生み出す。〔…〕

 

 留意すべき第2〔…〕は、複雑性の科学によれば、〔…〕カオス的状況のなかでは、結果は本質的に予測できない、ということである。〔…〕

 

 第3のことがらは、〔…〕システムが均衡から懸け離れているときには、〔…〕小さな変動が大きな効果を及ぼすことができるのである。〔…〕

 

 システムが正常に機能している時には、構造的な決定論が・個人や集団の自由意志にまさるが、しかし、危機と転移 トランジション の時期には、自由意志の要因が中心になるということである。2050年の世界は、わたしたちが創る世界となるだろう。

ウォーラーステイン,松岡利通訳『ユートピスティクス』,1999,藤原書店,pp.106-107. .

 

 

 

 

 

 

 こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!


 

セクシャルマイノリティ