白頭山頂上の火口湖「天池」。 朝鮮中央テレビ=聯合ニュース。
ユネスコ執行委員会は 4月10日、朝中国境の白頭山地域(北朝鮮領部分)
を「世界ジオパーク」に認定した。中国領部分は昨年認定されている。
韓国の『ハンギョレ新聞』に掲載された・米国ジョージタウン大学 Kathryn Weathersby 教授のインタヴュー。同教授は、朝鮮戦争とソ連・北朝鮮関係の専門家で、1990年代に機密解除されたソ連の文書によってスターリンと金日成の関係を明らかにした Kathryn Weathersby "Soviet Aims in Korea and the Origins of the Korean War, 1945-1950" が高く評価されています。
読む前に頭に入れておきたい予備知識が5つあります。①朝鮮戦争は、スターリンと金日成〔キム・イルソン〕が計画し開始した侵略プロジェクトであり、米国にとっては青天の霹靂、韓国の李承晩〔イ・スンマン〕にとっては「棚から降ってきたボタモチ」だったこと。②ソ連は国連「安保理」会議に欠席したため、拒否権を行使できなかったので、米国を中心とする「国連軍」が組織され、韓国側で戦ったこと。③緒戦では北朝鮮軍は韓国側に深く進入し、マッカーサー司令官の米軍は釜山〔プサン〕付近まで後退したが、仁川〔インチョン〕に上陸して北朝鮮軍の後方を突き、平壌を撃破して北朝鮮政府もろとも鴨緑江〔アムノッカン〕(中朝国境)まで追いつめたこと。④その後、中国が「義勇軍」を派遣して北朝鮮を支援したので戦局は再逆転し、最終的に現在の停戦ラインで停戦が成立したこと。⑤現在の北朝鮮では、政権の公式見解とは裏腹に、国民一般の抱く対米感情は悪いものではない、むしろ好意的であること。
①~④は、事実の認識としては、現在ではほぼ常識と言ってよいでしょう。それを、どう解釈するかは、さまざまあるとしても。
(常識以外の見解もまじえて)もう少し述べておけば、「対南侵攻」を発案したのは金日成で、スターリンははじめ懐疑的だったが、中国の毛沢東が同意することを条件として「許可」した。毛沢東と周恩来は、アメリカと戦争になることは避けられないと考えていたので、台湾海峡(彼らにとっては「国内」)が戦場となることを回避できるのであれば、朝鮮半島での対決を誘導するのは、むしろ次善の策だった。李承晩は、金日成に劣らず武力統一を願っていたが、米軍が同意しなかった。そこで、北からの侵攻は、彼にとっては願ってもないチャンスで、これを利用して米軍を引き込もうと考え、あえてソウルを「北」に明け渡して退却した。北朝鮮軍は、ソ連の軍事顧問が立てた作戦計画のもとに侵攻したが、その計画は、韓国軍がソウルを長く持ちこたえ長期戦となることを前提としていた。ところが韓国軍は退却してしまったので、北朝鮮軍は、想定外の戦線拡大を強いられて混乱した。本拠地である「北半分」の防備が手薄になっていたところへ、「国連軍」の「仁川上陸」で北朝鮮軍は二分され、中朝国境まで押しまくられてしまった。
②のソ連の行動は、さまざまな憶測を呼んでいますが、ミスや失策ではなく・何らかの意図による故意であったことは争えないでしょう。
⑤については、さまざまな著者が旅行記等で述べていますが、たとえば:⇒ テッサ・モーリス・スズキ『北朝鮮へのエクソダス』
なお、公式名称は「朝鮮人民軍」、韓国での他称は「北韓軍」または「北傀軍」ですが、この記事の翻訳に倣って「北朝鮮軍」としました。
キャサリン・ウェザズビー教授にインタビューした
=ワシントン/キム・ウォンチョル記者//ハンギョレ新聞社
「朝ロ関係は裏切りと利用でつづられた取引的な関係」
[インタビュー]朝鮮戦争研究の世界的権威
キャサリン・ウェザズビー|ジョージタウン大学教授
2025年4月11日 .
3年が経過したウクライナ戦争が朝鮮半島に残した遺産は、復活した「朝ロ」関係だ。1990年の韓国とソ連の国交樹立後に崩壊した両国関係は、2024年6月19日に相互防衛条約を通じて公式に復活した。1990年代に機密解除されたソ連の文書を通じて、朝鮮戦争におけるソ連の役割を明らかにするなど、朝ロ関係全般を長くみてきたジョージタウン大学のキャサリン・ウェザズビー教授は、両国関係の属性を「裏切り」と「利用」でつづられた「取引的な関係」と要約した。34年ぶりにふたたび互いの必要のために手を握った両国関係は、今後どのように繰り広げられるのだろうか。朝鮮戦争研究の世界的権威であるウェザズビー教授に先月19日、ハンギョレがインタビューを行なった。
「鴨緑江断橋」 🄫Wikimedia. 北朝鮮・新義州市と中国・丹東市の間の鴨緑江に
かかる鉄道橋。朝鮮戦争中の米軍の空襲で破壊され、北朝鮮側2/3が無い。
「鴨緑江断橋」は、1909年日本帝国の韓国統監府が着工し併合後に完成した「鴨緑
江橋梁」の遺構。奥に見える「中朝友誼橋」は、1943年に完成した「鴨緑江第二
橋梁」で、戦時中のため、爆撃で破壊されても橋桁が落ちないよう設計された。
↓記事では、ソ連空軍が防禦したので米軍は破壊できなかったとしているが、
接近した2橋のうち第二橋梁が残ったのは、設計の特性によるところが大きい
■「朝鮮戦争期のソ連、北朝鮮を徹底的に利用」
朝鮮戦争は韓米と朝ソの関係の基礎が形成された時期だ。この時期を経て「血盟」になった韓米とは違い、北朝鮮はソ連から何回も決定的な「裏切り」を受け、深いトラウマを持つようになったというのが、ウェザズビー教授の評価だ。ウェザズビー教授は「このときの経験は、『誰も信じられない』という北朝鮮特有の情緒を形成するうえで、強い影響を及ぼした」と述べた。
1回目の事件は、ヨシフ・スターリンの「北朝鮮を捨てよ」という指示だった。国連軍の仁川〔インチョン〕上陸作戦後、敗戦の危機に直面した金日成〔キム・イルソン〕はスターリンに助けを求めたが、スターリンは「毛沢東に聞け」と退けた。中国指導部は戦争開始前に結んだ「事前援助」の約束にもかかわらず、2週間、決心できなかった。当時の状況では2週間は非常に長い時間だった。ウェザズビー教授は「『今まさに内戦〔中国の「国共内戦」――ギトン註〕を終わらせたばかりで、世界最強の軍隊に対抗することはできない』という中国党指導部の反対も強かったが、さらに大きな問題は、ソ連空軍が中国軍の援護を拒否したこと」だと説明した。中国には空軍がなかった。援護なしで鴨緑江を渡るとなると、米空軍の爆撃に全滅する可能性があった。〔中国にとってより大きな憂慮は、米中戦争となって、米軍が中国本土を攻撃することだった。そうなっては、米中戦争回避の策として金日成に「朝鮮戦争」を許可した意味が無くなる。――ギトン註〕
米国との全面戦争を恐れたスターリンは、最後まで空中援護を拒否し、中国は〔ギトン註――公式の〕参戦をあきらめた。1950年10月にスターリンは金日成に「鴨緑江を越えて兵力を撤収させよ」〔※〕という電報を送った。翌日、中国指導部が電撃的に参戦決定〔公式参戦を避けて「義勇軍」を送った――ギトン註〕をしたことで、この命令はわずか1日で取り消しとなったが、この事件は金日成に大きな傷を残した。ウェザズビー教授は「最も信じていたソ連が『北朝鮮を捨てよ』という命令を下したことは、金日成にとって大きな衝撃だった」として、「1945年10月からの金日成の演説集を読むと、スターリンに対する称賛であふれているが、1950年12月からはすべて消える。その頃に非常に大きな出来事があったことがわかる」と述べた。
〔※〕「鴨緑江を越えて撤収」: 中国領への「撤収」(!)を命じたということ。スターリンの観念では、平壌の政府は、独立国というよりはソ連赤軍の前進基地であり、金日成はそこに派遣している赤軍将校にすぎなかったことがわかる。
スターリンは停戦協議の際にも、北朝鮮を徹底的に利用したという。ウェザズビー教授は「スターリンは交渉チームに『米国が提示するいかなる条件にも同意するな』という遅延戦術を指示した。朝鮮戦争の長期化がソ連の助けになる〔米軍を朝鮮半島に釘付けにして、その間に、第2次大戦の独ソ戦で疲弊したソ連赤軍を再建し、東欧衛星国群(コメコン)の軍事体制を固めることができる――ギトン註〕と判断したためだ」として、「1951年1月に東欧の政治・軍事指導部がすべて集まった場で、スターリンは『米国は2~3年間、朝鮮に閉じ込められることになる。おかげでわれわれは、再武装する時間を稼ぐことができる』と述べた」と説明した。
1952年を通じて、北朝鮮は米空軍の途方もない爆撃に苦しめられた。ウェザズビー教授は「航空機が入れない狭い谷間にある建物を除くと、すべて消失した。米国の爆撃は北朝鮮にとって、あまりにもひどいものだった」として、「金日成は1952年初頭から戦争終結を望んだが、スターリンが許さなかった。ソ連はその間に軍隊を再建した。北朝鮮が物理的に破壊される代価として得たもの」だと述べた。
ソ連空軍は「中国‐北朝鮮」補給線の維持のために、鴨緑江の橋だけは守ったが、決して鴨緑江を越えて北朝鮮領空に進入することはなかった〔※〕が、これもまたスターリンの指示だった。ウェザズビー教授は「鴨緑江の橋をめぐり繰り広げられた空中戦は、冷戦中に行われた唯一の『非公式』の米ソ空中戦だった。ソ連は飛行機に北朝鮮のマークを付け、北朝鮮軍服を着て戦った〔※〕」として、「非常によく戦った。米国はその橋を最後まで破壊することはできなかった。しかし、北朝鮮領土が米空軍に蹂躙される間、まったく保護しなかった」と述べた。北朝鮮が感じた裏切りは強く深かった。
〔※〕「ソ連空軍の自制と偽装」: 同様に、米空軍も、鴨緑江2橋梁の北朝鮮側だけを爆撃し、中国領に近い側の攻撃を細心に避けた。中国も、公式の参戦を避けて「義勇軍」を送った。米・中・ソともに、「朝鮮戦争」が世界戦争に発展することを、いかに恐れていたかが分かる。開戦直後の「安保理」へのソ連の欠席(拒否権行使を回避した)意図も、この文脈で理解することができる。ソ連は、平壌に軍事顧問団を送って作戦計画まで立てて侵略を指導したにもかかわらず、「朝鮮戦争」はあくまで朝米が勝手にやっている戦争だ、という虚構を維持しようとしたのだ。
軍事境界線東部(江原道)で鉄条網を補修する北朝鮮兵士ら
韓国軍合同参謀本部撮影 2025年3月ころ //聯合ニュース
■逆転した力学構図…北朝鮮、「弱者のテコ」を手にする
朝鮮戦争後、朝ソ関係は「逆転」する。米国によって深刻に破壊されたが、最後まで敗北しなかった「革命の象徴」になった北朝鮮に、共産圏諸国は途方もない支援を注ぎ込んだ。「米帝国主義に対抗した最前線の防御線」という地位は、北朝鮮にソ連への果敢な要求を可能にさせる「弱者のテコ」を握らせた。1960年以降の中ソ対立は、このようなテコをさらに強化した。
象徴的な場面の一つは、1968年の「プエブロ号事件」〔※〕以降の北朝鮮の態度だ。大統領府襲撃事件〔★〕の失敗後、関心を他にそらすために「ソ連と協議せず」北朝鮮が米海軍の情報収集艦を拿捕すると、ソ連は爆発した。ウェザズビー教授は「米国はソ連国境を取り巻くすべての核戦力を最高警戒態勢に引き上げ、事前に知らなかったソ連は怒りに満ちて金日成をモスクワに召喚した。しかし、金日成は『忙しい』として行かなかった」と述べた。怒っても捨てるわけにはいかないことを、北朝鮮は知っていた。金日成の代わりにソ連に行った北朝鮮の国防相は、ソ連の怒りに満ちた悪口をすべて聞いた後、「必要な兵器リスト」を差し出して受け取った。
〔※〕「プエブロ号事件」: 1968年1月23日、北朝鮮東方の元山沖(領海境界付近)で通信傍受をしていた米国の情報収集艦「プエブロ号」を北朝鮮が攻撃・拿捕した事件。「青瓦台事件」↓の2日後であり、同事件の報復,ないし眼をそらすための「でっちあげ」であることが疑われた。しかし、当時の世界的なヴェトナム反戦のふんいきのなかで、表面的には、ソ連を中心とする宣伝が成功し、国際世論はアメリカに批判的だった。
〔★〕「大統領府襲撃事件」: 「青瓦台襲撃未遂事件」ともいう。1966年以来、38度線(停戦ライン)で2回の戦闘と西方海域で韓国漁船への攻撃が起き緊張が高まっていたが、北朝鮮軍は対南工作特殊部隊を設けて朴正熙大統領と閣僚の刹害を計画、1968年1月ソウルに潜入させ、21日,日本製の背広で変装して大統領府に向かったが、発覚して 2週間に及ぶゲリラ戦となり、北朝鮮側30人,韓国側68人がタヒ亡した。
中国との関係も同じだった。1983年のラングーン事件〔※〕の直前、中国は米国指導部と北朝鮮指導部間の会談を斡旋していた。テロ計画を事前に知らなかった中国も怒った。しかし、北朝鮮を支援し続けるしかなかった。ウェザズビー教授は「仲が良くない母親と父親の間を行き来して望みのものを勝ち取る『甘えん坊の子ども』戦略」だと説明した。
〔※〕「ラングーン事件」: 1983年、金日成は、韓国大統領全斗煥の暗刹をきっかけとする対南侵攻を計画、北朝鮮軍特殊部隊に命じて,ビルマ訪問中の全斗煥一行を狙い、首都ラングーンのアウンサン廟に遠隔操作式地雷を仕掛けて爆発させた。韓国高官ら17人、ビルマ政府高官ら4人がタヒ亡したが、全斗煥は到着が遅れたので無事だった。
1989年まで続いたこのような関係は、1990年にソ連が「お金」のために韓国を選んだことで、終わりを告げた。ウェザズビー教授は「北朝鮮があらためて『誰も信じられない』ことを痛感した瞬間」だと評した。韓国との国交樹立計画の説明のため北朝鮮を訪問したソ連外相に、北朝鮮は「ソ連の独立共和国を国家承認する」「核兵器も開発する」と脅した。激怒したソ連は、1991年1月に予定されていたソウルとの関係正常化を、1990年9月に繰り上げたという。
ウェザズビー教授は「その後、ソ連は北朝鮮に『今後は、ドル・円・ポンドなどの外貨を支払って、市場価格で石油を買え』と言い渡した。ほとんど無料で与えていた石油だった。北朝鮮経済はその後、崩壊した」と説明した。
2024年9月23日、韓国に近い京畿道の農場で収穫作業を行う北朝鮮住民。
韓国仁川市江華郡にある「江華平和展望台」から撮影 //聯合ニュース
■ウクライナ戦争、その後の朝ロ関係
この2年ほどの間に朝ロ間で起きたことは、35年前の流れとは正反対だ。歴史上初めてロシアには北朝鮮の助けが必須となった。ウェザーズビー教授は「古くて長い話が、ふたたび出発点に戻った」と評した。
ウクライナ戦争が終われば、朝ロ関係は弱まるという主張もある。しかし、ウェザズビー教授は、戦争が終わってもロシアにとって北朝鮮は、引き続き有用な存在として残るだろうとみている。ウェザズビー教授は「ロシアの究極的かつ最大の敵は米国だ。韓国に米国が駐留する以上、北朝鮮は東北アジアにおいて米国の存在感を弱めるうえで、有利な位置にある。そのような点でロシアの役に立つ」と述べた。
ロシアは経済的には虚弱だが、軍事的には強い。ウェザズビー教授は「ロシア経済は弱くて規模も小さいが、過去数年間に『戦争経済』に切り替え、すべての資源を戦争能力の強化に用いた。それによって彼らは、かなりの水準の兵器技術を保有している」と評した。さらに、「その技術を北朝鮮に提供する可能性があるのは、強い脅威になりうる」として、「北朝鮮は、中国からよりロシアから、はるかに良いもの、たとえば、新しい軍事技術と産業技術を得ている。特にロシア発の新技術のなかでもドローンは、国境を接している朝鮮半島の状況においては非常に危険な武器だ。休戦ラインを越えてドローンを1機送り込むことは、本当に容易なこと」だと述べた。
大きく変容した米国が、このような変化をさらに危険にさせているとみている。ウェザズビー教授は「1990年にゴルバチョフはイデオロギー的に旧ソ連体制を放棄した。現在、トランプ大統領は、ゴルバチョフがしたことの正反対の方向に進み、同盟国を捨てている」として、「朝ロが近づくと同時に、米国が既存の同盟から抜け出ようとしており、危険だ」と分析した。
ロシアと西側の対決も長く続くと予想した。ウェザズビー教授は「現在のロシアは、宗教的な原理主義に近い民族主義で武装している。欧州は堕落しており、ロシアが『真のキリスト教を守っている』と考えている」として、「そのような考え方が存在する限り、ロシアは西側との対立をやめないだろう」と述べた。
ワシントン/キム・ウォンチョル特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
朝鮮中央テレビ=聯合ニュース
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記事のタイトルとはやや違って、「ウクライナ戦争」後も、ロシアと北朝鮮の関係は、たがいに「有用な関係」として当分は続く、とウェザズビー教授は見ています。また、(ウェザズビー氏の論文を直接読んでいないので氏の真意は不明だが)このインタヴューでは触れられていないことが2点あるので指摘したい。
ひとつは、朝鮮戦争の過程で、中国領の延辺朝鮮族自治区から大量の移住者(解放まで日本帝国に抵抗した「間島パルチザン」)があって、北朝鮮軍を強化し、戦後の政権構成にも大きく影響したと思われることです。この要因を考慮すれば、〈親ロシア派と親中派〉というお決まりの図式以外の道筋が見えてくるはず。
もうひとつは、〈ロシアと朝鮮(韓国ふくむ)は、古い友人だ〉という事実です。
1895年、日本の朝鮮公使・三浦梧楼による「閔妃虐刹事件」のあと、朝鮮王室はロシア公使館に避難してロシアの保護を受け、その後しばらくは、ロシア帝国の援助による朝鮮王国の近代化が進みます。鉄道などのインフラ整備,鉱山開発などが主なものでした。ロシアは、中心部が東アジアから遠いため、帝国主義的な力を振るうほどの進出ができなかったので、日本帝国のような破壊的な政治介入を強いることもなかったと言えます。もしもこの朝露関係が長く続いていれば、朝鮮半島と東アジアの近代史は、まったく違ったものになっていたでしょう。
しかし、日本帝国はこれを許さず、「日露戦争」を起こして、ロシア勢力を朝鮮から駆逐し、朝鮮を植民地としました。
こうした歴史を意識すれば、ウェザズビー教授とはやや異なった見通しが可能になるでしょう。なぜなら、北朝鮮の支配層と官僚には、誰よりもこの歴史認識が染みついているはずだからです。