董其昌『秋興八景図冊』のうち。清代 1620年。上海博物館。©Wikimedia.
【21】 ウェーバーを中心に ――
中国の官僚機構と「秩禄」利権
ウェーバーによれば、「ローマ帝国」や「秦・漢帝国」のような家産制国家が解体すると、ヨーロッパでは「封建制」社会が、中国では、官僚制をそなえた「秩禄制国家」が現れます。ヨーロッパでは、その後、封建的分権状態を克服して「絶対王政」国家が出現し、官僚制を構築していきますが、中国の「秩禄制国家」の官僚制は、ヨーロッパの近世・近代の官僚制とは大きく異なるものでした。その違いは、何よりも、官僚組織を構成している官吏の性格(精神)の相違に基いています。
ウェーバー『世界諸宗教の経済倫理』,Ⅰ「儒教と道教」の『第2章でウェーバーは、〔…〕中国の家産制〔…〕から生ずる官僚制の性質〔…〕を論ずる。〔…〕「官僚制〔…〕の発展は、西洋でも中国でも典型的な現象であった。しかし、官僚制〔…〕の《精神》は、中国と西洋では〔…〕非常に相違したものであった。」』その一つの現れが、中国の官吏たちの極端な《伝統主義》である。
この相違の原因を、ウェーバーは、『租税制度の違い〔つまり、中国の「秩禄制」――ギトン註〕』に見る。『全体としての官吏階級は、たしかに法外な秩禄〔※〕収入を自由に処理できるが、しかし個々の官吏は、たいていはごく短い在職期間中に「できるだけ多く官職からかせぎ出す」よう強いられた状態であった。ウェーバーは、〔…〕彼らが非常に細分化された秩禄体制に物質的に依存していたことのうちに、中国の官吏階級の極端な行政上・経済政策上の伝統主義の本質的根拠がある、と見てとるのである。』
ディルク・ケスラー,森岡弘通・訳『マックス・ウェーバー』,1981,三一書房,pp.118-119. .
註※「秩禄」: 訳文に手を入れ、Pründe, Präbende の訳語は「秩禄」に統一した。
註:「 」内は、ウェーバー『世界諸宗教の経済倫理』「Ⅰ 儒教と道教」からのケスラーの引用。
問題のカナメは、中国の官僚制が、官吏の権力が強くなることを警戒して、官吏と任地の結びつきができないように、短い任期で転任するしくみを厳格に実施したことにあります。つまり、官吏の「領主化」を防ぐしくみが、彼らの姑息な利権漁りや頑なな《伝統主義》を生む原因となったのです。
『中国では、レーエンではなくて秩禄が問題であり、また、〔ギトン註――西洋中世のような〕独力で武装する騎士の軍事奉仕が・ではなくて、〔…〕秩禄受領者たち』が取り立てて中央に上納する『物納貢賦と〔…〕銭納貢賦とが問題であった。〔…〕
中国では、既述のように、まさしく「定員内の」官吏は自由に免職し転任させることができたのであった。いやそれどころか、彼は短期間に転任させられねばならなかった。それは一部は〔…〕中央行政庁の政治的権力維持のためであった。が、そのほかに、』官職に就く『順番が当たる機会が、他の候補者たちにも回るようにとの配慮からでもあった。
全体としての官吏階級は、巨大な秩禄収入の享受を保証されていたが、〔…〕個々の官吏はまったく不安定な地位におかれており、しかも、官職の獲得(学問,買収,贈与,および「手数料」〔※〕)は彼に莫大な出費をさせ、しばしば彼に借金をつくらせたから、やむをえず彼は短い在職期間にできうるかぎり多く、官職から稼ぎ出さざるをえなかったのである。官職は財産をつくるためにあるということは、まったく自明の理で、それの過度だけが非難すべきことと考えられたにすぎない。』
マックス・ウェーバー,木全徳雄・訳『儒教と道教』,1971,創文社,pp.98-99. .
註※「手数料」: ウェーバーの言う「手数料」とは、ワイロを意味するようである。
《三彩金襴手龍濤文水注》景徳鎮窯。明代、16世紀。
東京国立博物館。©ameblo.jp/akki-art.
『官公吏は、〔…〕彼の意のままになる収入で民政と司法とのあらゆる物件的需要を支弁しなければならなかっただけではなく、〔…〕彼の非公式な幕友――その数は〔…〕最小の行政単位(県)についてさえ 30人から 300人〔…〕と見積もられており』しばしば無頼漢のような『人物から補充された〔…〕――の費用をも支弁しなければならなかった〔…〕。この幕友なしに彼は、〔…〕その地の事情に不案内な州省で行政を行なうことはできなかったのだ。〔…〕
官吏のすべての職務上の行為が〔…〕〔ギトン註――下級官吏や住民からの〕「贈与」によって補償されねばならなかった〔…〕。最下級の地位にあって直接に納税源〔…〕に接していた胥吏の〔ギトン註――住民から搾り取った〕総収入が〔…〕基金であった。下級官は彼の上司に、〔…〕とりわけ就任の際と、ついで通例の節季節季〔盆・暮れ――訳者註〕に、自己の運命に〔…〕決定的な影響力のある上司の好意を維持するために、できるかぎり高価な「贈り物」を〔…〕しなければならなかった。しかも〔…〕上司の非公式な顧問や下役どもに、〔…〕(下は門番に至るまで)十二分のチップを与えなければならなかった。〔…〕
地租〔…〕だけでも、公表税収と事実上のそれとの間の比率は、〔…〕1対4と見積もられるのである。』
マックス・ウェーバー,木全徳雄・訳『儒教と道教』,1971,創文社,pp.96-98. .
【22】 ウェーバーを中心に ――
「秩禄」利権と、「伝統主義」の硬直化
前節での引用中でも述べられていたように、「秩禄」官僚層の大きな特質は、官僚層全体としての権力の絶大さと、それとは対照的な・個々の官吏の地位の不安定と弱体さです。まさにこのことが、彼らの他律性,無責任性と硬直した《伝統主義》を生みだしているのです。
『官吏たち個人に対する中央行政庁の優越した地位が、転任の制度によって非常に効果的に保全されたことは言うまでもない。すべての官吏は、こうした持続的な・上下の入れ換えと、彼のチャンスの不断の転変』のせいで、『秩禄を得るために他の官吏と競争した。
彼らの境遇は、彼らの個人的利害の一致が不可能である結果として、上に向かってまったく不安定であった〔地位も経済的境遇も、上部の意向に全く左右された――ギトン註〕。すなわち、中国の官吏階級の権威主義的な精神的従属性全体は、そのことと関係があった。〔…〕
官吏は他郷出身者でなければならないという原則と、州省から州省への不断の転任の結果、〔…〕帝国の統一を危険にしたであろうような〔…〕各州分立主義は発展しなかった。しかし、』このようにして『上に向かって官吏を弱くしておいたことは、〔…〕下に向かっての〔…〕大きな弱み〔官吏が自分の見知らぬ土地で、土地出身者を介して行政を行なうマイナス――訳者註〕という犠牲を払って〔…〕いた〔…〕。
こうした受禄者身分の構造の・はるかにより重要な帰結が、それのもたらした行政上経済政策上の極端な伝統主義であった。〔…〕伝来の経済や行政などの方式への〔…〕いかなる干渉も、支配的〔ギトン註――官吏〕階層の・はかりしれないほど多くの役得や秩禄〔…〕の利権を侵害した。そしてどの官吏も、いつかは』その『脅かされた地位に置かれる可能性があったのであるから、そのような場合〔ある役職の利権が侵害された場合――ギトン註〕に官吏階級は、まるで一人の人間のように団結して、〔…〕役得や関税〔津税〕や租税などの制度の改正〔…〕を妨害した。
これらの〔ギトン註――秩禄,利権,役得などの〕所得チャンスは、たしかに中国では、個別的に専有されたのではなくて、』たえまなく転任・交替する『官吏たちの――全体としての――身分・に占有されたのであった。だから、全体としての官吏身分は、団結していかなる干渉にも反対し、「改革」を叫ぶ個々の合理主義的な空論家たちを、連帯して極端な憎悪でもって迫害したのであった。上からであれ、下からであれ、ただ力づくの革命しか、この点を変革することはできなかったであろう。〔…〕およそ〔…〕いかなる更新も、官吏各人の現在の・または将来可能な役得利益を危うくするかもしれなかったのだ。〔…〕
貨幣経済の実施が、われわれの期待するようには伝統主義を弱めないで、〔訳者註――かえって〕それを強化した。〔…〕貨幣経済が進歩し、またこれと均衡して国家歳入がますます秩禄化するにつれて、エジプトにおいてもイスラム諸国家においても中国においても、〔…〕「硬直化」と評価される〔…〕あの現象が現れる〔…〕。だからこそ次の事態は、オリエントの家産制とその貨幣秩禄〔※〕との一般的帰結であった。すなわち〔…〕、国土の軍事的征服または〔…〕宗教的革命だけが、受禄者利益の堅固なからを粉砕し、〔…〕新しい経済条件をつくりだすことができたが、〔ギトン註――そんなことでも起きないかぎり〕内側からの再組織のすべての試みは、かの〔ギトン註――受禄者階級の〕抵抗に遭って挫折した。』
マックス・ウェーバー,木全徳雄・訳『儒教と道教』,1971,創文社,pp.99-102. .
註※「貨幣秩禄」: ここで想定されているのは、官吏(地方官など)に対し、定額・銭納の税を割当て、その原資を人民からどう取り立てるかは官吏に一任し、過大な中間搾取を黙認する制度。古代エジプトやイスラム諸国にあったかは疑問だが、中国では、清代 1715年(~1730年以後、順次各地で)に実施された「地丁銀制」がそれにあたる。
明代の都市の賑わい。偽張択端『清明上河図巻』。17世紀。 東京国立博物館。
©note.com_かわかわ。 宋代の張択端『清明上河図』の偽作だが、
制作された明代の実景を反映する。右方に子供たちの遊びも見える。
ここで、ウェーバーが指摘する重要点は、経済の発展は、このような硬直した不合理な官僚体制の解体(ないし緩和,改革)とは結びつかない。むしろ、硬直度を高めるほうに作用する、としている点です。ウェーバーによれば、16世紀以後の中国が、同時代のヨーロッパにもまさる豊かな経済発展を遂げながら、資本主義を生み出さなかった原因は、そこにあります。
【23】 ウェーバーを中心に ――
「文人」身分の成立が、資本主義を阻害した。
以下では、ウェーバーは、清代中国の税制改革にも具体的に言及しながら、彼のテーゼを敷衍していきます。
『官吏は、中央政府にたいして(また下級官吏は州省政府にたいして)一定の租税額の引き渡しを保証したが、その代わりに〔…〕彼が現実に徴収した貢租〔…〕から〔…〕すべての行政経費を支弁して、その余剰を自分のために取っておいたのであった。こうしたやり方は、〔…〕公に承認された権利ではなかったが、事実上は〔…〕行なわれてきたのであった。
1713年のいわゆる地租の固定〔※〕は、事実上は、官吏たちにたいする王権の、財政政策上の降伏であった。というのは、事実上は』人民の負担額が固定されたわけではなく、『属州官吏たち』が『管区の税収入として〔…〕王室に引き渡』す『総額が固定されたのであって、かくて〔…〕単にこの総督たちの秩禄に対する課税額が』固定『されたにすぎなかったからである。〔…〕官吏が彼の地区の行政から得た収入は、その官吏の俸禄(Pfründe)として取り扱われ、〔…〕彼の私的諸収入と〔…〕区別されていなかったのである。』
マックス・ウェーバー,木全徳雄・訳『儒教と道教』,1971,創文社,pp.95-96. .
註※「地租の固定」: ウェーバーの説明は不正確。清代「地丁銀制」〔1715年~〕のことと思われる。明代の「一条鞭法」〔16世紀後半〕で、地税と人頭税はいずれも銀納となっていたが、清・康熙帝は、人頭税を1711年の人口数に固定し、地税に組み入れた。つまり、人口数は単なる名目で、各州県の課税割当額にすぎないことを制度上も認めてしまったことになる。人民からの実際の取り立て額も、正確に誰から取り立てるのかも、州県に一任されたことになる。
他方、「地租」に関しては、清代には全国的な土地丈量(検地)は、ついに実施できず、結果的に大半の地方では、明代の土地税額(中央への上納額)が固定された。そして、地方官(任期制の文人官吏)・胥吏(世襲の地方役人)と結託した「郷紳」層(官人地主層)の支配が強大化した(⇒:西村元照「清初の土地丈量について」1974,PDF)
『第5章では、〔…〕文人身分層が扱われる。「中国では、12世紀以来、教養によって・とくに試験によって確認された官職就任資格のほうが、財産よりもはるかに多く、社会的位階を決定したのである。」中国では、文学的教養が社会的評価の尺度とされた、〔…〕「文人」は、中国の支配階層となった。〔…〕文人身分層は、身分的名誉を主張した点で〔…〕中国文化の唯一の担い手としても、自分たちを統一体と見なしていた。』
ディルク・ケスラー,森岡弘通・訳『マックス・ウェーバー』,1981,三一書房,p.121. .
諸子百家。©kknews.cc.
ここで、ウェーバーは、「文人(読書人)」階級の淵源を訪ねて中国史をさかのぼり、春秋戦国時代の「諸子百家」から説き始めます。
『諸侯のもとで仕官することにたいする・中国の読書人の緊密な関係〔…〕活躍機会として〔…〕仕官することへの関係が、〔…〕読書人身分〔「文人」階層――ギトン註〕を〔…〕古代ギリシャの哲学者たちや〔…〕古代インドの俗人教養〔クシャトリヤ――ギトン註〕から区別した。〔…〕
封建国家の時代〔春秋戦国時代――ギトン註〕には、いろいろの宮廷は、読書人たちが仕えてくれることを求めて競い、読書人たちは権力と〔…〕収入とを〔…〕見いだす機会を求めた。かくて〔…〕流浪するソフィスト〔諸子百家――ギトン註〕の階層全体がつくられた。〔…〕主義としてあくまで仕官しない読書人も存在した。当時この〔…〕自由な読書人身分が、哲学的学派の形成と対立との担い手であった。〔…〕諸学派の対立は、かなりの部分において』軍隊は農民の兵役によるべきか傭兵によるべきか、農民の負担能力はどれほどか、力役や兵役を確実に徴収する手段いかん、といった『行政技術上の問題に根ざしていた。〔…〕それにもかかわらず、読書人身分そのものは、その身分的名誉においても〔…〕中国文化の担い手としても、統一体たる自覚をもっていた。〔…〕
中国の国家制度がますます秩禄化するにつれて〔ギトン註――つまり漢代以後〕、読書人層の精神の、さいしょはあのように自由であった活動は、中止してしまった。この全発展が、帝国の平和化〔秦漢統一王朝の出現――ギトン註〕とともに現れた。〔…〕
統一国家においては、諸侯が読書人を求めて競合する可能性はなくなった。いまや逆に、読書人とその弟子たちのほうが、現行の官職を求めて競争した。この結果〔ギトン註――官職候補者の能力を比べるモノサシが必要になるので〕、〔…〕こうした状況に適した統一的な正統学説〔…〕が生まれないわけにいかなかった。』それが、漢代以降の『儒教であった。』
マックス・ウェーバー,木全徳雄・訳『儒教と道教』,1971,創文社,pp.123,192-193. .
ここで、歴史は一気に宋以後,明・清時代に跳びます:
『秩禄体制の結果として「政治的な財産蓄積を基礎に、〔…〕不安定な階層とはいえ都市貴族と〔…〕土地貴族階層とが〔ギトン註――文人(読書人)層のなかから〕発達した。こうした階層は、封建的特徴も市民的特徴も持たず〔つまり騎士貴族でもブルジョワでもなく――ギトン註〕、むしろ官職の純粋に政治的な濫用のチャンスを見越して投機した。」』
ディルク・ケスラー,森岡弘通・訳『マックス・ウェーバー』,1981,三一書房,p.121. .
『それゆえ、〔…〕土地蓄積を含めた資産蓄積を支配していたのは、〔…〕合理的・経済的な利得〔ウォーラーステインの言う「資本蓄積のための資本蓄積」――ギトン註〕ではなくて、内政的な略奪資本主義であった。というのも、〔…〕自分らの資産を官吏たちがつくったのは、とりわけ』住民からの収奪を、中央に上納すべき貨幣税額に換算する際の “換算率” の『恣意的な決定によったからである。こうした・飼い葉桶でともに飼育〔安楽な暮らしぶりの喩え――訳者註〕される期待を、科挙試験は与えたのであった。』
マックス・ウェーバー,木全徳雄・訳『儒教と道教』,1971,創文社,pp.153,. .
モリエール「守銭奴」の舞台。©Brigitte Enguerand.
コメディ・フランセーズ 2022.
ここで私たちは、ウェーバーの言う「合理的・経済的な利得」の特殊な意味に注意する必要があります。それは、「プロテスタンティズムの倫理(エートス)」に基く「資本主義の精神」にほかなりません。ウェーバーによれば、それが、資本主義の勃興を可能にしたヨーロッパ・ブルジョワジーの精神です。
それを、ウォーラーステインのように裏側から見ると、「資本蓄積のための資本蓄積」「無限の資本蓄積」ということになります。そこでいう「資本蓄積」とは、たんに金庫に貨幣を貯めることではありません。それでは「無限に」殖えていくことはない。そうではなく、農業インフラ,工場設備,技術者の雇入れ‥などの生産力に投資することが「無限の資本蓄積」であり、「資本主義の精神」にほかなりません。そうしてはじめて、「資本」はさらに「資本」を生みだし、「無限の」自己増殖が可能になるのです。
これと対比して、中国の「文人」階級の場合は、「内政的な略奪資本主義」だと言うのです。「内政的な略奪」だという意味は、官僚制に寄生した「文人」階級の〈致富〉活動によっては、農業にも手工業にも、何ら生産力の増進はもたらされない。生産力への投資(資本蓄積)は行われない。ただ、余剰を搾り取る(そのため、農民自身による蓄積さえも阻害されてしまう)一方だからです。
16世紀以後の西洋人は、海外に出て行って掠奪を行ない、新大陸やアフリカに、フランクの言う「低開発の発展」をもたらした。が、中国の場合には、まさに対内的に、自分の国そのものから略奪した、それが、「文人」階級の「略奪資本主義」だった、と言うのです。
中国では、『純政治的な官職秩禄や租税秩禄のような〔…〕資産蓄積源とならんで、国家の御用商人や徴税請負人などの〔…〕政治的資本主義も、なるほど栄えた、〔…〕さらに、〔…〕「市場」で食っていく商人階級の資本主義さえも発展することができた。――しかし〔…〕、近代的発展〔…〕を決定した合理的な産業資本主義〔…〕は、この政体下ではどこにも成立しなかった。』
マックス・ウェーバー,木全徳雄・訳『儒教と道教』,1971,創文社,p.177. .
‥‥その理由は、2つあると言うのです。ひとつは、↑上で述べられたような「文人」階級の「略奪資本主義」です。つまり、「生産力への投資」すなわち「資本蓄積のための資本蓄積」を行なう階級が居なかったことです。
徐渭『菊竹図』、清代 16世紀。遼寧博物館。©Wikimedia.
しかし、もう一つの理由は、「政治体制の非合理性」です。産業資本(製造業など)の合理的経営は、「形式的に保証された法(法律体系,法治主義)」と「合理的な行政・司法」を必須の政治的条件とします。なぜなら、それらによって徴税や権力的干渉の程度が予測可能なものとならなければ、合理的《経営》は不可能だからです。企業家どうしで争いとなった場合に公権力の下す裁定が、形式的に予想可能なものでなければ、合理的な企業活動は不可能です。たとえば、投資から利益を予想することができません。(ケスラー『マックス・ウェーバー』,p.121.)
ところが、《帝国》国家の官吏の裁定は、ワイロに左右される。そうでなければ、まったく気まぐれな “情実” による裁定となります。中国の「律令制」も、ある意味では「法治」ですが、「文人」階級の儒教的な統治方針は、「法」の杓子定規な適用を戒め、「仁〔まごころ〕」と情実による「徳治」を理想とするものです。しばしば、「法」の規定に反することが、望ましいこととされます。西洋の形式的な「合理性」からは程遠いのです。
これもまた、「文人」階級の特性なのです。
こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!