伝ピーテル・ブリューゲル(父)「イカロスの墜落のある風景」
1582-1625年頃。ベルギー王立美術館。©Wikimedia.
【10】 近世 1450-1750 ――
政治:移行期の国家システム
『資本主義的「世界経済」の政治は、「封建的文明」のそれとはまったく違っていた。荘園を中心とするローカルな単位ではなく、国家が政治組織のキイをなす単位となった。
〔…〕近代的な相貌を呈しはじめた』国家にとって『最初の問題は、〔…〕有力な官僚制を確立することであった。官僚制が確立すれば、君主は〔…〕自己の所領からの収入に依存する必要はなくなり、税収という財政基盤を確立することができた。
君主の家政と区別できなかった封建的システムから、マクス・ウェーバーの言う・極限まで発展した官僚制度・への移行の過程〔…〕として、近世ヨーロッパの諸国は、官僚が』なかば『独立の企業家として国家と「利益を折半 シェアクロッピング」する〔…〕中間的なシステムをつくりあげた。つまり、官職売買と徴税請負の制度とがそれである。移行期のメカニズムとして、それらは際立って強靭で有効な制度であった。
国家は、新しく生まれたインターステイト・システムのなかに位置づけられ、それに制約された。このシステムは 16世紀に秘かに生まれていたが、正統化されたのは 1648年のヴェストファーレン条約でのことであった。理論上は、このシステムのなかにある国家は、すべて主権を持ち・独立していて・平等であった。しかし現実には、国力によるピラミッド状の階層秩序ができあがっており、その順位は、「世界経済」のなかでの当該国家の位置と対応する傾向が見られた。
国家の重要性が増したことと、インターステイト・システムが成立したこと』で、『長期波動〔ロジスティック波動――ギトン註〕の各局面が権力配分に与えるインパクトが決定的に変った。』
ウォーラーステイン,川北稔・訳『近代世界システム Ⅱ』,2013,名古屋大学出版会,p.xvii. .
「中世の長期波動〔ロジスティック波動〕では、A局面においては、領主の直接生産者に対する権力」も、君主の貴族(領主)に対する権力も強化され、「B局面になると、それぞれが脆弱化した。」
「近世の長期波動でも、」世界システムの「中核地域では、君主の貴族に対する権力の強化が見られたが」(絶対王政)、「周辺」地域では、君主の権力は衰退していった。たとえばポーランドでは、貴族たちの構成する「議会」の力が決定的に強まり、君主を圧倒するようになった。「半周辺」国家は、この点でも中間的だった。
アルブレヒト・デューラー「ワイン問屋」。
この関係が、領主と直接生産者との間では逆になる。「周辺」部では、「農業革命」によって領主の直接生産者に対する権力は、明確に強化された。とりわけB局面において、それは顕著だった。
ところが、「中核地域では」農業革命に加えて、君主(国家)の権力強化が事態を複雑にした。中核地域では、(絶対王政)君主は、領主を跳び越えて直接生産者を「臣民」として直接支配し、貨幣収入(税収)を増やそうとした。そのために、領主の直接生産者に対する権力は、しだいに弱体化してゆくこととなった。「この動きは、A局面では着実に進んだが、B局面ではスロー・ダウンした。」ともかく、全体として君主(国家)の中央集権的な力が強まり、領主が領民を直接支配する力は衰退した。最終的に「この過程の成果が刈り取られ」たのは 19世紀になってからである。そのとき「市民が中間権力の媒介を全面的に排して」国家を直接コントロールするようになった。しかし、「周辺」部では「そのようなことは起きなかった」。
資本主義システムが発展すると、「必然的にブルジョワジー階層が拡大したが」、これにも地域的な不均等化が現れた。ブルジョワジーは、中核地域に偏 かたよ って分布し、「周辺」部では、「少なくとも現地出身のブルジョワジーは排除されていた。」このことが、各地域・各国の政治のあり方に大きな影響を与えた。(pp.xvii-xviii.)
『文化の側面でも、同様の空間的差異が認められる〔…〕。封建ヨーロッパは、〔…〕文化の均質性をもっていた――〔…〕支配的な文化としてのカトリック教会が存在した――が、近世のヨーロッパでは〔訳者註――カトリックとプロテスタントへの〕宗教の大分裂が起こった。この分裂は、〔…〕経済面での分裂と高度に相関している。この相関は、とても偶然とはいえない。』
ウォーラーステイン,川北稔・訳『近代世界システム Ⅱ』,2013,名古屋大学出版会,pp.xviii-xix. .
【11】 近世 1450-1750 およびそれ以後――
非対称性,単一分業体制、ラチェット効果
『近世の長期波動〔ロジスティック波動――ギトン註〕は、そのまま〔ギトン註――現在まで〕繰り返されていった。もちろん、近代世界システムそのものの発展過程も見られた。地理的拡大と、新たな地域のこの「世界経済」への組み込み、従来からの独占の廃止・と新たな独占体制の基礎となる技術体系の模索・の繰り返し、着実に進む都市化とプロレタリア化、政治面での協調などが、それである。しかし、〔…〕。この世界システムの基本的な非対称性や不平等の構造は、変わることがなかった。
モンス・デジデリオ「カプリッチョ」
こうして、中世の長期波動と近世〔以降――ギトン註〕のそれとには、根本的な違いがあった。すなわち、前者の対称性に対する・後者の非対称性であり、無数の地域内分業に対する・「世界経済」の全域にまたがる単一の大規模な分業体制である。
〔ギトン註――時期的な波動にかんしては〕中世のように上昇と下降〔後退,元に戻る――ギトン註〕が繰り返すのではなく、近世のそれは一種の段階のようなもので、いわばラチェット効果〔※〕のようなものが見られた。
これこそ、デュルケームのいう機械的連帯』から有機的連帯への変化である。その結果、地理的差異化・両極化は『20世紀までに著しく拡大して大きな懸隔となった〔…〕。両極化の傾向は、着実』に、かつ『しだいに加速されてい』った。
ウォーラーステイン,川北稔・訳『近代世界システム Ⅱ』,2013,名古屋大学出版会,pp.xviii-xix. .
註※「ラチェット効果」: かみあった歯車の歯がひとつ進むと、もはや逆転しないように、不可逆的な進行。主としては、いちど上げてしまった消費水準は下げにくい、という意味で用いられる〔訳者註〕。ウォーラーステインは、消費水準のみならず、人口,経済変数,社会構造の変化一般に拡張して用いている。
【12】 近世 1450-1750 およびそれ以後――
「ヘゲモニー」の成立と交替
「近代世界システム」の国家間システム(inter-state system)は、その頂点に「ヘゲモニー国家」を形成します。最初の「ヘゲモニー国家」はオランダ(ネーデルラント)で、時期的には 1625年から1675年までの半世紀間(『近代世界システム Ⅱ』,p.46.)――『Ⅱ』,p.xx. によれば 1648年~1660年代の十数年間――でした。「ヘゲモニー国家」は、ヘゲモニーを握っている時期は、このように短いのですが、工業生産を中心とするヘゲモニーを失なった後も、商業,金融,軍事,政治,文化などの側面では長期にわたって優越性を維持するのです。たとえば、オランダは日本に対しては 1858年まで、中国を除いて唯一の合法的交易国でした。同様にして、現在のアメリカ合州国も、〈ヘゲモニー喪失後なお優越権をふるっている〉状態だと言えます。
『世界システムには「世界経済」と「世界帝国」という2つの種類があった〔…〕。「世界帝国」とは、全体を支配する単一の政治構造と単一の分業体制をもつ構造である。漢帝国やローマ帝国がその好例である。〔ギトン註――これに対して、〕「世界経済」の上部構造は、官僚機構に支えられた帝国ではなく、主権を認められた国家群で構成されるインターステイト・システムである。ヘゲモニー国家は、〔…〕他の諸強国〔…〕のなかでも圧倒的に強力な超大国のことである。〔…〕「世界経済」のインターステイト・システムには、ヘゲモニー国家が〔…〕存在せず、ただ複数の強国のあいだの「勢力均衡(balance of power)」が認められる場合もある〔…〕。
フェルメール『デルフト眺望』1660-61年頃。マウリッツハイス美術館
(ハーグ)。 ©Wikimedia. ヘゲモニー期オランダの風景。
ヘゲモニー』とは、『特定の国家がワン・セットのルールを、インターステイト・システム全体に押しつけることができる状態のことである。そうすることでヘゲモニー国家は、自らが最適と考える世界政治の秩序を生み出すことができる。このような状況下でヘゲモニー国家は、国内ないし保護下』の『地域に立地した企業に、「市場」によってではなく政治的圧力によって、ある種の特別な便宜をもたらすことができた。〔…〕
オランダのヘゲモニーが衰退したあとには、イギリスとフランスがヘゲモニーを受け継ぐべく争った〔1670年前後~1815年――ギトン註〕。イギリスのヘゲモニー〔1815年~1848年ないしもう少し後――ギトン註〕の後継争いをしたのはアメリカ合州国とドイツとであった。アメリカ合州国〔のヘゲモニー:1945年~1967ないし1973年――ギトン註〕のあとは、いままさに生まれ出でつつある北東アジアの構造体――日本,韓国,中国――と、なお完全には安定しきらないヨーロッパ連合と』がヘゲモニーを争奪している。
『ヘゲモニー国家は、世界の地政学的権力の半ば独占状態を続けることができないために、結局衰退する。〔…〕
ヘゲモニー国家も市場を必要とするし〔市場とするためには、相手国の経済力強化をある程度許容しなければならない――ギトン註〕、また、「敵」を追いつめるために十分に強力な同盟国を必要ともする。〔…〕必然的に同盟諸国の経済力の強化に結びつく。そうなると、ヘゲモニー国家の他の列強にたいする生産力の優位は、消滅するか〔…〕大幅に縮小する。
ヘゲモニー』の『崩壊は、同盟諸国の経済力の強化が直接の原因となって、まず第1に経済面で起こる。〔…〕いまや、衰退しはじめたヘゲモニー国家は、政治的・イデオロギー的な策略を弄して、その「飛びぬけ」』て有利な立場『を維持しようとはかる、しかし、〔…〕しだいに困難になっていく。とりわけ、〔訳者註――共通の〕敵がたいした脅威ではないことが判明していくと、〔…〕ヘゲモニー国家だけが「飛びぬけた」利得を得ることの正当性が』問われる。『そうなると、ヘゲモニー国家は、イデオロギーに頼って正当性を主張する』ほかはなくなるが、そうすることによって『自らの主張をいっそう不利にしてしまうのである。
〔…〕ヘゲモニー国家は、軍事投資を強化しはじめる。〔…〕軍事力を行使する必要にも迫られる。しかし、軍事行動は高くつき、経済活動から資金を逸らせてしまう。〔…〕勝利したとしても、軍事行動そのものは長期的に〔…〕有効とは言えない。〔…〕ヘゲモニー国家〔…〕がそうすれば、後継争いをしている〔…〕国もそうする〔…〕からである。』
ウォーラーステイン,川北稔・訳『近代世界システム Ⅱ』,2013,名古屋大学出版会,pp.xix-xxi. .
ジャワ島住民を酷使するオランダ人。20世紀前半? ©radarmukomuko.disway.id.
ヘゲモニー国家が衰微すると、次の段階では、後継争いをしている国々――主要な2国など――のあいだで、まず「勢力均衡」が成立します。しかし、やがて「両国の抗争が猖獗を極め」、国家間秩序は破壊されて、ウォーラーステインの言う「三十年戦争」の時期に突入します。フランス革命干渉とナポレオン戦争、第1,2次大戦が、その時期に当たります。この最終局面で勝利した国――それぞれ、英国,アメリカ合州国――が、次のヘゲモニー国家の地位を獲得するのです。
後継争いには、「いくつかのパターンがあ」ります。これまでのヘゲモニー争いでは、一方は「本質的に大陸をベースと」する国家と、「本質的に海洋」をベースとする国家の対抗、というパターンが目立っています。ナポレオンに率いられたフランス、ヒトラーを指導者とするドイツは、いずれも「大陸に基礎をお」き、「世界経済」を「世界帝国」に「変えることで支配権を確立しようとした。」これに対抗する英国、アメリカは、「海洋国家」として、「帝国ではなく、ヘゲモニー国家となることをめざした」のです。「この目的のため、海洋国家は列強と同盟を組んだが、その際、もっとも重視したのは、もとのヘゲモニー国家との同盟関係であった。」英国はオランダと同盟してナポレオンのフランスに対抗したし〔ワーテルローの戦い!〕、第1,2次大戦の帰趨を決したのは、アメリカのイギリスとの同盟関係でした。(pp.xx-xxi.)
『これからすると、いま想定されている北東アジアの構造体〔中国・日本・韓国――ギトン註〕は、アメリカとの同盟関係を求めるはずである。』
ウォーラーステイン,川北稔・訳『近代世界システム Ⅱ』,p.xxi. .
じっさいに、そうなっていると言えます(ウォーラーステインがこの部分を執筆したのは 2011年)。私たちは、中国とアメリカの “貿易戦争” に目を奪われてはなりません。表面的な現象は、多くの場合、逆説と見てこそ意味があります。
『過去の2度の例では、生産面での優位が、商業面での優位をもたらし、それがまた、金融面での優位をもたらした。〔ギトン註――抬頭してきた強国が〕真のヘゲモニーが確立するのは、〔…〕この3つの層の優位をすべて確立した瞬間である。〔…〕ヘゲモニーは、衰退していく場合も、これと同じ順番で衰退〔…〕。まず生産面の優位を失い、ついで商業上の優位を失う。金融上の優位は、いちばんあとまで守られるのである。〔…〕
衰退しはじめたヘゲモニー国家が、いまや勃興しつつあ』る『国の経済活動に、本格的に投資をするのは、「バランス・オヴ・パワー」の時期においてである。このことによって旧ヘゲモニー国家は、当面のあいだ金融面での優位を保ちつづけ、その余剰資本の効果的な投資先を確保できる。〔※〕』
註※「新規ヘゲモニー候補への投資」: たとえば、衰退期のオランダは、英国に、とくにその国債に大量の投資を行なった。〔訳者註〕
ルーベンス『畑から戻る農夫たち』1635年頃。
パラティーナ美術館(フィレンツェ)。 ©Wikimedia.
『世界システムの混乱は深まっていき、旧ヘゲモニー国家は、この混乱を収拾できなくなる。〔…〕後継を争っている2つの国の対立は〔…〕激しさを増していく。〔…〕ついに秩序は完全に崩壊し、世界戦争の時代が到来する。』これを『「三十年戦争」と呼びたい。〔これまでの3度の「三十年戦争」は、それぞれ 30年,23年,31年続いた――ギトン註〕
〔…〕どの「三十年戦争」でも、イデオロギー的純粋性は追求されず、競争相手を破ることに重点が置かれた〔ナポレオン戦争で英国はロシアと組んだし、第2次大戦でアメリカはソ連と組んだ――ギトン註〕。〔…〕
争いに勝利してヘゲモニー国家となった国は、〔ギトン註――もとは海洋国家だったが〕その世界戦争中に強力な陸軍をつくりあげた。この陸軍力が、軍事的勝利の重要な要素とな〔…〕った。〔…〕
ヘゲモニー国家となった国は、戦争中、あまり深刻な物理的被害を受けていなかった。〔…〕この世界戦争が終ると、〔…〕圧倒的な経済的優位を確立した。
〔…〕戦争に倦 う み、秩序の崩壊と不安定な政治にうんざりした世界は、新しいヘゲモニー国家の「リーダーシップ」を歓迎した。〔…〕ヘゲモニー国家は、世界に〔ギトン註――新しい〕ヴィジョンをもたらした。〔…〕オランダは、宗教的寛容の精神や、国家主権の尊重や、「海洋自由」〔の国際法原理――ギトン註〕を世界に広めた。イギリスは、立憲議会制秩序に基き、「危険な階級」〔とされた下層階級――訳者註〕を政治に参加させ、金本位制を導入し、奴隷制を廃止するなど自由主義国家のヴィジョンをヨーロッパにもたらした。アメリカ合州国は、複数政党による選挙、人権思想、穏やかな植民地解放、自由な資本移動などをもたらした。
こうしたヴィジョンは、いわば一種のイデオロギーであって、〔…〕ヘゲモニー国家は、イデオロギーのために自分たちの利益の追求を控えるようなことはなかった。にもかかわらず、こうしたヴィジョンこそが、ヘゲモニー的な地位の正当性を主張する根拠とな』り、『ヘゲモニー国家が世界秩序を維持する能力の主要な源泉ともなっていた。〔…〕
ヘゲモニー国家は、その世界像に対抗する「敵」〔英蘭に対抗するカトリックとスペイン,アメリカに対抗する共産主義とソ連,‥‥――ギトン註〕が必要であった〔…〕、同盟国をコントロールするために敵が必要であった〔…〕、同盟諸国が〔…〕自国の経済的利害を犠牲にしてでもヘゲモニー国家の利害を〔…〕守ってくれるように〔…〕。そうなってこそ、ヘゲモニー確立の目的で〔…〕ある〔ギトン註――ヘゲモニー国家の〕「飛びぬけた」優位が生み出されたのである。〔…〕
ヘゲモニー国家のリーダーシップは、〔…〕文化的な側面をも有していた。オランダは、長年、亡命を余儀なくされた知識人〔スピノザ,デカルトら――ギトン註〕の蝟集する場所となった〔★〕。〔…〕この文化面の支配は〔ヘゲモニー国家は世界の文化を支配する――ギトン註〕、金融面のそれと並んで、ヘゲモニーに伴なう優位の最後の砦であった。』
註★「ヘゲモニー国家への亡命」: 英国ヘゲモニー期のロンドンには、マルクスほか社会主義者が亡命していた。ヘゲモニー期のアメリカには、アインシュタインらユダヤ人知識人が亡命した。
ルーベンス『ガニュメデスの劫掠』1636-38年。
プラド美術館(マドリード)。 ©Wikimedia.
『ヘゲモニーは、近代世界システムが作用するうえで、決定的に重要なメカニズムであった。ヘゲモニーのサイクルこそが、〔…〕景気循環のリズム〔コンドラチェフ波動――ギトン註〕を生み出すもとであった〔♦〕。〔…〕「世界経済」が「世界帝国」に転化する』ことを『防止できたのは、ヘゲモニー国家の盛衰があったからだとも言える。
近代世界システムが、人類史上最初の〔ギトン註――持続的な〕「世界経済」として生き続け〔…〕地球全体を覆うまでに拡大できたのは、ヘゲモニーのメカニズムのおかげであった。それがなければ「史的資本主義」は、生き残って世界をすっかり変容させることなどできなかったはずである。』
ウォーラーステイン,川北稔・訳『近代世界システム Ⅱ』,2013,名古屋大学出版会,pp.xxii-xxv. .
註♦「ヘゲモニーのサイクルが景気循環の原因」: 新しいヘゲモニー国家は、新規・主導産品(リーディング・プロダクト)の独占的生産によって圧倒的経済優位を獲得する〔A局面〕。その独占的地位が崩れる時に、ヘゲモニーは凋落し〔B局面〕、新たな主導産品を握った新規ヘゲモニー国家が抬頭する〔次のA局面〕。こうして《コンドラチェフ》景気循環〔周期40~60年〕が起きる。
【13】 17世紀の音楽
17世紀ヨーロッパの音楽と言えば、「バロック」中期です。「やっと西洋音楽らしくなった」と思われることでしょう。まずは、こちらを↓。シャルパンティエ〔Marc-Antoine Charpentier: 1643-1704〕『テ・デウム』から「プレリュード(前奏曲)」:
↑これを聴いても、「17世紀」は、たんなる下降・後退の時代ではない。むしろ、「近代ヨーロッパ」が足もとから踏み固まった「凝集」の時代、つまり「強化」の時代だった、ということがお解りいただけるかと思います。
「カノン」で有名なパッヘルベル〔Johann Pachelbel: 1653-1706〕もこの時代ですが、ちょっと知られ過ぎてるかもしれませんね。ここは、ぐっと渋く、コレッリ〔Arcangelo Corelli: 1653-1713〕『12のコンチェルト・グロッソ』から「第1曲」。
じつを言うと私は、このスロヴァキア室内楽団演奏のコレッリが、ほんとうに好きなんですよ。墓に入れてほしいと思っています、マジで:
こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!
John Roddam Spencer Stanhope: "The Waters of Lethe
by the Plains of Elysium" detail, 1880.