イタリア南端、アメンドレアの廃村。1950年代に洪水のため放棄された。
©BRUNO ZANZOTTERA, PARALLELOZERO / National Geographic.
【11】 『資本主義の文明』「将来の見通し」
――政治制度:20世紀後半
こうして、1914年から 1968年までは「調整」が「うまく機能して植民地解放が進み、〔…〕第三世界全体で、民族解放運動が権力の座に就く」ようになった。ところが、19世紀における ②の「調整」とは異なって、③の場合には大きな弱点がありました。②の「調整」は、〈中核諸国が植民地経済の拡大によって、周辺地域からの搾取を強化する枠組み〉に支えられていたのですが、いまやそんな枠組みは利用できません。「調整」じたいが、植民地解放を必須の内容としているからです。直接の支配ではない政治的圧力〔とりわけ「開発」名目の〕によって「不等価交換」を強めることが行なわれましたが〔新植民地主義〕、それも限界があります。
④「1970年ころには」、中核諸国の労働者をふくむ「幹部層」に割り当てる「剰余価値のシェア」をあまり減らさないで、「周辺」地域に報酬を割り振ってゆく「調整」努力は、限界に達したのです。「このころから、ウィルソン主義〔民族自決と開発主義〕は後退した。このころから[世界=経済]は下降局面〔コンドラチェフのB局面〕〔…〕に入っており、現在に至っている〔…〕」そこで、「資本蓄積のディレンマ」に対して通常行われる「調整過程がすべて見られた」が、思わしい成果は上がっていない。
その結果として、「国民国家」としての支配の「正統性」を維持できなくなる国家が――おもに周辺部に――続出する事態となった。「1970年代と〔…〕80年代には、以前の[南]における民族解放運動が政治的に崩壊し、ついで、かつての社会主義陣営の各共産党が、さらには、中核諸国におけるケインズ主義的民主主義や社会民主主義さえもが、政治的に崩壊していったのである。「現実に権力の座に就いていた」それらが崩壊したのは、「大衆の支持が無くなったからである。」
このことが、世界の保守的支配層を有利にしたとは言えない――彼らは自らの勝利のように喧伝したけれども――。というのは、大衆がそれら進歩志向の運動を支持しなくなるということは、彼らが「改良主義」への期待を放棄したことを意味する。「資本主義文明」における「国家システムの結束力の一つ」である「改良」への期待が放棄されることは、「国家の正統性」が無くなることを意味する。「正統性」を失った国家は、「政治闘争を抑えることができなくなる」からである。このことは、「共産主義」国家を崩壊させただけではない。保守/中道自由主義が支配する国家にも、大きな影響を及ぼしたのです。(本書より後に起きたことですが)欧米における極右勢力の伸長、日本等における政権の右傾化は、その現れでなくて何でしょうか?
「古典的な左翼の戦略〔要求の実現は、政権獲得まで/経済発展の実現まで「お預け」にする、等〕は、資本主義の文明の統合のための接着剤だった」。その消滅は、左翼の‥ではなく、資本主義的世界システムそのものの「悲劇」をもたらしたのです。(pp.240-242.)
王冠付き「山猫 il gattopardo」:トマージ・ディ・
ラペンドウーザ家の紋章。©butera28.it.
【12】 『資本主義の文明』「将来の見通し」
――「1968年」以後:危機の時代
つぎに、④の時期〔1968-1995〕について、別の角度から述べている部分を拾っておきたいと思います。
1968年から始まる「システム」崩壊のカオスは、多数の分岐点がハシゴ状に連なった時間的過程です。カオスとは、ⓐ小さなズレ・揺らぎが大きく異なる結果をもたらす過程であり、システムは外部からの「ノイズ」〔偶然,恣意〕によって不安定化しランダムに発散するが、ⓑいつかは特定の方向に収束する。ただし、ⓒどんな方向に収束するかは予想できない。(p.250.)
『分岐点は一つではなく、カスケード状をなしている〔…〕。最初の分岐点〔…〕1968年の世界革命〔…〕の影響は、第2の分岐点である 1989年のいわゆる共産主義の崩壊までつづき、それを含むものであった。〔…〕
1968年の革命派がまとっていた対抗文化の衣裳は、〔…〕個人の資質を十分に発揮できる方向〔…〕のなかのひとつをとくに支持し、利己的な消費拡大主義に向かう・逆の圧力を、とくに拒否したということである。
1968年に世界各地で起こった事件は、典型的に最初の分岐点の特徴を示した。』
ウォーラーステイン,川北稔・訳『史的システムとしての資本主義』,2022,岩波文庫,pp.251-252. .
「社会的な心情の揺れは」ひどく、「破裂とでもいうべき出来事」がつぎつぎに起きた。しかし、「これらの事件は、〔…〕かねて資本主義の文明を安定させる力となってきた・国家構造」の正統性にたいする信頼を動揺させ、「はじめてこれに本格的な異議を唱えた点で、」全く無意味な “騒ぎ” では必ずしもなかった。
中核諸国においては多くの場合、彼らの要求の一部は、「国の社会政策による調整で満たされ」た。満たされない部分は鎮圧された。逆に、そうした「調整」が最も少なく、もっぱら抑圧の強化で対応したのは、「社会主義」諸国であった。
周辺地域、とくに「社会主義」諸国で「調整」があまり行なわれず、それらの国々が抑圧に向かったのは、「世界的な資本蓄積」の構造が、「こうした地域には〔…〕柔軟性を与えなかったからである。〔…〕コンドラチェフ循環のB局面」の経済停滞のために、これらの国々は「厳しい財政逼迫に見舞われており」、そのため、大衆に「調整」のアメ玉をばらまく余裕などは無かったのである。そもそも「社会主義」諸国には、共産党に異議を唱えてアメ玉の必要を認識させるような・組織的対抗勢力さえ存在しなかった。
1989年12月22日頃、ルーマニア、ブクレシュティ(ブカレスト) ©ja.namu.wiki.
共産党チャウシェスク独裁政権は、17-18日にティミショアラで、抗議の市民に
発砲してタヒ者66名、負傷者約300名を出した。21日、抗議は首都に広がり、
首都でも発砲により 500人以上が死傷。22日チャウシェスクは非常事態宣言、
5万人の抗議群衆に囲まれる中、国外逃亡を試みて逮捕され処刑。アメリカは
ソ連に、「介入・鎮圧に反対しない」と通知したが、ソ連は介入を拒否した。
こうして、「東欧の共産主義政権」は、「第三世界の諸国と同じ道を歩んで、消えていった」。「共産主義の崩壊は、資本主義文明の安定にとって、1968年の諸事件以上に深刻な打撃となった。」なぜなら、「着実な社会変革による進歩の可能性」が信じられなくなり、「幻滅が広がる」ことによって、資本主義文明の堅固なイデオロギー的基礎であった「中道派の自由主義」もまた、信頼を失ってしまったからである。
共産主義とともに、「民族解放運動」も信用を無くし〔アメリカに戦勝したベトナムは中国と交戦し、カンボジアのジェノサイドを武力で抑えたが、それは反面で、欧米の理想主義者を幻滅させた〕、ウィルソンの「民族自決」はとっくに魅力を失っていた。
こうして、政治体制の正統化には大きな負担がかかるようになった。どんな政治体制であろうと、被治者の服従を得ることはますます困難になった。「進歩にたいする信頼が揺ら」いでいるからだ。「人びとは、もはや〔…〕全能の個人が歴史の主体だ、などとは信じな」いので、いまや、「集団による保護を希求しはじめている。」(pp.252-256.)
『保護を求めての争いは、すでに始まっている。しかし、国家はそれを与えることができない。〔…〕国家は資金を持っていない』し、『国家には正統性も認められないからである。それに代わって、私的な保護のための軍隊や警察機構が発展するだろう。多様な文化集団、生産団体、地方共同体、宗教団体、さらには当然、犯罪シンジケート〔マフィア――ギトン註〕によって、こうした機構が拡大させられるであろう。〔…〕
われわれは、この混沌を脱け出して、どこへ行くのか? というのは、』カオスはいつかは収束する『からである。〔…〕唯ひとつ言えることは、資本主義の文明は終りだろうということである。』
ウォーラーステイン,川北稔・訳『史的システムとしての資本主義』,p.260. .
そこで、ウォーラーステインは、「社会のゆくえ」について、「3つのタイプ」の可能性〔決して楽しくはない現実の〕を呈示しています。
その1は、「一種の新封建制度」。「地域的に限定された主権」「自給的な性格」の諸地域、「地方別の階層秩序」などを特徴とします。「平等的なシステムになることはなさそうである。だとすれば、何によってその〔システムの〕正統性が保証されるの〔…〕か。おそらく、自然の階層秩序を信じる方向への復帰であろう。」
その2は、「一種の民主的ファシズム」。「世界は、カースト風の2つの階層に区分され」る。世界人口の5分の1からなる「上のほうの階層」は、その「内部では、高度に平等主義的な分配が保証される」。彼らは巨大な「利益共同体」として・まとまりをなしているので、世界人口の残り 80% を、完全に武装解除して丸腰の「労働プロレタリアート」にしておくことができる。(じつはこれはヒトラーの構想なのだが、ヒトラーが失敗したのは、上部の階層を小さく限定しすぎたためである、と)
1993年10月4日、モスクワ。 ©イーゴリ・ゾチン / タス通信。
ロシアのエリツィン大統領は、共産党守旧派が多数を占める議会(人民代議員会議)
との紛争から、赤軍・戦車部隊に議会ビルの砲撃を命じ、多数の死傷者を出した。
第3の可能性は、「至るところで高度に分権化され、高度に平等化された世界秩序」。つまり、「民主ファシズム」とは異なって、中核と周辺の格差を全廃してしまう。「新封建制度」のように分権化するが、世界的分業の一体性は保持する。それ「を実現するには、消費支出に実際的な限界を設けることを受け入れなければならない」。そのために、「平等主義」は、ユートピアではなく、冷たい経済的現実となる。
この3つ「のほかにも可能性があるだろうか。むろん、ある。」(pp.261-262.)
ウォーラーステインがこれを書いてから、すでに 30年になります。彼の予言は外れたでしょうか? …それとも、世界はおおむね、彼の予言した・いずれかの方向に進みつつあるのでしょうか? …答えは、読者それぞれの熟考に委ねたいと思います。以上で、『史的システムとしての資本主義』は、とりあえず完考とします。
こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!