「産業空洞化」。廃屋と化したパッカード自動車工場。アメリカ合州国、
ミシガン州デトロイト。2009年10月撮影。©Wikimedia.
【39】 「近代世界システム」の危機――
資本主義システムのディレンマ
『不断の〔ギトン註――資本〕蓄積を求める過程で、資本家は、自己の産品の ①売価を引き上げ、②生産の費用を削減する方法をつねに探し求めている。』
ウォーラーステイン,山下範久・訳『入門・世界システム分析』,2006,藤原書店,p.187. .
しかしながら、①価格引き上げは、売手の自由にならない制約が多いのです。(5)【16】のグラフで見たように、たとえ完全独占市場であっても、値上げをすれば需要は減ります。需要には弾力性〔需要曲線の傾きの逆数:⊿d/⊿p〕があるからです。じっさいの市場では、「競争する他の売手の存在」と、消費者の選好行動〔お米が値上がりすれば、消費者はパンで代替しようとする〕が、大きな制約となります。
「売手」の「マーケティングは、まさにこの消費者の選択行動に影響を与え」ようとするものだが、「需要の弾力性に対しては、限られた影響力しかもたない。」パッケージ,イメージ広告,懸賞・景品などによる “非価格競争” について、マルクス主義経済学者の一部は、マルクスの「物象化」理論を援用して強く批判しています(たとえば、斎藤幸平氏)。それらは、現代の資本主義において重大な弊害を生みだしているというのです。が、ウォーラーステインによれば、それらマーケティングは、実際にはたいした効果を持たないのだという。たしかに、消費者は、はじめのうちは操られていても、しだいに賢くなっていくものです。
そういうわけで、①の対策は制約が多いので、資本家の生き残り戦略は、もっぱら ②コストの削減に向かうことになります。「生産者は通常、資本蓄積に努めるその精力の大半を、生産費用の削減」方法――別の言い方をすれば「生産効率」,日本では「生産性」と言うことが多い「――を探すことに費やす。」
ところが‥‥、60年以上前〔つまり「68年」以前〕ならともかく、今日では、②もまた幾つもの制約にぶつかっているのです。
「今日の世界システムに起こっていることを理解するためには、なぜ、生産者の」コスト削減・生産性向上の「努力にもかかわらず、世界全体の生産費用がしだいに上昇してきて」いるのか、つまり、資本家全体として得られる利ザヤ(平均利潤率)がなぜ「縮小してきているのか〔…〕を理解しなければならない。」(pp.187-189.)
『あらゆる生産者には3つの主要な生産費用がある。第1に、〔…〕働く人員に報酬を与えなければならない。第2に、〔…〕生産過程への投入物を購買しなければならない。そして第3に、〔…〕あらゆる政府機関〔…〕によって課される税金を支払わなければならない。』これらのコストはいずれも、『資本主義的世界=経済の長期持続を通じて、着実に上昇し続けてきた』
ウォーラーステイン,山下範久・訳『入門・世界システム分析』,2006,藤原書店,p.189.
そこで、以下では、㋐人的コスト,㋑投入物コスト,㋒租税 の順に、長期的コスト上昇傾向が、なぜ生じたのか――を解明してゆくこととなります。
【40】 「近代世界システム」の危機――
㋐ 労働コストの上昇
「どの地域にも慣習的な賃金の相場というものがあるが、」それは結局、企業と労働者の個別/集団での交渉の結果が蓄積されたものだと言えます。「そのような交渉〔…〕は、両陣営の強さ――経済的,政治的,文化的――によって決定される。
経済的な強さを決めるのは「需要と供給」の関係ですが、双方それぞれが、自陣営の団結と、相手陣営に対する切り崩しによって強さを補強することができます。
政治的な強さに関わるのは、国家機構内の「仕組みや取り決め」、労働者の組合組織、経営者側の管理職・中間幹部にたいする統合力の程度、などです。
「文化的な強さ――地域共同体ないしは国民 ネイション の〔…〕社会的慣行――は、それまでの政治的強さの結果であることがふつうである。」
そこで、広域的に見た “労使間のつなひき” について考えると、「どの生産地域でも、労働者の組合の力は、組織化と教育によって、時とともに増大する傾向がある。」そこで、雇用主側にとっては、労働者の組織化に対抗するⓐ抑圧コスト と、労働者に支払うⓑ賃金コスト、とがトレード・オフ〔ⓐを縮小すればⓑが増大する、逆は逆〕の関係になる。「利潤率の高い生産地域――主導産業部門の寡占的企業――」は、余裕があるせいか?、ⓐ抑圧コストにカネを注ぎ込むくらいなら、多少の ⓑ賃金コスト上昇を甘受したほうがよいと考える傾向がある。そうすれば、労使関係が融和するだけでなく、中長期的に有効需要を高めて雇主層全体にとって有利になると考えるのだ。しかし、他方で、労働者の力が強まる長期的傾向は、利潤率を長期的に低落させることにもなる。つまり、長期的帰結としては、労賃コスト上昇の趨勢に対して、雇用主はそれを抑えるすべを持たない。
これとは逆に、はじめから利潤率の低い「周辺」地域ないし「周辺」生産部門の場合、ⓑ賃金上昇に応じられないぶん、さまざまなⓐ抑圧手段に出費することになります。労働団体を抑圧してもらうための政府・政党への献金も含まれるでしょう。
「主導産業部門」のほうでも、遅かれ早かれ参入者が増えて寡占の盛期を過ぎれば、同じことになります。しかし、いったん引き上げた賃金水準を切り下げるのは容易ではない。「中核」地域の雇用主はディレンマに直面します。(pp.190-191.)
こうして『必然的に忍び寄ってくる人件費の上昇に対して、有効な対策は一つしかない。工場の逃避である。』
ウォーラーステイン,山下範久・訳『入門・世界システム分析』,p.191. .
賃金水準がより低い地域への生産の移転によって、雇用主は、移転先で費用を節約できるだけでなく、もとの場所でも賃下げを実現できる可能性が生ずる。古参の従業員たちも、「職が逃げる」(→整理解雇される)ことを恐れて切り下げに甘んずることになるからだ。
全面閉鎖した日本製鉄・瀬戸内製鉄所。広島県呉市。©tabetainjya.com.
1951年、旧・呉海軍工廠の跡地に建てられた「瀬戸内製鉄所・呉地区」は、
最盛期3000名以上の工場従業員と、直接間接の関連商工業人口十万人以上
を擁する「企業城下町」を形成していたが、2023年9月末に全面閉鎖し、
現在は解体工事中。
ただし、「移転」を選択した場合にも、雇用主は、それならそれで、人件費と取引費用のトレード・オフに直面します。「移転先の地域における取引費用は、――最終消費地までの距離の延伸,〔国内遠隔地や途上国の〕インフラの低劣さ,〔途上国の役人に払う〕[腐敗]の費用の高さなど〔…〕――もとの立地より高くつくのです。
この場合も、どちらに傾くかは利潤率の動きに影響されます。コンドラチェフの「A局面」〔上昇,好況〕では、取引費用が「主要な関心となりやす」く、「B局面」〔下降,停滞〕では、「人件費が〔…〕主要な関心となる。」「周辺」地域への移転に踏み切るのは、経済的停滞期が多いのです。
しかし、すでに何度か指摘したように、「移転」による労賃コスト削減には、世界資本主義システムの長期的趨勢という致命的な限界があります。
「周辺」国や、中核国の中の「周辺」的地域で賃金が安いのは、そこでは「非都市人口」の割合が大きいからです。つまり、「全面的には賃金経済の内部にいない人間が多数まとまって存在しているからです。」そういう場所で宅地化の波に押されて「土地を離れた人びと」にとっては、地元の町の賃金は、彼らのそれまでの現金収入と比べ、はるかに条件がよいかに見えるのです。加えて、そういった地域では生活必需品の物価が低く、また交通の便が悪く購買・娯楽の機会が少ないので、雇用主は、幹部層の賃金さえ安くすませることができます。
しかし、「プロレタリア化」して「25年もたてば」、あるいは「町に出た」人びとの息子たちの世代において、彼らは自分たちが「絶対最低賃金」以下に落としめられていることに気づき、「中核」地域と同程度の賃金を要求するようになります。そこに、「普通選挙権」導入というジオカルチュア政治のもとで、左翼のみならず、「福祉国家」あるいはナショナリズムの旗を掲げる保守政党が眼をつけ、票田にしていきます〔たとえば、新潟県では、戦前の小作争議の闘士の多くが、戦後は自民党・田中角栄政権の配下となったのです〕。こうして、かつての低賃金地域は「中核」と変わらなくなり、企業は、新たに利潤の源泉を求めて、より「周辺」的な国々へ移転していくほかはないこととなります。
「生産過程の再配置〔…〕による人件費の抑制」は、世界の「脱農村化」という壁にぶつかります。「20世紀の後半には、農村地域に居住する世界人口の割合は劇的に低下した。」21世紀には、「工場の逃避先となる地域」は、いつまで残っているかもわからない趨勢です。「人件費の節約」というやり方による「資本蓄積」の維持継続は、早晩不可能になりつつあります。(pp.191-194.)
ゴミで埋めつくされたインドネシア・ジャカルタ近郊のシタルム川。©cehub.jp.
【41】 「近代世界システム」の危機――
㋑ 投入物コストの上昇
「近代世界システム」の宿命というべきその拡張・発展過程のなかで、「投入物」すなわち ⓐ「機械と生産の原料」の購入にかかる費用もまた増大します。生産者はこれらを「市場」で調達しなければなりません。しかし、「投入」にかかる費用はこれだけではない。「市場」を経由しない “隠れた費用” が、少なくとも3つ存在します:ⓑ「廃棄物の処理費用」,ⓒ「一時原料の再生にかかる費用」,そして ⓓ「インフラ〔…〕にかかる費用」です。産業革命以後〔少なくとも〕1960年代までは、ⓑⓒⓓ「の費用を支払わないことが、」企業が「投入物の費用」を節約する主要なやり方であったのです。
ⓑ廃棄物については、「どこかしらの時点で」、投棄された「廃棄物への蓄積や生態系への悪影響」が社会問題となって、「その社会全体が〔…〕対処せざるをえなくなる。」投棄した企業自身には、「工場の移転」によって、コストを外部化した責任を回避する、という選択肢が常にある。しかし、「世界規模で今まさに〔…〕起きているのは、この[汚染されていない地域]の消滅なのである。」またたくまに地表全体に拡散してしまう「温室効果ガス」の排出は、先端的な例だと言えます。
ⓒ「再生費用」の節約は、さまざまな広汎な意味での「資源の枯渇」を結果します。そのため、「近代世界システム」の歴史は不可避の趨勢として、資源の入手費用を上昇させてきました。このアポリアは、「代替的な資源をつくり出す技術」の進歩によっては解決しない――ということが明らかになったのも、「1968年」以後のことだといえます。「代替材料」としてのプラスチックは、海洋環境に、著しく「再生」困難な障害を与えてしまうのです。
ⓓ「インフラ」――道路,交通網,電力/通信ネットワーク,治安・警備システム,上下水道,‥‥――の「費用は莫大であり、しかもその規模はますます大きくなってきている。」それを、個々の企業が負担するか、(租税または公共料金によって)社会全体が負担するかは、つねに問題となるが、公共料金には常に、大口需要者(企業)を優遇する措置が設けられている。インフラの「民営化」は、「個々の企業の負担」を高めるように見えるが、企業は、それを製品価格に転嫁して消費者に負担させるという抜け道を持っている。
ⓓに関しては、企業の ㋒税負担コストとともに考えてみる必要があるので、その考察は次節に送ります。ただその結論を先に言えば、ⓓのみならず㋒全体が、「近代世界システム」に不可避の政治的趨勢として、傾向的に増大しつづけています。
結局のところ、ⓑⓒⓓから生ずる費用の「内部化の圧力は、生産費用」を上昇させ、その上昇分は、生産技術や廃棄物処理技術の「改良によって可能になる費用の節約分を上回ってしまう。」(pp.194-197.)
【42】 「近代世界システム」の危機――
㋒ 租税コストの増大
『時の経過とともに膨らんでいる費用の第3は、税負担である。〔…〕近代世界システムにおいては、課税の根拠は2種類である。ひとつは、治安(軍隊および警察)の確保、インフラの建設、〔…〕官僚の雇用、〔…〕徴税も含む〔…〕手段をそなえた国家機構をととのえるためである。これらの費用そのものは、〔ギトン註――近代主権国家としては〕不可避である。〔…〕
しかしながら、税の根拠にはもうひとつ〔…〕ある。それは、政治的民主化の結果として現れてきた〔…〕教育,保健,生涯的な所得の保証という3つの主要な便益〔…〕である。〔…〕民主化を通じ、市民は国家に対して、』これらを要求してきた。そして『これら3つの便益は、市民の権利であると考えられるようになってきた〔…〕。20世紀を通じて、』これらを『なにがしか〔…〕提供する国家の数〔…〕は、着実に増えていった。今日、〔ギトン註――国家が〕それらの支出の水準を逆向きに押し下げることは、ほとんど不可能〔…〕に思われる。
治安、インフラの建設、教育・保健・〔…〕所得の保証〔…〕の提供をまかなうための費用の上昇の結果として、それらの総費用の一部として生産企業に課せられる税の額も、いたるところで着実に上昇してきた。〔…〕
このように、3つの生産費用――㋐人件費,㋑投入物,㋒税――は、すべて、過去 500年間にわたって(とくに過去50年間に〔…〕)着実に上昇してきた〔…〕。いくら有効需要の増加があっ〔…〕ても、生産者の数は着実に膨らみ、ためにその都度、寡占的状況の維持がくりかえし不可能となった〔そのたび、長期循環は下降に転じた。――ギトン註〕。いわゆる「利潤〔ギトン註――利潤低下〕の圧迫」というのは、このことにほかならない。
たしかに生産者は、この状況を逆転させようと〔…〕努力してきた』が、そうした努力には限界がある。『その可能性の限界を理解するには、1968年の文化的衝撃に立ち返って考える必要がある。』
ウォーラーステイン,山下範久・訳『入門・世界システム分析』,pp.197-199. .
こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!