アンデルセン「マッチ売りの少女」の銅像。ジュッテ・トンプソン作(1992)。

在:オーゼンセ,デンマーク。©visit H C Andersen.

 

 

 

 

 

 

【20】 資本主義的「世界=経済」――

「家計世帯」と所得・ジェンダー

 

 

 前節までは、「近代世界システム」すなわち資本主義社会の基本的な制度のうち、「市場」「国家」「企業」について述べてきました。しかし、これらはシステムの一面にすぎません。じつは主要な一面でさえない。他の・より基底的で・システムの運動をある意味で決定している一面が「家計世帯 ハウスホールド」と,その諸集合です。

 

 

資本主義のシステムには、生産過程に労働を供給する労働者の存在が必要である。』しかし、それを労働者と呼ぶの『は、あまり正確な言い方とは言えない。〔…〕労働者を孤立した個人としてとらえることは非現実的』だから『である。ほとんどすべての労働者は、家計世帯 ハウスホールド のなかで、他の諸個人と結びつけられている。〔…〕家計世帯 ハウスホールド 〔…〕の大半は、いわゆる「家族」』だが、必ず「家族」というわけでもない。家計世帯 ハウスホールド は、住居をともにする〔…〕ことが多いが、〔ギトン註――同居する世帯は、〕通常考えられているほど多いわけではない。

 

 典型的な家計世帯 ハウスホールド は、〔…〕一定の長期(ざっと 30年程度)にわたって〔…〕多様な所得源をプールしあう 3名から 10名ていどの人間からなる。

 

 家計世帯 ハウスホールド がその内部において平等主義的な組織であることは普通ではないが、』

 

 成員が、『集団のために所得を提供し、その所得に立脚する消費を共有する義務があるという点で、他の人間集団の組織と区別される単位である。家計世帯 ハウスホールド は、いわゆる氏族や部族、』その他『広範な広がりをもった集団とはまったく異な』っている。というのは、『それらの集団では、相互の安全やアイデンティティの義務はしばしば共有されているが、所得の経常的な共有はないからである。』

ウォーラーステイン,山下範久・訳『入門・世界システム分析』,2006,藤原書店,pp.86-87.  .

 

 

 ここで注意すべきは、「家計世帯」ないし「家族」の内部は、「平等主義的」ではない、ということです。これは常識に反するかもしれないが、事実です。たとえば、家族の成員は、全員が対等に財産の処分権をもっているわけではない。ある成員は一方的に所得を差し出す義務を負うが、そうして形成された財産の処分については、その成員の発言権が大きい場合も、そうでない場合もあります。日本では、かつては「家長」(男とは限らない)が成員の生命の処分権を握っていました。平安時代から戦国時代まで、「家長」に対する処罰として息子/娘の処刑を命ずる史料が無数に残っています。近代においてそれが無くなったのは、家族が民主的になったからではなく、国家が家族の内部にまで強く支配を及ぼすようになったからです。

 

 たしかに、ポランニ柄谷行人が言うように、「家族」内部の経済原理は「商品交換」でも「貢納」でもなく「互酬」です。しかし、「互酬」は「平等」と必ずしも同じではない。

 

 

近代世界システムにおいては、〔…〕所得には5つの種類がある。そしてほとんどすべての家計世帯 ハウスホールド は、割合こそ違え、〔…〕5つすべての所得を得ようとしている。』

ウォーラーステイン,山下範久・訳『入門・世界システム分析』,p.88. .

 

 

“マッチ売りの少女”。1895年頃,ナポリ。

 


 家計所得の「5つの種類」とは、「賃金」「自給」「小商品生産〔または「自営」――ギトン註〕」「地代」「移転給付」です。

 

 「賃金」は、雇用主の側から言うと、「柔軟性が高い」という利点があります。人手の必要に応じて、雇ったり解雇したりできます。その「柔軟性」を制限するのは、「労働組合や、その他の〔…〕労働者の団体行動、そして国家の規制など」です。「しかし、雇用者が特定の労働者に生涯的な生計支援を提供する義務を負うことはほとんどない。」日本に多い終身雇用制は、「近代世界システム」のなかでは珍しい存在なのでしょう。とはいえ、「賃金」雇用は、雇用主にとって不利な面もあります。人手が足りなくなる好況期や、年間の繁忙期には、「容易に労働力が入手されえ」ない場合があり、そのため雇用主としては、人手が余る期間についても「賃金」を支払って労働者を確保しておく必要があるからです。日本で終身雇用制が定着したのも、好況期間が “常態” だった戦後の高度成長期においてでした。

 

 「自給」ないし「自給自足的活動」は、通常私たちがイメージするのは、「農村地域において、市場を通さずに自家消費される食品の栽培や必要品の作成の営み」です。この種の旧い「自給」的生産は、「近代世界システムにおいては〔…〕急速に衰退」する傾向があります。

 

 しかし、「自給」はそれだけではありません。毎日の食事の用意や後片付けも、自分ですれば「自給」活動です。家具のキットを買ってきて自分で組み立てれば、それも「自給」的生産です。昔ならば、秘書を雇って手紙をタイプさせていた金持ちが、自分でパソコンを叩いてメールを送れば、その人も「自給的生産に従事している」と言えます。これらの「自給」活動は、むしろ、テクノロジーと商品化の発展にしたがって増えていると言えます。電子レンジの普及した現在では、よほどの金持ちでも、賄い婦を雇うことはありません。

 

 「近代世界において、自給自足的活動は、さまざまな形でむしろ実際には増大している〔…〕。今日、自給自足的生産は、資本主義的世界=経済で経済的にもっとも豊かな地域の家計世帯 ハウスホールド の所得において、大きな部分を占めているのである。」

 

 「小商品生産」とは、分かりやすい日本語で言えば「自営業」です。「家計世帯 ハウスホールド」の成員以外の手を借りずに生産が行なわれ、市場で販売され、現金収入が得られる・あらゆる活動をふくみます。アンデルセンの「マッチ売りの少女」のように、束で仕入れたマッチを1本1本小分けにして売るのも「小商品生産」です。この場合の「生産」は、包みを小分けにして街頭に運ぶだけですが。すべての小売店は、家族だけで営業していれば「小商品生産」です。

 

 「小商品生産」という所得形態は、「周辺国」では大きな比重を占めていますが、「中核国」にも、無視できない割合で常に存在します。

 

 「地代」は、大きなくくりで、そのなかにはさまざまな性質の活動が包含されています。「ある程度の大きさのある資本投資」をして、賃貸用の部屋を用意し、家賃を稼ぐ場合があります。あるいは、投資によらずに、家族の人数が減って不必要になった部屋を貸間にする場合もあるでしょう。地主が小作人に課す小作料、橋や道路の所有者が徴収する通行料も、「地代」です。債券を買って得られる「利子」や銀行預金の「利息」も、「地代」の一種です。

 

 「地代」が発生する根拠は、「立地の優位」と 「資本の所有」のいずれか、または両方にあります。「地代の特徴は、所得が所有に基くものであって、いかなる種類の労働によるものでもない」ことにあります。


 

金弘道「耕畓図」。李氏朝鮮時代,1780年頃。©Wikimedia. 

 


 「近代世界において移転給付と呼ばれているもの」は、「ある個人に対して、定められた義務として別の個人から支払われる所得」と定義されます。公的な「保険」給付や、生命保険の受取人への支払いのように、明確な「義務」に基く場合もある一方で、「お祝儀」「お香典」のような慣習的な「義務」による場合もあります。後者の場合には、「義務」といっても制裁はなく、「互酬性の原則」にしたがって所得の移転が行なわれます。

 

 以上の5つの種類の所得は、ほとんどすべての家計世帯がそれらすべてを得ているものです。「家計世帯内で誰がどのように所得を〔家計に〕供出するかということは、〔…〕ジェンダーおよび年齢によって規定されている〔…〕。過去百年間、こういったジェンダーによって定義される所得のタイプの特定化を克服することをめざして、多くの政治的活動が行なわれた。」(pp.88-93.)

 

 

 

【21】 資本主義的「世界=経済」――

「家計」と「階級」

 

 

 ここで、「家計世帯 ハウスホールド」と「階級」について述べられます。ここでウォーラーステインが述べていることは、伝統的な社会科学で常識とされてきたこととは、かなり異なります。しかし、私たちは身の回りを見回すだけで、ウォーラーステインの言うことのほうが、すくなくとも現実的だということに気づきます。

 

 「家計世帯 ハウスホールド」は、さまざまな所得を得て成員のためのプール(預金,財産)としています。5種類の所得のうち1種類のみでやっている家計はほとんどありません。日本の「家計」の場合で言えば、その存続期間中、祝儀,香典などの「移転給付」を一度も受けない「家計世帯」は、まずありえないでしょう。ベランダにポットを置いて栽培した野菜を自家消費する「自給」や、少額の資金を投資信託にして配当「地代」を受ける世帯も少なくない。「賃金」だけを所得とする「家計世帯」は、ほとんど無いといってよい。

 

 ところが、社会科学者の多くは、資本主義とは、労働に従事する者の大多数が賃労働者であるような経済体制である、と云います。彼らは、資本主義が始まって以来、「賃金」のみを所得とする労働者――つまり「プロレタリア」――が急速に増えた;社会は、「利潤」「地代」のみを得る「ブルジョワ」と、「賃金」のみを得る「プロレタリア」に二分された、と説くのです。これは私たちの社会の実際をまっとうに言い当ててはいません。‥‥と、ウォーラーステインが言うところをみると、社会科学と現実社会との乖離は、ヨーロッパ流の考えを日本に押し付けたせいではなく、もともとヨーロッパでも、最初から、社会科学は現実から懸け離れたものだったことになります。

 

 そこで、歴史的な流れを考えてみるために、家計世帯」を、「プロレタリア」と「半プロレタリア」に大別してみましょう。「プロレタリア世帯」とは「賃金収入が高い比率を占めている世帯」、「半プロレタリア世帯」とは「賃金収入への依存度の低い世帯」と定義します。(『史的システムとしての資本主義』,p.41.)


 そうすると、「驚くべきは、いかにプロレタリア化が進行したかではなくて、いかにそれが進行しなかったか、ということなのだ。」(『史的システムとしての資本主義』,p.34.)上のように定義された「プロレタリア世帯」が、全人口世帯中に占める比率は、現在の先進諸国でも 50% に達していない――とウォーラーステイン言う。まして、途上国,中進国では、その比率はもっと低いでしょう。資本主義が始まって以来 500年が経過しているというのに、――その間に「賃金労働者」の比率は、統計上一貫して上昇してきているのに、――まだ全世帯の半分にも達していないのです。

 

 

コロナ・パンデミック下のインドの家族。3週間のロックダウンは、working

poor にとって、収入の機会を奪われ、3週間にわたって子供たちに食物を調達

できないことを意味する。2020年。©Opportunity International Australia. 

 

 

 つまり、「資本主義とは、労働に従事する者のほとんどすべてが賃労働者となった経済体制である」というのは、まったく間違った思い込み、ないしは、何らかの隠された意図をもって流布されたイデオロギー神話である、と考えなければならないでしょう。「プロレタリア化は、資本主義にとっての必要条件〔…〕ではな」い(『入門・世界システム分析』,p.95.)「資本主義の全史を通して、〔…〕プロレタリア世帯に属する賃金労働者より、半プロレタリア世帯の賃金労働者のほうが、その人数からいっても、より正常なありかたであった」(『史的システムとしての資本主義』,p.43.)

 

 むしろ、こう言わなければならない:「資本主義は、それが存続した長い期間を費やして、[プロレタリア]の数と比率を徐々に増やしてきたし、その増加という現象が、資本主義が自身を存続させるに不可欠の絶対条件であった。[プロレタリア]が、もはやこれ以上増えない限界に達したときに、資本主義は亡ぶ。」と。

 

 ↑この後半部分については、これまでにも軽く触れましたが、詳細な議論は今後に出てきます。

 

 ところで、資本家にとっては、「プロレタリア世帯」「半プロレタリア世帯」のどちらが好ましいでしょうか? すくなくとも個々の「雇用者にとっては、半プロレタリア的家計世帯から賃金労働者を雇用するほうが有利である。」

 

 雇用主が「プロレタリア世帯」から雇う場合、すなわち、賃金労働が家計所得の柱となっている世帯・から労働者を雇い入れる場合には、つねに、賃金の最小額というものが存在します。賃金は、すくなくともその「家計世帯の再生産費用」をカバーしていなければならないからです。「再生産費用」とは、子供の出産,(少なくともその労働者と同じ水準までの)教育,老後費用などを含みます。それが、(最低賃金法制などなくとも)経済的に定まる「絶対最低賃金」と云われる限界線です。

 

 ところが、「半プロレタリア世帯」から雇う場合には、雇用主は、この限界線を下へ踏み越えることができるのです。日本の兼業農家のような場合を考えてみれば、解りやすい。ダンナは地元の建築会社に勤めているけれども、家ではカァちゃんとジィちゃん,バァちゃんが自営農業を営んでいる。田植えと収穫には、ダンナも有休をとってトラクターを動かす。収穫のいくらかは、農協のライスセンターに出して現金収入にするけれども、大部分は自家消費する。このような被雇用者に対して、雇い主は、その全生活をカバーするような賃金を支払う責任を負いません。経済的にも道義的にも、「絶対最低賃金」未満の額で足りるのです。

 

 ここで起っていることは、被雇用者の世帯における賃金以外の「所得」から、雇用主に向かって、実質的に「剰余価値が移転している」ということです。「雇用者は、絶対最低賃金より少ない賃金しか支払わ」ずに労働の供給を受ける「ことによって」、マルクスの云う “搾取” の「剰余価値に上乗せして」、「半プロレタリア」家計世帯から剰余価値を受け取っているのです。『入門・世界システム分析』,pp.93-94.)

 

 したがって、雇用主は、「プロレタリア世帯」の労働者すなわち “真の” プロレタリアよりも、「半プロレタリア世帯」の労働者を選好する。

 

 しかしそれならなぜ、歴史的に、徐々にではあっても「プロレタリア世帯」が増加する趨勢を示してきた、という事実があるのでしょうか?

 

 

アメリカ合州国メリーランド州,チェスタータウン,アーノルド農場で働く

メキシコからの移民労働者。©edible delmarva. 

 


『そこには、〔ギトン註――個々の雇用者が「半プロレタリア世帯」を好むのとは〕逆向きの圧力が2つ働いている。ひとつは、賃労働者自身が「プロレタリア化」をめざすという圧力である。それは彼らにとって、〔…〕賃金が良くなる〔…〕ことを意味しているからである。もうひとつの圧力は、雇用者の側にある〔…〕。ひとつの集団として〔…〕の雇用者は、長期的に〔…〕、自分たちの生産物が購買される市場〔いずれにせよ、売買連鎖の最下流の購買者は家計世帯である!――ギトン註〕を維持するため、その必要に反して〔つまり、高賃金のコストを甘受してでも――ギトン註〕世界=経済全体に十分な大きさの有効需要を確保する必要がある。

 

 したがって、時間の経過とともに、プロレタリア化する家計世帯 ハウスホールド の数は、ゆっくりと上昇する。』

ウォーラーステイン,山下範久・訳『入門・世界システム分析』,2006,藤原書店,p.94.  .

 

 

 つまり、「家計世帯」のほうは、割りの悪い内職やパートで現金収入を得るよりも、農地を売り払ってサラリーマンになったほうが収入が増えることを、だんだんに知ったのです。「完全にプロレタリア化した世帯よりも、半プロレタリア世帯のほうが、はるかに厳しく搾取されることを、彼らは十分に理解していたのだ。」

 

 雇用主のほうでも、長い眼で見れば、労働者の「家計」に「絶対最低賃金」を十分に保証したほうが、じつは有利なのです。「絶対最低賃金」未満の賃金しか支払われず、「家計世帯」は「自給自足」活動に頼らざるを得ない状況では、生活必需品の需要は伸び悩み、企業は全体として製品市場を広げられません。旺盛な市場拡大こそが、雇用主層に利潤をもたらす。だとすれば、気前の良い雇い主ほど、雇用主全体の利益に貢献しているのです。

 

 しかし、雇用主層のあいだで「プロレタリア世帯」の受け入れが急速に進むのは、景気の不況局面においてです。特定の産業部門の一部の企業経営者は、生産関係の構造的革新によって他の企業を圧倒し、生き残ろうとします。折りから、求職者は巷にあふれています。彼らのなかから、教育も就業経験もある良質の労働力を選別し、勤務先の仕事に専念できるだけの十分な賃金を支払って雇い入れます。企業の生産効率は飛躍的に向上し、「半プロレタリア」からの搾取に依存している旧い企業を市場から排除し、結果として、産業全体の「プロレタリア化」を進めることになるのです。(『史的システムとしての資本主義』,p.58.)

 

 つまり、「プロレタリア化」によって・より大きな利益を得たのは、資本家ではなく、労働者なのです。「プロレタリア化」によって、労働者は窮乏化するのではなく、逆に「絶対最低賃金」を保証され、消費によって資本家の繁栄(利潤獲得)に貢献できるだけのリソースを与えられます。加えて言えば、そうやって、「周辺」地域から吸い上げられる「不等価交換」の余剰の分け前にあずかることになります。「周辺」地域では、大部分の労働は「半プロレタリア世帯」から供給されており、雇い主は十分な剰余価値を吸いあげて、「中核」諸国に送ることができるのです。

 

 資本主義社会は、資本家/労働者という2つの階級、すなわち真っ向から対立する利害を有する集団に分かれている、と言われます。しかし、その「階級」とは、個人からなるものではない。「諸々の階級に位置づけられるべきなのは、個人ではなく、家計世帯 ハウスホールド なのである。」「階級帰属の単位は家計世帯 ハウスホールド であり、」ある1つの世帯の「成員は、同じ階級への帰属を共有する。」「階級移動をめざす個人が、その目標を実現するために、自分のおかれている家計世帯 ハウスホールド から離脱し、別の家計世帯に入らなければならないというのは、しばしば起こることである。」(『入門・世界システム分析』,pp.95-97.)

 

 ↑この最後の部分(階級移動)は、戦後の日本ではピンときませんが、ヨーロッパの社会では現在でも、このような「階級」区分が厳然と残っているのでしょう。キューブリックの映画『バリー・リンドン』は、時代は古いですが、「階級移動」の典型例を示しています。

 

 

 

 

 

 

こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!


 

セクシャルマイノリティ