韓国の日刊紙『ハンギョレ』から。ウクライナのニュースを韓国の新聞で読むのも、変な話ですが、日本の新聞は、どうしてこういう報道をしないのだろう?‥‥と、逆に変な気持ちにもなります。

 

 この記事のとおりだとすると、最近ロシア領に侵略を始めたゼレンスキーは、ナチ・ドイツ軍の二の舞い熱演中‥何とバカな墓穴を掘ったもんだろう……ということになるのです。バルト海のパイプライン爆破は、ロシアの自作自演どころか、ウクライナ軍が仕掛けたテロだった、ということで、もうほぼ決まり(ウクライナ軍の容疑者たちは、「愛国心」がどうしたとか、今や鼻高々)。広島では、原爆記念館から出てきたゼレが、「ウクライナとおんなじだ!」(ウクライナに原爆が落ちてから言え!)とワニの涙を流して言うし、イスラエルのガザ殺戮を強力に支持もしているし、もういいかげんにせい! と気分的には言いたくなる今日このごろです。

 

 ちなみに、パイプライン爆破の件、アメリカは、CIAがオランダの情報機関から得た情報で事前に計画を察知して、ゼレに、やめるように圧力をかけていたらしいのです。ところがゼレは無視して(なのか、ゼレを無視してウナ軍が、なのか)決行してしまった。そうしておいて、「ロシアが自分でやった」と、ゼレは世界に向かって言いふらす。アメリカも黙認する。……という舞台上の大芝居は、皆様がご覧になったとおりです。気になるのは、アメリカのこの態度は、今アメリカがイスラエルの背後で演じているのとソックリ同じだということです。

 

 緒戦で、ウクライナ救援のカンパなどしなくて、ほんとうによかった。やっぱり、自民党の右翼が言うことは、たとえ気持ちが動きそうになっても‥、いやいや、けっして信用するもんじゃあない。あとでこうやってバカを見ることになります。

 

 ところで韓国ですが、なぜか韓国でははじめから、ウクライナを支持する人が多くなかった。日本では、最初は自民から共産まで支持していたのに、韓国ではそうでもなかった。ゼレが韓国の国会で演説した時には、欠席する議員が多かった(半分近く?)のです。

 

 これは、ちょっと考えると不思議なことです。朝鮮は清国から圧迫され、近代には日本からも圧迫されて、その植民地から独立運動を戦って独立した。もっと最近では、北朝鮮から先制攻撃(ロシア赤軍が作成した作戦計画で)を受けて皿みとろの戦争を体験している。ウクライナに同情してもよさそうなものです‥‥

 

 これには理由がいくつかありますが、私の見る主な理由は2つ。①それほどの歴史を経験しているから、ゼレとアメリカの宣伝に騙されない素地があること。日本人は、「侵略」と聞くとスワッ、そいつは許せん(自分が言われると、ウソダウソダオオウソダ!!!!)と目をむくけれども、そんなことは世界史では日常茶飯事。それだけで速断するのは禁物です。②日韓併合を裏で支持していたのはアメリカでした。アメリカは明治政府と取引して、朝鮮を呉れてやり、フィリピンを自分が取った。そのことを、韓国でも北朝鮮でも忘れていない。だからアメリカに、表てでは従うけれども、アメリカの言うことは何でも信用するってわけじゃない。

 

 ともかく、まずは記事を見て、各自の責任でご判断くださいな。私の見方は、そのあとに書きます。

 

 


 

 

 

ウクライナ、ナチスドイツの
「クルスクの泥沼」の轍を踏むか

2024年8月26日 .

 

 

 

[ハンギョレS]地政学の風景


クルスク侵攻の歴史
第2次世界大戦時のヒトラーの軍隊
スターリングラード惨敗後の反撃の拠点
西部戦線から戦力を抽出して没落を加速
ウクライナ、既存の戦線まで崩壊の懸念

 



  『ハンギョレ新聞』は、軍政時代、民主化を主張して職を追われた新聞記者が中心になり設立された。盧泰愚、金泳三、李明博、朴槿恵の保守派政権には批判的だったが、金大中、盧武鉉と続いた改革・進歩派の政権では、比較的政府に好意的であった。

 2017年に誕生した文在寅政権に対しては基本的に支持した。文在寅自身も、かつて『ハンギョレ新聞』の創刊発起人、創刊委員、釜山支局長などを歴任した経歴がある。

 現在の尹錫烈政権に対しては、当然に批判を辞さないが、野党・共に民主党に対しても、必ずしもすべてを支持しているわけではない。それだけ昨今は、韓国の世論が流動化している証しとも言える。そのなかで、政治勢力からは一定の独立を保つべきメディアとしての姿勢が問われている

 

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11日、ウクライナのスームィ地域のロシア国境付近で、ロシアの攻撃が続く

なか、装甲車に搭乗しているウクライナの軍人たち//ロイター・聯合ニュース

 

 

 ウクライナが6日に突如国境を越えて侵攻したロシア西南部の都市クルスクは、第2次世界大戦の勝敗を決定づけたところだ。そのクルスクがウクライナ戦争の様相を決める地として再浮上した。第2次世界大戦時のスターリングラードの戦いで惨敗して守勢に追い込まれたナチスドイツは1943年7月、旧ソ連のクルスクで反撃を試みたが、またも惨敗した。史上最大の機甲戦であるクルスクの戦いで、ドイツは戦車のほとんどの戦力を投入したが消耗し、再起不能に陥った。ウクライナの今回のクルスク侵攻作戦は、当時を連想させる既視感を与える。

 アドルフ・ヒトラーはスターリングラードでの敗戦後、自国民と同盟国に、ナチスドイツはまだ健在であり戦争遂行能力があることを示すことを望んだ。すでに東部戦線全域で劣勢だったドイツ軍の守勢を反転させようと選択した場所がクルスクだった。ナチスドイツは第2次世界大戦初期のころ、強力な機甲戦力と大規模な空軍力を前面に出した「電撃戦」で常勝疾走したが、スターリングラードの市街戦では歯が立たなかった。クルスクは平原地帯だ。そこでヒトラーは、そこに戦車などの機甲火力を集中させ、ソ連の戦線を突破して押し崩そうとした。

 

 

 ■ウクライナの勝負の賭けは通じるか

 

 当時のクルスク一帯の戦力はソ連が西側に突き出た形で、防御に脆弱な形勢だった。ドイツの最高指揮部は、北と南から攻撃し、西に突き出た戦線にいたソ連軍を孤立させようとした。ドイツの将軍たちはこの作戦に反対した。スターリングラードの戦い以降、ソ連に兵力と資源で押されていたため、「戦略的防衛戦」を行う必要があると主張した。兵力と資源が優勢なソ連軍に消耗戦で巻き込まれると、戦闘で勝っても戦略的勝利は担保されないとみたのだ。

 しかしヒトラーは、フランスなどの西部戦線にあった兵力と資源まで引き抜き、クルスクに投入した。1943年7月5日に「城塞作戦」という作戦名で始まったドイツの攻撃は、わずか1週間後の12日に「クトゥーゾフ作戦」で始まったソ連の「クルスク戦略攻撃」に直面し、急速に威力を喪失した。

 これに先立ち、クルスクの戦いが始まってから4日目の7月9日、連合軍がイタリア南部のシチリア島に上陸した。ヒトラーはクルスクの戦いの1週間後に攻撃を取りやめ、兵力をイタリアに再派遣しなければならなかった。ソ連の反撃によってドイツ軍に残されていた精鋭の機甲戦力はあっけなく崩壊した。ドイツはクルスクの戦いを行うために西部戦線の兵力を回したため、西部と東部の両方が崩れた。クルスクでドイツは約40万人前後の死傷者を出し、約1000台の戦車と約700機の戦闘機を失った。ソ連はそれ以上の損失を被ったが、戦時経済体制を拡張することで、被害を克服できた。仮にドイツがクルスクの戦いを行わず、戦略的防衛を選択したとすれば、ソ連の進軍はかなり遅れただろう。ソ連のベルリン占領も、第2次世界大戦後の東欧圏の社会主義化も不可能だったかもしれない。

 2022年2月に始まったウクライナ戦争は、同年11月からロシアの「占領地固め」に入った。ロシアは東部と南部の戦線で防衛線を構築し、戦略的防衛戦で西側の支援を受けたウクライナの反撃を防いだ後、今年の初めからは再反撃に出た。ロシアは基本的に消耗戦を進め、ウクライナはこれに巻き込まれた。ウクライナは今年初めから既存の戦線で押され、成果を上げる可能性がなくなると、クルスク侵攻作戦という劇薬を処方した。

 従来の戦線にいた精鋭の兵力を引き抜いてクルスク作戦に投じた。すでに見込みがなくなった既存の戦線でさらに損失を被ったとしても、ロシアの領土を占領してテコとして活用するという戦略だ。ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、自国軍が侵攻した地域を「緩衝地帯にする」と公言した。この作戦が成功するためには、クルスクでの進撃した地域を「占領地」として固めなければならない。そのためには、ロシアの反撃を防ぐ追加の兵力と資源が投入されなければならない。何よりも制空権が必要だ。

 しかし、空軍力で圧倒的優位に立つロシアは、ウクライナ軍がクルスクに進入した経路にあたるスームィ地域を激しく爆撃している。クルスクに進撃したウクライナ軍が孤立する可能性があるという見方も出ている。何より、ドネツクをはじめとするウクライナの東部など、すべての戦線でロシアの攻勢が激化し、侵攻が速まっている。

 

 

 ■ロシア、「消耗戦」で勝機を固めるか

 

 米国の軍事・戦略評論誌の「レスポンシブル・ステイトクラフト」は15日、専門家10人にウクライナのクルスク作戦について尋ねた。10人全員が「ウクライナ側にとって戦術的、戦略的に否定的」だと評価した。そのうち1人だけが「心理的なレベルでの西側の関心」を有利な点として挙げた。専門家らは全員、今回の作戦がもたらすウクライナの戦力消耗、既存戦線の崩壊、ロシアの態度の強硬化などを懸念した。ドイツのクルスクの戦いと同様に、ウクライナもクルスクで戦力を消耗し、既存の国内戦線も崩壊する可能性があるというものだ。

 西側のウクライナ戦争支援に批判的な立場で有名な、シカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授の言葉を引用する。

 「ウクライナの(クルスク)侵攻は、敗戦を加速化する大きな戦略的失策だ。消耗戦での成功の決定要因は、領土の占領ではなく死傷者などの損失の割合だが、西側はこれを見落としている。クルスクでの損失の割合は、ロシアに2つの点で決定的に有利だ。一つ目は、ウクライナ軍はほとんど守られていなかった領土に踏み込んだため、ロシアも死傷者が出なかった。二つ目は、ロシアはすみやかに攻撃に切り替え、圧倒的空軍力を動員し、露出して打撃しやすいウクライナ軍を攻撃している。問題をさらに悪化させるのは、ウクライナが東部戦線で切実に必要とされる最精鋭の兵力を引き抜いたことだ。これは、重要な戦線ですでに均衡が崩れていた損失の割合をロシア側にさらに有利にさせている。クルスク侵攻がいかに愚かな考えであるかを考慮すれば、ロシアが(むしろ今回の侵攻に)衝撃を受けたのは驚くことでない」

 すでに形勢が傾いたロシア・ウクライナ戦争で、クルスクの戦いが与える影響は甚大であることは明らかだ。

チョン・ウィギル先任記者
(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

 

 

 

 

 

 

 

ロシア、ウクライナ東部への攻勢激化
…ドネツク全域陥落の危機

2024年8月22日 .

 

 

 

ロシア軍、ドネツクの要所「ニューヨーク」の占領を発表
ドネツクの拠点:ポクロフスクとトレツクも陥落の危機

 

 

ウクライナがロシア領土クルスクへ進攻してから、ロシア軍の攻撃が

激化しているドネツクのポクロフスクの住民たちが19日、

当局の疎開令を受け疎開するために列車を待っている//AP・聯合ニュース

 

 

 ウクライナのロシア本土のクルスクへの進攻後、ロシアがウクライナの従来の戦線で攻撃を強めている。東部戦線の主戦場であるドネツクで、ロシア軍が主要な要衝地であるニューヨークを占領したと発表するなど、ドネツク全域がロシア軍の占領にさらされる可能性が高くなった。

 ロシア国防省は20日、ロシア軍中央戦闘軍団がニューヨーク(ロシア名ノブゴロドスケ)を陥落したと発表した。ニューヨークはドネツクの人口密集地であるトレツクの主要な街であり兵站の中心地だ。

 国防省は「中央戦闘軍団の部隊が積極的な作戦の結果、敵の大部隊を粉砕し、トレツクの主要な街でありドネツク人民共和国の戦略的に重要な兵站の中心地であるノブゴロドスケを解放した」と発表した。ニューヨークはドネツクの炭鉱都市であるトレツクの南に接している。ロシア軍は前日、トレツク東南部のザリズネも占領したことを明らかにした。また、この日のロシア軍の中央戦闘軍団による攻撃で、ウクライナ軍で死傷者585人が発生したと主張した。

 ウクライナ独立後、米国のニューヨークに従って改名されたこの街は、規模は小さいがロシア軍がここを占領した場合ドネツクの主要な拠点都市であるトレツクとポクロフスクに進める大きな進展となる。ロシア軍は現在、ポクロフスク郊外の10キロメートルまで進攻した。ウクライナ当局は前日、ポクロフスクの住民たちに疎開令を再発令するなど、先週半ばから住民たちを避難させている。

 ロシア軍がポクロフスクとトレツクを占領すれば、ドネツクで人口が密集する地域のほとんどを占領することになる。この両都市の西側は人口が少なく、自然や人工的な防衛施設はなく、ドネツク全域がロシア軍の占領にさらされる。

 ウクライナ軍は、ロシア軍がニューヨークとその近隣を攻撃しているとだけ明らかにし、ロシア軍のニューヨーク占領を認めなかった。英国BBCによると、ウクライナ軍はザリズネを奪還する戦闘を引き続き行っており、地域の消息筋はニューヨークの20%を今でも統制していると伝えている。

 ロシア国防省はこの日さらに、北部、西部、南部の戦闘軍団も過去24時間にそれぞれウクライナ軍数百人に被害を与え、各種兵器を破壊し進攻したと主張。ウクライナ戦線でロシアの進攻は、6日のウクライナによるロシア本土のクルスクへの進攻後、激しくなった。ドネツクなどから精鋭の兵力を引き抜いてクルスク戦線に投じ、従来の戦線で防衛力が弱まったためと西側の軍事分析家は指摘する。

 ウクライナ軍のオレクサンドル・シルスキー総司令官はこの日、クルスク作戦が現在国境内部の28~35キロメートルまで進展し、93の集落を含む1263平方キロメートルを占領したと主張。一方、ロシアのアンドレイ・ベロウソフ国防相は、クルスクとベルゴロド、ブリャンスクの国境地帯で、ウクライナ軍の作戦を防ぐ3つの新たな部隊が編成され、反撃作戦が進んでいると反論した。

 クルスクでの戦闘に投入されたチェチェンのアフマト特殊部隊のアプティ・アラウディノフ司令官はロシアメディアに、クルスクでウクライナ軍が非常に深刻な損失を被ったと主張した。アラウディノフ司令官はまた、ウクライナがクルスクで破壊した橋梁は「何の意味もない」として、その戦術的価値を一蹴した。前日にロシア国防省は、クルスクに侵攻したウクライナ軍3800人が戦死したと主張した。

チョン・ウィギル先任記者
(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

 

 

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 ウクライナの「クルスク侵略」は、ほんとうに墓穴なのか? ‥‥じっさいに「しないほうが良かった」ほどの失策といえるのかどうか。単に昔、ナチスがやって失敗したのと似ている、というだけでは何とも言えません。

 

 考慮すべき点は3つ:①第2次大戦で、ドイツは東西両面に戦線を持っていました。西部戦線から東部の「クルスク」に精鋭部隊を移せば、空いたところにアメリカが上陸してきて、西で負けます。実際にそうなった(シチリア上陸)上に、ドイツは東部の「クルスク」でも大敗して、命取りになったわけですが、ウクライナの場合には、西側には味方しかいません。

 

 ②そこで、ウクライナ領内の東部戦線(そこから兵力を抜いて「クルスク」に回したはず)がどうなっているかが問題になります。ハンギョレのチョン・ウィギル氏は、ウクライナ領内東部でロシアが優勢になっていることを論証しようとして、米国の軍事専門家の意見やウクライナ現地の情報を報じているのですが、いずれも、“見通し” “趨勢” にとどまる話です。ほかの情報源を見ると、実際のウクライナ領内東部戦線には、まだ大きな動きは無いようです。1村~数村単位の動きはあっても、全体として見れば膠着状態が続いていると言えます。もうしばらく様子を見ないと、ウクライナが「クルスク」に兵力をとられて国内で劣勢になるかどうかは、見極められないと思います。

 

 ③「専守防衛」だと思っていたウナ軍に攻め込まれて、不意を突かれたロシア側の態度にも、不可解な点があります。プーチンほか首脳部は「反撃する」と盛んに表明していますが、反撃がたいへんに遅い。国境付近のロシア軍徴集兵は、どんどんウクライナに投降している。おかげで、「ロシアとの捕虜交換のための捕虜の数を確保する」という・ウクライナ側の1目的は達せられたほどです。また、「クルスク」領内でも、ほとんど戦闘はなく、やすやすと占領を許してしまった。ロシア側は、住民の避難だけを周到にやっています。そして軍事的には、正面戦闘ではなく、国境付近でウナ軍の背後を断つ作戦のようです。まるで、ウナ軍の侵入を予めキャッチしていて、わざと後退戦術をとっているかのような‥‥

 

 領土に侵入されて、こんな呑気な対応をとる国は、ほかにないかもしれない。しかし、ロシアには前例がある、というより伝統といってよいかもしれません。まず、ナポレオン戦争では、ナポレオン軍に、あえて領土の奥まで侵入を許し(焦土作戦)、首都モスクワ占領さえ甘受しました。しかし、占領したモスクワはもぬけの殻で、食糧さえありません。けっきょくナポレオンは、成果なく引き上げる他はなく、帰路の国境でロシア側の大反撃を受けて敗走しました。ロシアの国土という資源があれば、こんな戦術も取れるのです。

 

 歴史上、もう一つの例は、日本が侵略した「満州事変」です。満州軍閥を率いていた張学良は、あえて戦わずに退却し、日本軍の占領を許しました。この場合は、手を汚さないようにして、世界世論を味方に付け、国際政治的手段で侵略に対抗しようとしたのだ、と言われています。たしかに、「リットン調査団報告」という・日本の侵略を非難する国際的権威機関の判断を得ることができました。しかし、結果的には、日本は国際連盟を脱退して傀儡国家「満州国」をでっちあげる暴挙に出ました。日本占領下の中国人住民の苦痛・被害も、だまされて植民した日本人の受けた惨禍も、計り知れないものがあります。

 

 というわけで、ロシア側の対応にも、まだ見えない部分があります。ウクライナによる「ロシア侵略」の持つ意味は、もう少し様子を見なければハッキリしないと私は思います。
 

 

 

 

 

 

ギトンの秘密部屋
 

 

セクシャルマイノリティ