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 高小山」を過ぎると、ゆるゆるな尾根の散歩道。おまけに今朝の急激な気温上昇で芽吹きも開花も早まっている。やっぱり出て来たな、うつむいて虫を誘うカァタクリ↓。


 


 

 ↓カタクリだらけで足の踏み場がない!

 

 

 

 

 

 

 

    北上山地の春

 

      3

 かぐはしい南の風は 

 かげらふと青い雲滃を載せて

 なだらのくさをすべって行けば

 かたくりの花もその葉の斑も燃える〔…〕

『春と修羅・第2集』75「北上山地の春」1924.4.20.


 

 その窪地はふくふくした苔に覆はれ、所々やさしいかたくりの花が咲いてゐました。若い木霊 こだま にはそのうすむらさきの立派な花はふらふらうすぐろくひらめくだけではっきり見えませんでした。却ってそのつやつやした緑色の葉の上に次々せわしくあらはれては又消えて行く紫色のあやしい文字を読みました。

 

 「はるだ、はるだ、はるの日がきた、」字は一つずつ生きて息をついて、消えてはあらはれ、あらはれては又消えました。

 「そらでも、つちでも、くさのうえでもいちめんいちめん、ももいろの火がもえてゐる。」〔…〕

若い木霊』 

 

 

 

 

 

 ↓キクザキイチゲ。ほんのりと紫がかっている。津軽ではもっと紫色だった気がする。北に行くほど紫色が強くなるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 高い尾根に乗り上げて、ほかの登山道と出会う。ここは「石ヶ森」の肩にあたる。↓左から上がってきた。

 

 

 

 

 ↓行く手を望む。イヌブナが多い。

 

 

 

 

 ↓北側に聳えるのは「谷地山」方面。溶岩台地のへりにあたる。

 

 

 

 

 タチツボスミレ。ここまで上がると、登山口付近で見たのよりも元気だ。

 

 



 石ヶ森賢治詩には、↓こういうのもある。「花巻農学校」を退職して「羅須地人協会」を主宰していた 1927年4月26日の日付けがついている。


 

     基 督 再 臨

 

 風が吹いて

 日が暮れかゝり

 麦のうねがみな

 うるんで見えるころ

 石森の大小の鍬 くわ

 まっしろに発火しだした 

 

 また労 つか れて死ぬる支那の苦力 クーリー 

 働いたために子を生み悩む農婦たち

 また、、、、  の人たちが

 みなうつゝとも夢ともわかぬなかに云ふ

 おまへらは 

 わたくしの名を知らぬのか

 わたくしはエス

 おまへらに

 ふたゝび

 あらはれることをば約したる

 神のひとり子エスである

『詩ノート』1049「基督再臨」〔下書稿手入れ〕 


 

 「キリストの再臨」とは、あの福音書に描かれた弱々しくもやさしいイエスが、また現れた、というようなことではない。拙ブログで「ドイツ農民戦争」やエンゲルスの「原始キリスト教」研究に接して来られた諸氏は、「再臨」の明確なイメージをお持ちのことだろう。読んでいない方は、とりあえず『新約聖書』巻末の「ヨハネの黙示録」を思い浮かべるとよい。

 

 そうすると、「石森の大小の鍬」が何を意味するか、わかるはずだ。この世の悪を灼き尽くすべく、再臨したイエスに随う強大な一揆の軍勢なのだ。

 

 「麦のうね」とあるように、舞台は花巻のような水田地帯ではなく、山沿いの寒村。やはり当時の「石ヶ森」周辺と見てよいだろう。賢治は、「石ヶ森」という山が、この世に神の審判を実施する強大な軍勢を蔵している――との幻想を抱いていたことになる。

 

 なぜ「石ヶ森」か? 背後に岩手山の冠雪した山頂部が覘 のぞ いて見える景観↓が、関係しているかもしれない。

 

 

 

 

 石ヶ森」頂上に到着。岩手山の手前に見えるヒョータン形は「沼森」だ。こちらからは見えないが、「沼森」を載せているのは広々とした台地状の高原だ。

 

 

 

 

 


        沼森 二首
 

#337  この丘のいかりはわれも知りたれどさあらぬさまに草穂摘み行く

 

#338  山々はつどひて青き原をなすさてその上の丘のさびしさ


        新網張 二首
 

#339  まどろみにふつと入りくる丘の色海のごとくにさびしきもあり

 

#340  しろかねの夜明けの雲はなみよりもなほたよりなき野を被ひけり

〔『歌稿A』1916年7月〕 

 

 

 石ヶ森の方は硬くて瘠せて灰色の骨を露はし、大森は黒く松をこめぜいたくさうに肥ってゐるが、実はどっちも石英安山岩 デサイト だ。

 丘はうしろであつまって一つの平らをこしらへる。

 もう暮れ近く草がそよぎ防火線もさびしいのだ。地図をたよりもさびしいことだ。

 沼森平といふのもなかなか広い草っ原だ。〔…〕

 はてな、あいつが沼森か、沼森だ。坊主頭め、山々は集ひて青き原をなすさてその上の丘のさびしさ。ふん。沼森め。〔…〕

 沼森がすぐ前に立ってゐる。やっぱりこれも岩頸だ。どうせ石英安山岩、いやに響くなこいつめは。いやにカンカン云ひやがる。とにかくこれは石ヶ森とは血統が非常に近いものなのだ。〔…〕

〔初期散文綴『沼森』より〕 

 

 

 ↓「岩手山」の右手前は「谷地山」方面の溶岩台地のへり。


 

 

 

 「岩手山」の左。まだ真っ白いのは「三ツ石山」

 

 

 

 

 ↓遠景、右から「小高倉山」「高倉山」。右手前は「大森」。

 

 

 

 

 鬼越方面に下る。↓アカシデ。幹の縦縞に特徴がある。南面の樹種が目立ってきた。

 

 

 

 

 まもなく急坂になった。ロープが設置されているので危険はないが、この坂は半端じゃない。硬くて尖った石英安山岩の岩頸、というわけだ。

 

 

 

 

 

 なぜか、一本だけヤマザクラが開花している。

 

 

 

 

 

 

 「燧掘山 かどほりやま」が見える。

 

 

 

 

 ↓つぎは、盛岡中学在学中の思い出。「鬼越の山」は「燧掘山」のこと。賢治は中学生時代から鉱物採集に熱中していた。

 


#0ℓ1  鬼越の山の麓の谷川に瑪瑙 めのう のかけらひろひ来りぬ

〔『歌稿B』1909年4月~〕

 

 

 小さな沢を越えて、林道に出る。こちらの登山口も標識なし。


 

 


 

 下りて来た山を振り返る。右から、石ヶ森大森

 

 

 


#235a236  友だちと

     鬼越やまに

     赤銹びし

     仏頂石の

     かけらなど

     拾ひてあれば

 

     雲垂れし

     その死火山の裾野より

     沃度 ヨード の匂 にほひ しるく流るゝ

 

#236  玉髄の

   かけらひろへど

   山裾の

   紺におびえてためらふこゝろ。

 

#237  落ちつかぬ

   たそがれのそら

   やまやまは生きたるごとく

   河原を囲む。

〔『歌稿B[下書形]』1915年4月〕 

 

 

 燧掘山」↓。

 

 

 

 

 右から、石ヶ森大森岩手山。↓

 

 

 

 

 

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タイムレコード 20240415 [無印は気圧高度]
 (2)から - 1100高小山[255m]1103 - 1145肩の分岐[351mGPS]1152 - 1208石ヶ森[448m]1218 - 1252尾根上平坦地[314mGPS]1303 - 1320尾根上平坦地[255mGPS]1331 - 1352登山口・林道出会い[192mGPS]1410 - 1426山神社[171mGPS] - 1458「鵜飼小学校前」バス停[158mGPS]。