「生森 おおもり」の古い写真を出しておこう。古いと言っても、今世紀になってからだ。
↑上の写真は 2014年11月に撮したもの。「生森」は、下から見ると、このようにきれいな形で聳えている。当時は山裾まで、こんもりしたアカマツ林におおわれていた。これでも、頂上にNHKの電波中継塔が立った、中腹に防火線を切ったと言って、美観が損なわれたという批判が、当時は多かった。
↑下の写真は 2019年5月。裾のほうが伐採されて破壊が始まった。同時に、住宅や工場が麓に増えてきたのも見える。
↓2021年3月撮影。西側は、このように無残に “皮剥ぎ” されてしまった。
ところで、↑この写真でわかるように、「生森 おおもり」のうしろには、いくつもの丘が連なっている。↑地図を見ると、これらは現在の(環境庁ご指定の)「七ツ森」の範囲には入っていない。しかし、いかにも「七ツ森」にふさわしいポッカリ形の山々だ。
じつは、宮沢賢治が「七ツ森」と呼んでいたのは、おもにこの・田沢湖線寄りの山々だった。そのことは、詩集『春と修羅』に収録された「第四梯形」という詩を見るとわかる:
〔…〕
あやしいそらのバリカンは
白い雲からおりて来て
早くも七つ森第一梯形 ていけい の
松と雑木 ざふぎ を刈りおとし〔…〕
汽車の進行ははやくなり
ぬれた赤い崖や何かといつしよに
七つ森第二梯形の
新鮮な地被 ちひ が刈り払はれ
手帳のやうに青い卓状台地 テーブルランド は
まひるの夢をくすぼらし
ラテライトのひどい崖から
梯形第三のすさまじい羊歯や
こならやさるとりいばらが滑り
(おお第一の紺青の寂寥)〔…〕
一本さびしく赤く燃える栗の木から
七つ森の第四伯林青 べるりんせい スロープは
やまなしの匂の雲に起伏し〔…〕
早くも第六梯形の暗いリパライトは
ハツクニーのやうに刈られてしまひ〔…〕
いまきらめきだすその真鍮の畑の一片から
明暗交錯のむかふにひそむものは
まさしく第七梯形の
雲に浮んだその最後のものだ
緑青を吐く松のむさくるしさと
ちぢれて悼む 雲の羊毛〔…〕
「七つ森・第一梯形」から「第七梯形」までを、田沢湖線を走る汽車の車窓から見ている。「鉢森」「勘十郎森」といった・現在の「七ツ森」の大部分は、そこからは見えない。「第一梯形」はおそらく、「見立森 みてのもり」(三手ノ森)かその一部だろう。「第七梯形」は、「生森」の堂々たる優美な姿にふさわしい。「第六梯形」は「石倉森」の可能性がある。「石倉森」は、横から見ると端整な馬(ハックニー)の形に見えるからだ。
「第二梯形」から「第五梯形」までが、田沢湖線から見える無名峰のどれにあたるかを同定するのは難しい。無名峰のなかでも大型で・ゆったりした「スロープ」をもつ↓この丘は、「第四梯形」かもしれない。
ともかく、賢治の詩が表出する印象が、戦後の「七ツ森」のこんもりした姿からはほど遠いということは、注意されてよい。
戦前の写真を見ると、当時の「七ツ森」は、ほとんど禿山状態で荒れていたことがわかる。薪の採取や放牧で、人手が繁く入っていたためだろう。戦後は「経済成長」のせいで人が森に入らなくなったので、侵襲が減ったぶん、アカマツなどのパイオニア樹が繁茂して、現在の “自然” のすがたになったのだ。その “自然” を 21世紀が破壊する。自然破壊はやめろだの、地球にやさしいだの厳しいだの、‥‥そうした単純な物言いのすべてが、人間の近視眼的愚昧としか見えない歴史が、ここにある。
【古写真】電柱の形などから 1960年代以前、丘の形および建物から
↑上の写真の丘と思われる。樹木は稜線にまばらにあるだけだ。
儀府成一『人間宮沢賢治』,蒼海出版,1971.
ちなみに、トップの地図↑を見ると国道46号(秋田街道)の南側にも、似た丘が2つある。「松森山」と「塩ヶ森」だ。これらは賢治も記していない。「生森」から下りたら、そちらへちょっと寄ってみよう。
さて、「生森」頂上には展望台もあるのだが、↓ごらんのとおり、すぐ前の松の木が大きく成長したので、展望台の役目をしなくなってしまった。たしかに、むかし来た時には、箱ヶ森が良く見えた覚えがある。
おや…、よく見ると手前の樹はダケカンバだ。標高 400メートル足らずでダケカンバが自生するとは、やはり東北なのだ。
↓下り。斜面には残雪が少しある。慎重に降りよう。
国道まで下りて、「塩ヶ森」へ向かう↓。
「松森山」↓。「塩ヶ森」と「松森」のあいだのコルまで行ってみる。
路傍にフキノトウ。早春の花にはまだ早いようだが、これを収穫としよう。(採って食べてもよいほどたくさん生えているが、あくまで撮影の収穫に)
2丘とも登路が見つからなかったので、コルで引き返す。帰宅してから調べたら、登り口はコルでなく手前にあったのに、見落としていた。残念。2丘の古い写真を貼っておこう。
↓「塩ヶ森」を西方から見た。夏。
↓南側から。冬。左から「塩ヶ森」「松森」。
↓「生森」の麓に戻る。こちら(南側)からだと、なだらかに見える。
↓「秋田街道」の「一里塚」。江戸時代に造られた築山が、そのまま残っているというから驚愕だ。
↓道のちょうどトイメンに、同様の築山がある。2基で街道を挟む形だ。
↓「稗糠 ひえぬか 森」へ向かう。右から、「稗糠森」「勘十郎森」。
「稗糠森」にはあまり人が来ないと見えて、登路はものすごいヤブだった。ヤブで気を付けないとならないのは、サイカチ、サルトリイバラなど刺のある灌木だ。ひっかけると、肌なら血が出るだけだが、トレッキングウェアに穴があいたら大損害だ。
頂上には山名標も無い。しかし、展望は良い。↓「箱ヶ森」と「毒ヶ森」。
↓「松森」の裾を国道が切っている。
西列の「鉢森」も、おわん形の全貌を見せている。
ヤブの路を「勘十郎森」へ向かう。
「稗糠森」を振り返る。もう下のほうになっている。
↓「勘十郎森」の登路からは、北側の展望がよい。「岩手山」の下に「小三角森」。右に「見立森 みてのもり」。赤屋根は「七ツ森小学校」。奥の白い建物が「リハビリテーション・センター」。
「見立森」は3つの峰に分かれている。だから「三手ノ森」? いちばん東のピークが最も高い。これからそこに昇る。
「烏泊山 からすどまりやま」↓。この名前に、どういう云われがあるんだろう? 盛岡に近い山で、夕方になるとカラスが帰っていく山、ということだろうか? 賢治は、
『向ふの方は小岩井農場だ。〔…〕
右手に山がまっくろにうかび出した。その山に何の鳥だか沢山とまって睡ってゐるらしい。』
宮沢賢治『秋田街道』
と書いている。
「勘十郎森」に到着。
↓下りは北側になるので、雪が残っている。アカマツとカラマツ。丈の高い林。
いったん道路まで下りてから登り返す。正面が「見立森」東峰。
「箱ヶ森」も、ここまで来ると角度が変っている。
「見立森」頂上は、山名標も何もない。とにかくヤブが凄かった。いちばん高い地点はここなので、ここ↓が山頂だろう。
「見立森」からヤブを下ると、「リハビリテーション・センター」の職員用駐車場に降り立った。
駅に戻る途中、きょうの「岩手山」、見納めの一枚↓
踏査記録⇒:YAMAP
タイムレコード 20240324 [無印は気圧高度]
(1)から - 1030「生森」[347m]1109 - 1200塩ヶ森/松森のコル[210m]1202 - 1225一里塚[214mGPS]1240 - 1304「稗糠森」[249mGPS]1324 - 1358「勘十郎森」[306mGPS 316mMAP] - 1452「見立森」[294mGPS 304mMAP] - 1513リハビリテーション・センター[250mGPS] - 1541「小岩井」駅[218mGPS]。