「暗(くらがり)峠」からは、ハイウェイと並行しながらゆったりと昇っていく。杉、クヌギ、ヤブツバキ、ヤブニッケイ↓、アオキ、クマザサなどの藪。同じ標高でも関東とは樹種が違うので、いまいち見当がつきにくい。知らない照葉樹が多い。
ときどきハイウェイに接触したり交差したりする。桜の古木が多い。
ここが、暗峠の古道標に書いてあった「鬼取山 631m」。麓から見えていた鉄塔群。マイクロウェーブとテレビ局各社の中継塔。
↓白いのは携帯電話のアンテナで、紅白はテレビ塔らしい。大阪には、東京タワーやスカイツリーみたいなものがない理由がわかる。ここにこれだけのものが立っていたら要らないだろう。
ここが「生駒山」頂上 642m↓。山上遊園地のオモチャの汽車の駅だが、じつは本物の頂上。乗ってる子供たちはわかってるのかな?
「山上遊園地」から奈良市方面の展望。‥‥ん? 景色を見てないね。
遊園地の駐車場の北の端に、「経塚」がある↓。
「経塚」の下に「辻子谷(づしたに)越え」路の丁目石がある↓:「廿七丁」→ 27丁。
その下の谷間を見ると、かなり荒れた「辻子谷越え」路が、東麓の宝山寺方面へ向っている。しかし、きょうは稜線に戻って大阪方面に下りよう。
ハイウェイを渡る。
「辻子谷越え」路、西へ向かう下り坂。石畳がつづく↓。
ふりかえると、‥‥駈け下りてくる人もいる。
とちゅう、「興法寺」という寺がある。
↑明治33年1月の銘のある石柱だが、裏面に「役行者当山開基」とある。この寺も、れいによって「役行者」が開いたとの伝承があるらしい。しかし、説明板によると、本尊・木造十一面観音立像は平安・藤原時代初期の手法で、10世紀頃には、この寺は存在していたと推定される。
辻子谷の対岸には鎌倉時代の「十三重石塔」が残っており、当時の寺域は谷の両岸にわたっていたようだ。南北朝時代には、南朝方の城砦として使われた。
正面の鳥居といい、「歓喜天」の石柱といい、寺院にしては特異な構えだ。鳥居の扁額にも「歓喜天」↓と記している。「歓喜天(聖天)」とは、二人交合の像で表される仏教の神格。単なる山岳仏教という以上に特異な秘教を思わせる。ただそれが当初からのものかどうかはわからない。
山門↓。および、山門の中から鳥居を見る。
「歓喜天堂」↓。
↓宝形造のりっぱな堂宇。本堂のようだが、なぜか注連縄?がかかっている。
「興法寺」から先は、歩きやすい下り坂↓。
「辻子谷」集落。
谷奥~生駒山を振り返る↓。
「従是(ここより) 生駒山宝山寺 丗(さんじゅう)六丁
鷲尾山興法寺 十八丁」
谷が開けて、大阪方面の市街がひろがる。
踏査記録⇒:YAMAP
タイムレコード 20230331 [無印は気圧高度]
(2)から - 1306暗峠[457mGPS]1312 - 1335車道交差[579mGPS] - 1343鬼取山[630mGPS]1346 - 1358生駒山頂[639mGPS]1402 - 1418「経塚」[581mGPS]1430 - 1446「辻子谷越」降路・最初の車道交差[534mGPS]1449 - 1508「興法寺」[418mGPS]1547 - 1607砂倉橋[251mGPS]1610 - 1622復元水車[202mGPS]1625 - 1650「石切」駅[110mGPS]。