葛城(かつらぎ)の金剛(こんごう)山といえばハイキングのメッカ。積雪の厳冬期でもアイゼンを装着したハイカーがひっきりなしに行き交う「ダイヤモンドトレール」は、二上山から竹内峠→岩橋山→大和葛城山→金剛山→岩湧山→和泉葛城山まで延びている。
しかし、中古には、人を喰う怪獣「土蜘蛛」が蟠踞する秘境の地だった。さらに上古ともなれば人蹤(しょう)絶滅の地。最古の行者「役小角(えんのおづぬ)」は、この山塊を修験(しゅげん)のフィールドとして開いたという。その草創期の葛城修験道に、青年時代の「行基(ぎょうき)」が関わっている。
金剛山の東の中腹、標高 540メートル付近にある「高宮廃寺」は、行基が「具足戒」を受けて正式の僧侶となった山岳寺院の跡だ。
登山客のあまり来ない御所市側から「高宮廃寺」を経て山稜に上がり、金剛山から、メインの「千早本道」を大阪府側に下りるコースを歩いてみた。
シルエットは行程の標高(左の目盛り)。折れ線は歩行ペース(右の目盛り)。標準の速さを 100% として、区間平均速度で表している。横軸は、歩行距離。
出発点へ向かう途中、尺土駅から二上山がよく見えた↓。
地図↑を見ると、『古事記』の「高天原(たかまがはら)」神話の発祥地とされる「高天」集落と「高天彦神社」が、すぐ北方にある。そこから金剛山に至る登山道は歴史が古く、明治・大正時代に郵便脚夫がかよったコースもある。今回は「高宮廃寺」址から「石寺址道」を昇る。
葛城の盆地部を流れる葛城川は、「高宮廃寺」にほど近い溪間を水源としている。
出発点は「風の森峠」↓。売店の前に近鉄バスの停留所がある。
正面に金剛山が見える。
↑台地の上に出た。金剛山中央の丸い頂きが湧出岳↓。頂上のマイクロウェーブが見える。
右のほうに大和葛城山も見えている。
↓ふりかえると、盆地の向うに吉野の山々。遠くのギザギザは、大峰奥駈け道の大普賢岳、稲村ヶ岳から弥山(みやま)のあたり。
離れて「高鴨神社」の鳥居が見える。主祭神「阿遅志貴高日子根命」別名「迦毛(かも)之大御神(おおみかみ)」は『古事記』神話と並ぶほど古く、「鴨氏」の氏神ないし祖神。京都の上賀茂・下鴨両社はその流れだという。
台地を横断して裾野斜面を上がってゆくと、路は、杉の美林に入る。下生えはアオキ。花粉を噴き出すためにあるような関東の山とはちがって、見るからに手入れの良い植林だ。
分岐点↓。左は金剛山への登山道。右へ行くと高宮廃寺。
右へ進んでいくと、森の中に、そこだけ日が射して明るい場所がある。
やはり、ここが「高宮廃寺」だった。
遺跡の全景↓。こちら側に「金堂」、向こうの低いところに「塔」の礎石が掘り出されている。
「金堂」基壇と礎石群↓。礎石には、上に柱を据えた彫り型が残っている。
↓道に戻ると、説明板があった。瓦の年代から見ると、行基がここで受戒した持統朝当時には、塔・金堂のような立派な建物は、まだなかったのかもしれない。
タイムレコード 20230228 [無印は気圧高度]
「風の森」バス停[259mGPS]1018 - 1123「大弁財天」[419mGPS]1135 - 1204「石寺址登山道」分岐※[545mGPS]1206 - 1211「高宮廃寺」址[548mGPS]1256 - 1258分岐※ - (2)につづく。