毎度の高山不動尊参り。滝めぐりのコースにまだ行ってなかったので、今回の登路に選び、下山は「学校道」を踏んでみる。これでこの領域もコンプ。
シルエットは行程の標高(左の目盛り)。折れ線は歩行ペース(右の目盛り)。標準の速さを 100% として、区間平均速度で表している。横軸は、歩行距離。
「間野」集落前のいつもの曲がり角(「萩の平コース」分岐)↓は通り過ぎて、その先を右折。高麗川支流の高畑川に沿って山へ入っていく。
空き地のコスモス。
「コスモス無残」という言葉が頭をよぎる。太宰の短編集『津軽』だったかな。。。
「本職の詩人ともなれば、いつどんな注文があるか、わからないから、常に詩材の準備をして置くのである。〔…〕
トンボ。スキトオル。と書いてある。
秋になると、蜻蛉(とんぼ)も、ひ弱く、肉体は死んで、精神だけがふらふら飛んでいる様子を指して言っている言葉らしい。蜻蛉のからだが、秋の日ざしに、透きとおって見える。〔…〕
コスモス、無残。と書いてある。
〔…〕私は、胸が焼き焦げるほどにそのみじめな女を恋した。おそろしい情慾をさえ感じました。悲惨と情慾とはうらはらのものらしい。息がとまるほどに、苦しかった。枯野のコスモスに行き逢うと、私は、それと同じ痛苦を感じます。秋の朝顔も、コスモスと同じくらいに私を瞬時窒息させます。」
太宰治『ア、秋』
カツラの一本立ち。もう黄葉している。隣地のキャンプ場造成のせいで、地下水脈が絶たれたのだろうか? 観光シンボルツリーにしようともくろんでいると、怨嗟の枯死を敢行するだろう。繊細な枝ぶりが悲しい。
↓「武甲鉱業ベルトコンベア」が道路の上を通っている。武甲山の山体の地下から、日高市のセメント工場まで、石灰岩を運ぶ全長 23.4km の長大なトンネルだ。ここは「高畑積み替え所」で、コンベアからコンベアに積み替えを行なっているらしい。
高畑川。杉林の谷間の渓流になってきた。
ここが登山路の始点。車道から岐れて、「大滝」へ向かう。
↓路は狭くて滑りやすい。沢も、どんどん岩がちになる。
↓「大滝」。水量は、ここがいちばん多い。
分岐点。つぎは、「不動の滝」へ行ってくる。
↓不動の滝。
↑デジカメで撮してみた。
上部の2段が、滝の “本体” なのかもしれない。そこだけスマホで撮してみる↓。
ともかく、水量が少なくて迫力がない。分岐点に戻って、「白滝」に向かう。
↓白滝。‥‥うん。ほどほどに水量もあって、流れ方がおもしろい。岩の穴からも水が出ている。ぼくはここが気に入った。
「白滝」の上部と下部。
滝の下、足もとにある↓この緑色の岩は、蛇紋岩ではないかと思って撮ってみた。帰宅してから地質図など調べたがわからない。輝緑凝灰岩にも似ているが、よくわからない。れいのユガテ(⇒「謎のユガテ」)付近の緩斜面が、輝緑凝灰岩地帯なのだそうだ。しかし、ここは谷が深くて険(けわ)しい。
分岐点に戻り、つづら折れを 100メートルあまり登ると、乗越しで、萩の平・石地蔵からのいつもの登拝路に出会う。だらだらと下りて、「高山不動堂」に到着。
↓脇から堂内を覘くと、いつもの猿の木像が鎮座まします。
不動像と地蔵像↓。路傍の道祖神を集めたのだろう。
左の像の光背には、
「文政十一 子 三月十四日
高山 ……」
とある。文政11年(1828年)は子(ね)年。文政8年に「外国船打払令」が出て、9年には「シーボルト事件」が起きている。12年には「おかげまいり」が大流行。そういう不安な時代だった。
タイムレコード 20221011 [無印は気圧高度]
「西吾野」駅[250m]925 - 940「萩の平コース」分岐[251m] - 945分岐(北川・高畑川合流点)[256m] - 1016大滝登山口[371m] - 1024分岐点※[409m] - 1035大滝[404m]1048 - 1053分岐点※1100 - 1114分岐点*[490m 514mGPS]1117 - 1127不動の滝[552m]1147 - 1157分岐点* - 1200分岐点★[480m] - 1207白滝[513m 569mGPS]1245 - 1251分岐点★ - 1305「萩の平・パノラマコース」出合い[588m 612mGPS] - 1312高山不動堂[574m]1337 - (2)につづく。