加波山頂。つぎの頂きへ。注連縄(しめなわ)が張ってある。
こんどの祠は「たばこ神社」。斜陽産業だなあ。
↑こんなところにも、ブナがある。中腹の群生樹よりも立派だ。
↓つぎは、加波山神社「親宮」。御神体が、仏手岩の形をしている。
↓すこし下りると、拝殿がある。左が「本宮」の拝殿。右が「親宮」の拝殿。拝殿の入口に青竹で鳥居のようなものが組んである。青竹は穢(けが)れを祓(はら)う力があるとされているから、聖域の境(さかい)になっているのだろう。
これで加波山は終り。それにしても、雑然とした神社だった。風の吹くまま乱れるまま、一木一石も動かしてはならぬ!‥みたいな信仰があるんだろうか。
縦走路(といってもここは車道)を燕山へ向かう。
↓燕山。「IBS茨城放送」のFM補完中継局がある。
↓ここからの尾根縦走は、基本的に下りになる。コナラ、ホオノキ、クリ、リョウブ、山桜、イヌシデ、クマノミズキ、ウリカエデなどの雑木林。
東側が、また一寸開けた。難台山。
↓このまま尾根伝いに行けば「雨引山」だが、ここで縦走路を離れ、「雨引観音」に下りる。
雨引山楽法寺、通称雨引観音。下りて来ると、ちょうど本堂で祈禱がはじまったところだった。速い拍子の太鼓と鉦(かね)の音が響きわたっている。
寺伝によれば、用明天皇 2年(587年)に中国・梁の居士(在家仏教徒)によって創建されたとあるが、史実かどうか不明。しかし、平安初期の木造観世音菩薩立像が秘仏として所蔵されており、じっさいの創建は、そのころだろう。寺伝では、821年、嵯峨天皇の勅願により雨乞いを行ない、全国を降雨で潤した功績で、「雨引山」の山号を賜ったという。当初から雨乞い祈祷の寺だったことがわかる。
鎌倉時代の作といわれる十一面観音等の絹本著色画像が残っており、その後、足利尊氏によって再興されたとも云う。巨刹ではないが、1200年にわたって途切れることなく保たれてきた山岳寺院なのだろう。
「多宝塔」↓。1853年建築。
「観音堂」前から石段を下りてゆくと、「仁王門」↓がある。麓からの参拝とは逆の順序で退出することになる。
「黒門」↓。門はどちらも古そうで、県と市の指定文化財だが、年代はわからなかった。まだ、考証鑑定のさいちゅうなのだろう。境内には、ほかにも古い堂宇(阿弥陀堂? ほか)がいくつかあったが、まったく不明。今後の研究による解明が期待できる寺刹だ。
里へ下りる途中、歩いてきた燕山が見える↓。
↓遠くに筑波山。
空き地はコスモスの花ざかり。
北側の「雨引山」は、もう暮色。
県道沿い。住宅地の一角に、古い屋敷門が残されている。筑波方面への街道筋だったのだろう。
踏査記録⇒:YAMAP
タイムレコード 20221009 [無印は気圧高度]
(1)から - 1145加波山頂[709mGPS]1152 - 1220加波山神社「拝殿」[638mGPS]1233 - 1236「親宮参道」分岐[635mGPS] - 1305燕山[701mGPS]1314 - 1436 367mピーク[369mGPS]1445 - 1520雨引山分岐(縦走路岐れ)[350mGPS]1526 - 1546雨引観音[204mGPS]1624 - 1720「大曽根」交差点[45m] 。