「日和田山」は、男坂から登っても、女坂から登っても、プチ岩場があって手ごたえを感じられる。しっかりした安全具が整備されているから、家族連れに好適。フィールドアスレチックのノリでロッククライミングみたいなのを楽しめるとあって、休日ごとに人でいっぱいになる。そういえば、私も最初に来たのは小学生の時で、両親に連れられてだったな。山登りの経験のないお父さんでも、イイトコ見せられる絶好のスポットではあるのだったw。駅から登山口まで徒歩15分、駐車場も完備。
コース東半分 の後半
↓「日和田山」頂上の宝篋印塔。来るたびにおなじみの “頂上の塔” だが、きょうは写真にとって、記銘をじっくり解読することにしよう。
「聖天院/三十五世/法印隆?敞?」
「右者□□/供養建之」
「享保十乙巳天/??/三月」
「聖天院(しょうでんいん)」は、この先、日和田山の麓にある寺院で、「高麗王(こまおう)若光(じゃっこう)」の墓所。7世紀後半~8世紀初め、東アジアに「隋末唐初」の戦乱があって、唐と新羅の連合軍が高句麗と百済を亡ぼした。「高麗王若光」は、この時、高句麗から亡命した王族らしい。
この “東アジア大変動” の戦乱では、ヤマト政権も、滅亡後の百済の残党に援軍を送って、「白村江の戦い」で唐に敗れ、全滅している。なにせ、唐の来襲近しと予測した百済は、ヤマトにスペアの王子を預けて、万一の場合の再起に備えていたのだ。「王都が陥落したからリベンジしたい。援軍を出してほしい。」と言われたら、断れないだろう。「白村江の戦い」のあと、王子は高句麗に逃れたが、高句麗も唐の来襲を受けて最終的に滅亡した。
「高麗王若光」の「王」という字は、日本に来てからヤマト政権にもらった「カバネ」(古代の世襲職能集団の肩書)だから、高句麗で王だったわけではない。しかし、本来はヤマトの皇族にしか賜与されない「王」というカバネを与えられたのだから、高句麗でも、王族か王族に近い身分だったろう。「若光」は、1799人の高句麗人亡命者を率いて、この高麗郷(こまごう)の地に定住したと『続日本紀(しょくにほんぎ)』は記す。
起源はそういうことだが、この宝篋印塔は、享保10年(1725年)、「聖天院三十五世」の「法印隆敞?」という人が建てたらしい。誰の供養のために建てたのか、そこの字が読めないのだが、高麗氏の始祖「若光」かもしれない。
↓ヤシオツツジか? 日が傾いて横殴りの光になってきた。
↓山頂の少し下に「金比羅(こんぴら)神社」の祠があって、その前の鳥居のあたりは展望がよい。いつも人がおおぜいいる。
↓「巾着田(きんちゃくでん)」。高麗川(こまがわ)の蛇行が造った風景。背後の丘陵のなかの路は、高麗峠を経て飯能市へつづく。
↓登山口近し。一之鳥居? 重力に任せて下っていたら、小さい子どもがおおぜい追いかけてきて、追い越したり戻ったり。危いったらない。日和田山でなければ本気で心配して怒鳴っただろう。
登山口に降り立った。上で見下ろした高麗峠の丘陵が、横の高さに見える。ここから西武線「高麗」駅まで 10分程度だが、きょうはまだ日が高いので、高麗神社へ寄ってみる。高麗神社も、「高麗王若光」を祀っている。
この里も華やかだ。鄙びた農村風景の中に、それとなく咲いているのがいい。↓モモ?
ウワミズザクラ↓。
↓ひっそりと、石仏もある。
「高麗山聖天院」⇒:聖天院・公式HP。この寺のことは、まだよく調べていない。改めてお参りする時に調べてみよう。
↓「聖天院」を見送って、高麗神社に向かう。
↓「高麗神社(こまじんじゃ)」に到着。⇒:高麗神社・公式HP
鳥居↑というのは、日本特有のもので、大陸式ではない。↓「将軍標(チャングンピョ)」のあいだから入るのが礼儀というものだろう。もっとも、「将軍標」も古代高句麗にはなかった。中世・高麗(こうらい)時代に発祥したと言われている。
じつは、日本の「鳥居」と高麗・朝鮮の「将軍標(長生標)」は、起源が同じらしい。東北アジアから朝鮮半島まで、遅くとも紀元1世紀ころには、「蘇塗、鳥杆(ソッテ)」という高い木の竿を立てるシャマニズム祭祀が行われていた。頂部には木製の鳥型をつけ、鈴や「鐸」を懸けて鳴らしながら、おおぜいで周りを廻って舞い踊る祭りが、馬韓(百済の前身)で盛行し、九州~近畿に伝わって「銅鐸祭祀」となった。「鳥居」はその名残りであり、朝鮮では「長生標」として残ったという。詳しくは⇒:【鳥杆(蘇塗)】
↓拝殿。カシワデを打ったらいけませんゾ! 正しい礼式で礼拝したいのなら、大陸式叩頭(こうとう)礼。地面に正座して両手のひらを地に着け、額(ひたい)を地に着けます。最高に丁寧にしたいなら、「三跪九叩(さんききゅうこう)」礼。ひざまずく→叩頭3回(額で地面を3回たたく)→立ち上がる→ひざまずく→‥‥ これを3回繰り返します。やってね(^。^)ッ! 恥ずかしいとか思っちゃだめよw
↓これが由緒書き・兼・証拠資料。おおよその内容は↑日和田山頂のところで書きましたからね、あとは自分で読んでね。返り点なんか付けたらダメダメよ!
↓「高麗家住宅」。「高麗王若光」の子孫「高麗(こま)氏」が、高麗神社の代々の宮司を勤めてきた。その「高麗氏」の住居で、伝承によれば慶長年間(桃山~江戸初)の建造。構造・様式からは、17世紀後半と推定される。
さて‥境内では、毎年1月と9月に開催される「古代装束絵巻」の高句麗装束が展示されていました↓。これらは、高句麗の古墳壁画から復元されたもので、見たところたいへん正確なものに思われます。
↓この高句麗ファッションが、「高松塚古墳」に描かれた女人群像の服装に、たいへんよく似ているのです。そこで、古代服飾に関する高麗神社の大胆な提起は、当時のヤマトの人びとは、高句麗と共通するファッションを身に着けていたにちがいない、というものです。色とりどりのストライプのスカートと、水玉模様が、高句麗古墳壁画と「高松塚」に共通する特徴です。
これまで、「高松塚古墳」壁画については、渡来人が故国の風俗を望郷の想いで描いたものだ、という解釈がふつうでした。しかし、それは違う。むしろ、当時のヤマトでは、渡来人が持ってきた高句麗ファッションが大流行していた、だから古墳にも描かれた、というのです。
それぞれ右2人分が、「高松塚古墳」壁画から復元した装束。
ファッションはファッションだけの問題ではありません。高句麗とヤマトのあいだに、よほど密接な文化交流がなければ、ヤマトの人びとが高句麗の装束に倣うことはないでしょう。しかも、古代の文化交流は、国際政治と密接につながっています。『日本書紀』などの文字資料を見る限りでは、ヤマト政権と高句麗との関係は、それほど密接ではないのですが、それは、何らかの政治的理由で、事実が隠されてしまっているのかもしれない。従来考えられてきたよりも文化交流が密接であったのだとすると、文字資料による古代政治史の理解も、考え直さなくてはならないかもしれません。
私は、この問題提起には一考の価値があると思いました。
というのは、これまでの日本史では、「高松塚古墳」に限らず、高句麗との関係が軽く扱われたり、見過ごされてきた面が多々あったと思うからです。たとえば、法隆寺所蔵の「四騎獅子狩文錦」↓ですが、“ペルシャの意匠で、中国で織られたもの”、という理解が一般です。しかし、馬上で後ろを向いて動物を射る、このスタイルは、高句麗の古墳壁画にはたいへん多いのです。人物の着ている鎧は、ペルシャではなく、高句麗か中国のものです。
「四騎獅子狩文錦」(レプリカ、部分)
↓こちらは、高句麗古墳壁画の一例ですが、“後ろ向きスタイル” で鹿狩りをしています。
高句麗「舞踏塚古墳」壁画。 狩猟図(部分) 輯安
「西園馬射戯」と題して、高句麗王宮の「西園」で催された競技会のようすを描いた壁画↓にも、この “後ろ向きスタイル” の弓射が描かれています。つまり、高句麗ではじっさいに、こういう射かたをしたのです。
高句麗「徳興里壁画古墳」玄室西壁。 「馬射戯」図
左赤丸内の人物が馬上「後ろ向き」で的を射ている。
右矢印「叱□西薗尚馬射戯」。中央の3名は、
「射戯注記人」とあって、審判らしい。
私は、「ボリス1世」というブルガリアの映画を見た時に、黒海岸の遊牧民が、子供の時から “後ろ向き”弓射の訓練をしていて、驚いたことがあります。このスタイルは、ユーラシアの遊牧民・騎馬民族に共通の技能で、ペルシャは一例にすぎない。西はブルガリアから東は高句麗まで、遊牧系の騎手はみな、このスタイルを習得していたのです。そうすると、法隆寺の「獅子狩文錦」も、高句麗から持ち込まれた可能性を考えてよいのではないでしょうか。
かりに製造地は中国だとしても、当時の人びとは、この“後ろ向き”弓射のスタイルを見て、「高句麗の騎手の文様だ」、あるいは、「北方民族の文様だ」と思ったのではないか? ‥「ペルシャだ」(そんな国、知るわけないw)とは思わなかったはずです。
問題は文化的関係に限りません。『日本書紀』を読んでいると、この時点で高句麗から使節が訪れていなければおかしいのに、どうして書いてないのだろう?‥高句麗との行き来がもっとなければ、つじつまが合わない‥、と思うことが、よくあります。
古代の日本は、高句麗から、日本史学者が考えてきたよりもずっと大きな影響を、政治的にも文化的にも、受けていたと思うのです。
↓「高麗神社」をあとにして、八高線「高麗川」駅に向かう。「出世橋」で高麗川を渡る。
「高麗川」駅↓。もう日の光が夕焼け色になっている。
タイムレコード 20220325 [無印は気圧高度]
(4)から -1448日和田山1455 - 1517日和田山登山口[121m]1520 - 1551高麗神社[75m]1643 - 1708「高麗川」駅[79m]。