遅ればせの初詣で。
「身延山」は3回目だが、過去2回は、それぞれツレがいたので、しかたなく (しかたないなんて、もちろん言えませぬw)ロープウェイを利用。今回やっと徒歩で昇り降りできた。
1000メートル近い標高差があるが、半分くらいがコンクリートの簡易舗装で、お寺の自動車も通っている。「登山」と言うのは気が退ける。それでも、YAMAPに出してみたらイイネが多かったので、こちらにも出してみることにした。
シルエットは行程の標高(左の目盛り)。折れ線は歩行ペース(右の目盛り)。標準の速さを 100% として、区間平均速度で表している。横軸は、歩行距離。
「身延山」バス停から「久遠寺(くおんじ)」方向を望む↓。なつかしい! 1回目の記憶は、もうない。2回目も冬で、寒かった。その時に友達と入ったコーヒーショップは、無くなっていた。伝統ある門前町にしては、店の入れ替わりが多いようだ。
久遠寺「三門」↓。ここでは、「山門」と言わず、「三門」と言うらしい。バス停より下に「総門」というのがあって、「総門」と「三門」のあいだにも、「総門」の下にも、もちろん「三門」の上にも、おびただしい数の塔頭(たっちゅう)や「坊」がある。その数、比叡山にも匹敵するかと思われるほどだ。
それらがみな日蓮宗なのだから、すごい。門の内外は、久遠寺との宗派・来歴の距離によるのだろう。たとえば、今回は時間切れで行けなかったが、「総門」の下にある「鏡円坊(きょうえんぼう)」は、東北の遠野、花巻と縁が深い。宮沢賢治の親族が元住職を花巻に招いて「身延山別院・身照寺(しんしょうじ)」を開いた。そこに賢治の墓もある。
↓今年は、日蓮上人の生誕800年だそうだ。え ?! たしか、宮沢賢治は、1921年初めに日蓮生誕700年だと言って、親友保阪に改宗を迫っている。ウィキで調べてみたが、1222年誕生で、異説は無いらしい。身延山のほうが本当だ。当時、賢治所属の『国柱会』が何かの都合で1年ずらし、賢治は騙されたのか?
このトイレは「善男」専用。悪男は、外で立ちしょんしろってこと?
「三門」をくぐると、石段のわきに「南部實長(さねなが)公・銅像」↓。鎌倉幕府から再三の迫害を受け、身辺を監視されていた日蓮は、1274年――元寇の年に、南部氏の保護を受けて身延山に引き籠もる。この地方の地頭だった南部実長は、すでに日蓮宗に改宗していて、13里四方の領地を寄進して歓待した。ルターを匿ったザクセン公フリードリヒみたいなもんですな。
ちなみに、岩手~青森の「南部氏」は、甲斐・南部氏の分かれで、日蓮宗もいっしょに持って行ったが、日蓮宗は東北の領民には広まらなかった。盛岡には日蓮宗の寺がほとんど無いし、花巻には、宮沢家が「身照寺」を興すまでゼロだった。「身照寺」は、遠野・南部氏の末裔である日實が、身延山「鏡円坊」の住職になっていたのを、賢治の叔父がスカウトして、第2次大戦後に興したもの。
急な石段だ。
↓久遠寺本堂。
五重塔。
「本堂」の上に、ロープウェイが見える。
「棲神閣」↓。日蓮の神霊を祀るお堂。しかし、神は仏教では最下位の格なのだ。詳しいことは、このあと「本地堂」のところで youtube が解説してくれる。
「真骨堂」↓。日蓮の遺骨を安置する。見えているのは拝殿で、「真骨堂」はこの奥。朝から、うちわ太鼓が間断なく鳴り響いていた。日蓮入滅後 740年間、昼も夜も叩いているのだろうか? 昇天しつづける日蓮。それでもまだ如来にはならないらしい。孤独な日蓮。阿弥陀さまがお迎えに来てくれるみたいな安直なことはないのだ。もし来たって、日蓮は拒否するだろうけれど。
「真骨堂」のわきで、もう梅が開花していた。
↓「位牌堂・仏殿」
↓「本堂」付近に戻る。
↓下の道はロープウェイ駅へ。上の道は、奥の院へ向かう徒歩参道。
上の道を登って行くと、最初にあるのが「本地堂」↓。バーコードが付いていて(右下の看板↓)、ヨウツベで、お坊さん兼学芸員の解説を見れるしくみ⇒:身延山紹介動画・本地堂。
ここは「上行(じょうぎょう)菩薩」を祀る。「上行菩薩」は、末法時代に法華経を説く菩薩で、日蓮は「上行菩薩」の化身とされる。だから、化身の日蓮に対して、こちらが「本地(ほんじ)」つまり本体。ところが、「上行菩薩」にも本体があって、それは当然のことながらお釈迦さま。ここからもっと登ったところに「丈六堂」があって、釈迦如来の丈六仏(じょうろくぶつ)が安置されている。「丈六堂」―「本地堂」―「棲神堂」は一直線に並んでいて、日蓮の教えはお釈迦さまの正しい教えだという意味なんだとのこと。
日蓮宗では、「本地」「本仏」については宗派のあいだでやかましい。こちらにいるのが「本仏」だと、それぞれが主張して譲らない。ある宗派などは、自派の本尊「板まんだら」こそ「本仏」だと主張して、裁判で争った。最高裁のお答えは? ⇒ 宗教問題にまで関わってられません、との理由で却下判決。つまり引き分け。でもそれでいいんでしょう。判決が出るまでは、正しいことが証明されますと宣伝してればいいし、判決が出たあとは、最高裁でさえ否定できなかったと勝利宣言! 日蓮宗派の顧問弁護士ほどラクな商売はありませんねw。
↓たしかに、「棲神堂」の屋根が真下に見える。
↓こんな調子で、簡易舗装の急坂がつづく。
↓石段の上が「十如坊」。鬼子母神を祀る。「十丁」の丁目石がある。四十五丁で「奥の院」。
↓「丈六堂」。「十四丁」。
↓中にいる丈六の釈迦如来。見えますか? 「丈六仏」とは、高さ1丈6尺の立仏像。江戸時代初期 1643年に寄進された寄木造り・漆・金箔。↑丈六堂の建物も 1643年建立。
タイムレコード 20220201 [無印は気圧高度]
「身延山」バス停1000 [GPS256m] - 1004三門[GPS268m]1035 - 1051久遠寺本堂1053 - 1104納牌堂・仏殿[377m] - 1111ロープウェイ駅分岐[382m]1113 - 1120本地堂 - 1131十如坊分岐 - 1144丈六堂1214 [535m] - (2)につづく。
Gaetano d'Agata (1883-1949)