小説・詩ランキング

 

 

 

 韓国の日刊紙『ハンギョレ』に連載中の論評記事から、第17~18回のダイジェストをお届けします。

 

 全10回と予告されて始まり、11回目以降も連載が続いていましたが、第18回でようやく著者は「<終>」を打ちました。そして最終回の後半部分では、「予測通り韓日は不和のまま、東アジアの未来をかけた2018~2019年の外交戦で韓国は敗れた。」と締めくくっています。

 

 しかし、はたして「敗れた」のは韓国だけだろうか? 日本の政権も、自ら招いた敗北の底に沈んでいないだろうか?――という疑問が湧きます。

 

 この間に、北朝鮮だけが着々と核武装を高度化させており、日本の政権は、自ら第一の課題として掲げる「拉致」問題に関してすら交渉の糸口も掴んでおらず、武力による勢力拡張を進める中国と、中国包囲網を構築しようとする米国のはざまにあって、一方の尖兵として後戻りのできない崖縁に追い込まれているのが実情だからです。たがいの“報復合戦”に集中するあまり、自分の足元から眼をそらし、激しく組み合いながら奈落の底に落ちてゆく日韓両国の姿をそこに見るのは、まちがえでしょうか?

 

 「2018~2019年」の経過を、日韓両国の「外交戦」として見る見方自体が、両国を“敗北”へと導くのではないか? なぜなら、外交とは、2国間のみで行われるものではないからです。外交の“成功・失敗”の評価は、多面的になされねばならない。

 

 たしかに、“東アジア「冷戦」構造の解体→「平和プロセス」か、それとも「冷戦」の維持・復活か”という、著者の主張する議論の枠組みには、否定できない説得力があります。しかし、はたして、それだけなのか? たとえば、北朝鮮の核兵器開発に対して、これを容認して「冷戦」体制を崩すか、それとも「冷戦」を強化して「非核化」を強いるか? その2つに1つしかないのか?... あるいは、北朝鮮や新疆,チベット,香港の人権に対して、これらを“見ぬ”ふりをして「平和プロセス」を進めるか、それとも、あくまでも人権抑圧をやめさせるべく「冷戦」体制を総動員するか? その2つしか選択肢はないのか?...

 

 1950-80年代の東西「冷戦」とは、現実である前に、イデオロギーによる“ものがたり”でした。米ソ両大国は、それぞれ超大国の利益のために、この“ものがたり”を政治利用し、核軍備を拡張し、誰も抗えない“脅迫の論理”で世界を支配した。……そのことが想起されなければならないでしょう。私たちは、すでに一度、「冷戦」を経験している。だとすれば、同じ“うそ”に二度だまされてはならないのです。私たちが必要とするのは、この数年間の経験から教訓を抽き出すことであって、そこに、周知の“ものがたり”を確認して思考を止めることではありません。

 


  『ハンギョレ新聞』は、軍政時代、民主化を主張して職を追われた新聞記者が中心になり設立された。盧泰愚、金泳三、李明博、朴槿恵の保守派政権には批判的だったが、金大中、盧武鉉と続いた改革・進歩派の政権では、比較的政府に好意的であった。

 2017年に誕生した文在寅政権に対しては一貫して支持しており、文在寅自身も、かつて『ハンギョレ新聞』の創刊発起人、創刊委員、釜山支局長などを歴任している。他方で、政権寄りの報道に対して若手記者が抵抗する事態も起きている。

 この記事も、文政権の外交・統一政策に対して盲目的に支持するのではなく、基本的に評価しつつ、客観的・批判的視点をも失わない基調で書かれている。

 執筆者キル・ユンヒョン氏は、大学で政治外交学を専攻。駆け出し記者時代から強制動員の被害問題と韓日関係に関心を持ち、多くの記事を書いた。2013年秋から2017年春までハンギョレ東京特派員を務め、安倍政権が推進してきた様々な政策を間近に見た。韓国語著書に『私は朝鮮人カミカゼだ』、『安倍とは誰か』などがある。現在、『ハンギョレ』統一外交チーム記者。

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

“分水嶺”としての「ハノイの決裂」

 

 前回と今回の部分で、著者は 2019年2月28日米朝「ハノイ首脳会談」決裂後の韓日葛藤の経過について書いています。

 

 しかし、この過程は、米朝に関しても韓日に関しても、韓国と、私たち日本とでは、受け止め方がかなり違っていたように思われます。著者キル・ユンヒョン氏のまとめた経過に、私たちは、多少の異和感を持たざるをえないのです。

 

 まず、米朝に関しては、「ハノイの失敗」を修復すべく文大統領府がセットした 2019年6月の「板門店南北米サプライズ」会談も、具体的合意の方向性すら示したわけではなく、「修復」の一歩が踏み出されたと言えるものではありませんでした。「無益な劇場外交をむなしく続けている」、あるいは、「ふんいきだけは友好的に維持されたので、何もないよりは、ましだろう」「戦争が起きないことだけは保証された」という感想を、私たちは抱きました。しかし、韓国では、より大きな期待が抱かれたようです。

 

 もう一つの日韓に関しては、同年7月以来の日本の「経済的報復」は、安倍右翼政権によるイデオロギー的憤懣の爆発であり、韓国に対する植民地的な“義兄弟の契り”をも、みずから斬り捨ててしまおうとする試みだという点で、著者と私たちの見方は一致します。日本の措置は、徴用工問題(間接には慰安婦問題も)に対する日本右翼の「報復」にほかなりません。

 

 したがって、それに対する韓国側の反応が、日本製品ボイコットのみならず、「土着倭寇[「日本の海賊になりすました盗賊」が原義だが、広く親日的な悪者を非難する言葉として使われる]」摘発、「親日派所有地没収」といった国粋的な方向に向うのも自然な流れではあるのです。しかし、自然な流れが、事態に対する適切な方向付けでもあるとは限りません。そこに、文在寅政権が陥った著しい困難があります。

 

 著者は、そこにおかれた文政権の失策――国粋的な勇ましい言動と、急激に軟化してゆく対日姿勢の矛盾――を突いているのですが、私たちは、やや異なる印象を、当時の報道に見ていました。2019年の段階では、文政権は、少なくとも大統領演説に関するかぎり、けっして無原則な“対日軟化”ではなかったと思います(その点が、現在とは大きく異なります)。“過去問題”をはじめとして、日本に対する韓国の原則的立場は堅持しつつ、対話の門戸は広くあけておく、という、いわば“大人の態度”を、私たちはそこに見ました。文大統領の当時の態度は、なりふりかまわぬ安倍の報復的態度とは好対照であり、私たちはそれを見て、隣国に対する敬意を今一度新たにすることができたのです。

 

 しかし、そうだとすれば、文政権と韓国与党は、日本に対して持してきた原則的姿勢を、なぜ北朝鮮に対しては向けないのか? 文政権も、先駆する盧武鉉・民主党政権も、北朝鮮の理不尽な要求と行動に対して、しばしば無原則に対応(屈従)しているように見えるのは、なぜなのか? 当時も今も解消しない私たちの大きな疑問は、そこにあります。


 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 

http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/39263.html



『朝鮮半島と東アジアを抑圧する不信と対立を克服し、「朝鮮半島非核化」と「恒久的平和」を実現しようとする韓国の悽絶な「現状変更戦略」が挫折した地点で作動し始めたのは、冷戦の見慣れた「慣性」だった。

 2019年10月5日のスウェーデン・ストックホルムでの朝米実務交渉が決裂したという知らせに、韓国大統領府はしばらく沈黙を守った。

 大統領府の公式発言が出たのは、決裂から13日経った18日の在韓外交団招請レセプションの歓迎のあいさつを通じてだった。文大統領は「韓国は今、朝鮮半島の非核化と恒久的平和という歴史的変化に挑戦している。我々は今、その最後の壁に向き合っている。その壁を越えてこそ、対決の時代に戻らず明るい未来を開くことができる」と述べた。文大統領は今回の交渉決裂を「最後のヤマ場」と評価し、最後まであきらめない決意を明らかにしたのだが、冷静に考えれば、2018年初めに「奇跡」のように始まった「朝鮮半島平和プロセス」は、すでに動力を失っていた。

 

 そして、「韓米日」対「北中ロ」という冷戦の見慣れた「慣性」が再始動した。米国は悪化した韓日関係を改善し、放置してきた韓米日3国同盟を正常化することを心に決める。この作業は韓国が8月22日に下した韓日軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の終了決定を覆すことから始めるしかなかった。まず刀を抜いたのは米国防総省だった。インド太平洋担当のシュライバー次官補は10月1日、米ブルッキングス研究所の討論会で「我々は我々の同盟に、(韓日の)対立で利益を得るのは中国・ロシア・北朝鮮だという事実を認識させ続ける必要がある」と言い、11月にタイ・バンコクで予定されていた「ASEAN国防相会談で(韓米日)3カ国国防相会談を開く機会を持つ」と述べた。これに応えるように河野太郎防衛相も10月8日の記者会見で「機会があればチョン・ギョンドゥ国防長官にお目にかかって話をすることはやぶさかではない」と述べた。“朝中ロの挑発に対抗するには韓米日が固く団結しなければならない”という米国の催促は、GSOMIAが終了する11月23日0時が近づくほどますます激しくなるばかりだった。

 この頃、韓国大統領府も、GSOMIA終了がもたらした大きな影響を実感し、11月初めにタイ・バンコクで開かれるASEAN関連首脳会議で韓日首脳会談を開くことを提案するなど、軌道修正を試みた。大統領府はこの会談を通じて、韓国は「GSOMIA終了」問題で、日本は「輸出規制撤回」問題で、互いに少しずつ譲歩する見取り図を描いたものとみられる。天皇即位式への出席を大義名分として10月22日に訪日したイ・ナギョン首相は、24日に安倍晋三首相と顔を合わせた。しかし、安倍首相は「(韓国の)最高裁判決は国際法に明白に違反している。日韓関係の法的基盤を根本から崩した」と冷ややかに言い放った。6日後の30日、読売新聞は「日本政府は来月首脳会談を開かないという方針を固めた」と報じた。韓国が再び差しのべた手を、日本は強く振り切ったのだ。

 11月の首脳会談を日本が拒否したので、強引にでも意思疎通の機会を作らなければならなかった。11月4日,バンコク。文大統領は、ASEAN+3首脳会議に出席するために控え室に入場する安倍首相を、近くのソファーへ案内し、11分ほど歓談した。しかし安倍首相は「我々が1965年の日韓請求権協定に関する原則(日韓間の請求権に関するすべての問題は解決済みとの立場)を変えることはない」という従来の立場を2回繰り返した。この「歓談」は、韓国では大きく報道されたが、日本の首相官邸は報道資料も出さず、不快感を隠さなかった。

 首脳会談による問題解決の道が閉ざされると、韓国政府は実務会談へと方向を転換せざるを得なかった。GSOMIA終了を2週間後に控えた11月10日に始まった実務会談の代表となったのは、チョ・セヨン外交部第1次官と秋葉剛男外務省事務次官だった。チョ次官が「少なくとも2回」日本を極秘訪問するなど熾烈な交渉の末、(1)韓国がGSOMIA終了通告を停止する、(2)韓日の課長級で進められていた輸出規制措置に対する協議を局長級に格上げする、(3)輸出規制撤廃のためのロードマップを作る、という妥協案をまとめた。韓国がGSOMIA終了決定を覆す「現金」を出したのに比べ、日本は輸出規制に対する協議を強化する「手形」だけを提示した。韓国側が日本に譲歩する案だった。

 チョ・セヨン次官と秋葉事務次官の熾烈な実務交渉が続いていた頃、韓国は「GSOMIA終了決定を撤回せよ」という米国の露骨な圧迫に苦しんでいた。スティルウェル米国務次官補(東アジア太平洋担当)は11月6日、GSOMIA終了決定の主役の一人であるキム・ヒョンジョン国家安保室第2次長との70分にわたる面会で、GSOMIA延長を強く要求した。エスパー国防長官は15日、第51回韓米安全保障協議会(SCM)終了後の記者会見で、「GSOMIAの終了や韓日対立で得をするのは平壌と北京」であることを改めて強調した。絶体絶命の最後の瞬間で、キム・ヒョンジョン第2次長は18日から2泊3日の日程で米国を極秘訪問し、最後の説得に乗り出した。しかし、ポッティンジャー大統領副補佐官(国家安全保障担当)はキム次長に「GSOMIAは維持すべきだ」と冷ややかに反応した。袋小路に差し掛かった大統領府は、「チョ・セヨン=秋葉案」を飲まざるを得なかった。

 日本は、「文大統領を相手にしたくない。GSOMIAを終了するならそうすればいい」という激昂した立場だったが、G20外相会談に出席するため訪日中だったスティルウェル次官補が21日、北村滋国家安全保障局長に「日本も柔軟な姿勢を持たなければならない」と説得すると、受け入れた。こうして、韓国の“無条件降伏”と引き換えに、日本には“カラ手形”だけを約束させる「チョ・セヨン=秋葉案」に、日本は反対しないこととなった。

 韓日のGSOMIAをめぐる対立が「韓国の譲歩」でまとまりつつあった21日、北朝鮮の官営「朝鮮中央通信」は奇妙な資料を出す。文大統領は5日、「釜山で25日から開かれる韓-ASEAN特別首脳会議に金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長を招待する親書を送った」とし、その後、「何度も、国務委員長が来られなければ、せめて特使を訪問させてほしいという切実な要請を送った」という話だ。しかし北朝鮮は「板門店・平壌・白頭山での約束のうち、一つも実現したものがない今の時点で、形式だけの北南首脳再会はいっそやらない方がいい」とし、文大統領の切実な要請を断った。文大統領が親書を送った日は、バンコクで安倍首相をソファーに座らせて対話を交わした翌日だった。金委員長の釜山訪問が実現していたら、韓国はGSOMIA終了決定を維持できたというのだろうか。

 翌日の2019年11月22日、キム・ユグン国家安保室第1次長が、大統領府・春秋館2階のブリーフィング室の演壇に再び上がった。2カ月前、自身が発表したGSOMIA終了決定を覆す内容だった。重い沈黙がブリーフィング室を押さえつけていた。国家のすべての威信をかけて繰り広げた韓日外交戦で、韓国が白旗を上げたのだ。』

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/39402.html

 


『GSOMIA終了撤回の決定は、韓国に大きな「恥辱」を与えた。大統領府とその周辺の専門家は「日本が(最初の合意とは違い)歪曲した発表をした。それについては申し訳ないという意思を伝えてきた」「日本が1カ月以内に輸出制限措置を解除しなければGSOMIAを終了させる」「日本がしきりにそのようなやり方を取るなら、韓国も今後どうするか分からない」などの激しい反応を示した。すべて無駄な話だった。その後、日本は輸出制限措置を解除しなかったし、にもかかわらず韓国はGSOMIAを終了させなかった。日本の“カラ手形”は予想通り“カラ手形”に終り、韓国が差し出した“現金”は、そのまま日本に奪い取られた。

 韓国大統領府がGSOMIA(韓日軍事情報包括保護協定)終了決定を撤回すると発表した翌日の2019年11月23日、カン・ギョンファ外相は、G20外相会議が開かれた名古屋で茂木外相と顔を合わせ、両国は「12月の開催が予定されている韓中日首脳会議のさいに、韓日首脳会談を開催するよう調整していく」ことで合意した。韓国の「大きな譲歩」が実現したところであり、日本も韓日首脳会談を拒否する名分はなかった。

 予定通り、1ヵ月後の12月24日、韓中日3カ国首脳会談が開催された中国・成都で、韓日首脳会談が開かれた。文大統領は「現在、両国の外交当局と輸出管理当局の間で懸案の解決のための協議が進められている。両国が膝を突き合わせ、賢明な解決策を早期に導き出すことを期待する。」と述べた。

 その後、韓国は、日本が2019年7月1日に輸出規制強化措置を決行する際に名分に掲げた問題を解消するため、2020年3月18日に対外貿易法を改正するなど、積極的に対応した。にもかかわらず、日本の措置撤回は実現しなかった。日本の公式な説明とは違って、日本の報復措置は、元徴用工の日本企業に対する請求を認めた2018年10月・韓国・大法院判決への「対抗措置」だったからだ。

 

 韓国は6月29日、日本を世界貿易機関(WTO)に提訴した。しかし、WTOの紛争解決手続の最終審を担当する上訴機構(Appellate Body)は、機能停止した状態だ。最終結果は何年先になるか分からない。

 

 安倍首相は、2020年8月28日、突然辞任の意思を表明し、日本の首相は交代したが、後継の菅首相は「関係回復のためのきっかけは韓国が作らなければならない」として強硬な立場を維持し、韓日間には冷ややかな対立が続いている。文大統領と安倍首相は2019年12月成都で、「対話を通じて問題を解決していこう」との意見をまとめたが、両国間に生じた根深い不信と憎悪はすでに「対話」を通じて解決できる線を越えているのではないかと懸念する。

 

 この連載のはじめに、2018~2019年に極限に達した韓日対立は、南北関係を改善し朝米間の妥協を促進して朝鮮半島の冷戦秩序を解体しようとした韓国の「現状変更戦略」と、中国の浮上と北朝鮮の核開発に立ち向かうため歴史問題を克服し(12・28合意)「日米韓三角同盟を強固にする」という日本の「現状維持戦略」の間の衝突だと説明した。韓日首脳が最後に会った成都会談の短い冒頭発言でも、こうした「和解するのが難しい」見解の違いが、そのまま表れている。文在寅大統領は"経済・文化・人的交流をはじめとする協力を続け、北東アジアの平和と繁栄に」韓日がともに歩もうと訴えたが、安倍首相は「北朝鮮をはじめ安全保障問題において日韓、日米韓の連帯はきわめて重要だ」と述べた。結局、この見解の違いを両国がどのように管理するかによって、韓日関係の未来が決まるだろう。

 

 現在、日本には韓国を見る「3つの視線」が存在する。(以下、著者が各見解を正確に伝えているものかどうか、疑問がありますが、ソースを確かめる時間的余裕が今ないため、記事のまま引用します。)まず、日本の代表的な「知韓派」知識人であり伝統的リベラルである和田春樹・東京大学名誉教授の見解だ。和田氏は、韓日対立が最高潮に達した2019年11月2日、「日本記者クラブ」での講演で韓国に二つの要求をした。一つは韓国が慰安婦合意を尊重してほしいということ、もう一つは朝鮮半島平和プロセスに日本を招待してほしいということだった。韓日が歴史問題を克服し、その力を土台として平和な東アジアを作っていこうという意見だ。この見解に同意する日本人はごく少数だろう。

 次に、朝日新聞など中道リベラルの視線だ。朝日新聞は韓日が正面衝突した2019年8月17日、「日本と韓国を考える 次代へ渡す互恵関係維持を」と題する長文の社説を掲載した。この社説の主張の中心は、韓国は12・28慰安婦合意を尊重し、日本は2010年に菅
(かん)直人首相が出した「菅(かん)談話」を受け入れようというものだ。菅直人元首相はこの談話で、日本の過去の植民支配が「朝鮮の人々の意に反した支配によって国と文化を奪った」と認めた。植民支配の「違法性」ではないが、少なくとも「不当性」は認めたのだ。両者がこのように半分ずつ譲歩して歴史問題に終止符を打ち、北朝鮮と中国の脅威に備えるために韓日軍事協力を強化しようというのが彼らの主張だ。立憲民主党など日本の野党が共感すると判断できる。

  最後は、日本の政権勢力である自民党と彼らを支える保守主流の見解だ。彼らは安倍首相が「安倍談話」を公開する直前の2015年8月6日、「21世紀構想懇談会」で自らの歴史観を集大成した。北岡伸一・東京大学名誉教授らはこの文書で韓国の「386世代」の反日感情を深く憂慮し「韓国政府が歴史認識問題において『ゴールポスト』を動かしてきた」と指摘した。これを防ぐ方法は、「日韓両国が一緒になって和解の方策を考え、責任を共有」することだった。その結果誕生したのが、慰安婦問題を「最終的、不可逆的に」解決されたと韓日両国政府が「ともに」確認した12・28日韓慰安婦合意だった。

 しかし、2017年5月に発足した文在寅政権は12・28合意を事実上無力化し、その後2018年10月の最高裁判決が出て、日韓の対立戦線は強制動員の被害問題にまで拡大した。すると、日本の主流保守は韓国に対する期待を事実上あきらめるに至った。こうした心理を最もよく表したのが、菅
(すが)政権の新世代の外交・安保ブレーンである細谷雄一・慶応大学教授の見解だ。細谷氏は2019年8月18日の読売新聞への寄稿で、「朝鮮半島では、文在寅政権の南北統一への激しい情熱と、韓国政治に対する北朝鮮の影響力拡大という流れが見られる。(中略)韓国が更なる感情的な行動に走っても、日本は報復するのでなく、冷静に自制を促すべきだ」と指摘した。現在、韓国政府の背後には「日米韓安保協力の破棄や米軍の朝鮮半島からの撤退を求める勢力が韓国政府の背後でうごめいて」おり、韓日関係がさらに悪化すればこの勢力が「戦略的な勝利」を得ることになるという理由からだった。このような人々は、日本が12・28合意によって歴史問題で十分に譲歩したため、これ以上の後退は不可能であり、韓米日三カ国協力の必要性から韓日関係は重要ではあるが、これに執着しすぎる必要はないとみている。おそらく多くの日本人が頷くだろう。

 2017年4月に東京特派員を終えて帰国した後、同年10月に出した著書『安倍とは何者か』の序文で筆者は、「歴史問題はさておき安保協力をしようという日本と、これに同意できない韓国の間の対立はずっと続く」とし、これまでの韓日対立は「これからやってくる『巨大な不和』の序幕にすぎないかもしれない」と書いた。予測通り韓日は不和のまま、東アジアの未来をかけた2018~2019年の外交戦で韓国は敗れた。この複雑に絡んだ不信と憎悪の沼から、劇的な「和解のきっかけ」を見出すことは不可能だ。互いの「戦略的立場」の違いを理解し、これ以上事態を悪化させない超人的な自制力と、絶えずコミュニケーションをとることが必要だ。その過程の中で、互いに共存できる新しい均衡点を見出すことを願う。<終>』

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 最終部分で著者が提示している・日本から『韓国を見る「3つの視線」』には、疑問があります。引用箇所に誤りはないとしても、全体として、あまり妥当な現状把握ではないように思います。なるほど、そうした意見も、日本にはあるのでしょう。しかし、それらは“すべて”でもなければ、代表的なものでもない。

 

 たとえば、「細谷雄一・慶応大学教授の見解」は、保守層の代表的見解ではないでしょう。自民党右翼の見解は、韓国に対して、これよりずっと厳しいものです。

 

 「和田春樹・東京大学名誉教授の見解」と「朝日新聞の長文社説」の見解も、知韓派、親韓派の代表とはいえないでしょう。たとえば、著者が挙げている「3つの視線」いずれも、慰安婦問題に関する日韓の 2015年「12・28合意」を支持しています(と著者は述べている)。たしかに、「12・28合意」のうち日本政府の拠出による財団設立と一時金支給、および安倍首相の個別的謝罪(実行されなかったが)が、元慰安婦の一定部分(おそらく過半数)が待望してきたものだったのは事実です(じっさいに一時金を受け取った元慰安婦が少なかったのは、運動団体「挺隊協」が脅迫して受け取らせなかったためであることが、最近暴露された)。これは、オバマ政権・バイデン副大統領(当時)の介入によって、安倍政権がしぶしぶ承知した部分です。

 

 しかし、在ソウル日本大使館前の「少女像」について、まったく曖昧な文言で、韓国政府が撤去を約束したのかしないのか不明な条項や、韓国側が、この合意以後は・いかなる要求もしない(主張もしない?黙る?)と約した部分は、日本国民としても賛成できるものではない。

 

 「12・28合意」を全面的に支持する日本人は、それほど多くはないでしょう。

 

 保守派の見解として、「歴史問題はさておき」と著者が伝えている部分も、誤解を招きます。この数年間、韓国側とは逆方向に「歴史問題」に拘泥して、韓国の動きを邪魔し、“報復”的行動をつづけ、協力困難な状況を作り出してきたのは、安倍-菅政権の政府だからです。「保守」のすべてとは言わないが、政権とその周辺の人々は、「歴史問題にこだわり、韓国が植民地支配を(無言のうちに)正当と認めることを望み、韓国が日本に従属した地位で日米韓安保体制の一翼を担うこと」を求めているのです。

 

 世界遺産に登録された長崎県「軍艦島」の国の展示施設で、朝鮮人徴用工が、いかに厚遇されていたか、という一方的で不正確な展示を強行していること、... 「愛知トリエンナーレ」での「表現の不自由」像展示を理由に補助金支給を拒否したこと、... ドイツ・ベルリン市ミッテ区での「少女像」設置を、外交チャンネルの総力を上げて妨害した(が、設置された)こと、... など、日本の政府が「歴史問題」にこだわっている症候は、枚挙にいとまがありません。

 

 「ハノイの決裂」は、たしかに短期間の経過を表面的に見れば、「分水嶺」であったかもしれません。

 

 しかし、「失敗は成功の基」――という諺が、日本にはあります。「ハノイの失敗」は、①トップダウン方式で、②包括的合意(ビッグディール)をめざすやり方では成功しないこと(履行されうる合意に達しないこと)を示した点に、「失敗」の意義があったと思います。

 

 これを教訓とし、韓国、日本それぞれが軌道を反省し修正してゆくならば、“トランプと金正恩の4年間”は、後世からふりかえれば、「東アジアの危機」を乗り越えるためには経由しなければならなかった一段階だった、ということになるでしょう。日本の政権について言えば、不協和音によって事態を複雑にしている「歴史問題」への国粋的な“こだわり”と「復仇」行動だけは、どうしてもやめてもらわねばならない。

 

 


Robert Hale Ives Gammell

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 

 よかったらギトンのブログへ⇒:
ギトンのあ~いえばこーゆー記

 こちらは自撮り写真帖⇒:
ギトンの Galerie de Tableau