奥武蔵の「高山不動尊」は、“関東三大不動”のひとつとされているそうだ。
ほかの2つ――成田山新勝寺と高幡不動――が平地にあって、交通も便利なのと比べ、「高山不動」は、きわめて行きにくい場所にある。アクセス道路がないことはないが、1車線の急勾配で、自動車が擦れ違える待避場所はない。「奥武蔵グリーンライン」が近くを通っているが、令和元年の台風で崩壊した箇所が現在まで復旧できず、通行止め状態。
じっさい、現地で、地元の山上集落の住人以外の自動車は、見たことがない。じっさい上、自転車とオートバイ以外の乗り物は入れない秘境だ。参拝者は西武線「西吾野(あがの)」から歩くか、東武線「越生(おごせ)」から出ているバスで「黒山三滝」まで行って、あとは歩くか、‥‥いずれにしろ、標高差 400メートルあまりの山道を登りきらないことには、門前に達しない。
しかし、それだけに、「高山不動」は、往年の山岳仏教の聖地のふんいきをあじわうことができるし、霊験もあらたかだ(気のせいかもしれないが、参拝した御利益は、いつも即座に実現を見ている。不可思議というほかない…)。
往路の時間をいちばん節約できるのは、「西吾野」駅からのルートだが、登り口をまちがえやすい。道標はあるのだが、見落としやすく、まちがった“迷いみち”を登山道と誤解してアップしている[ヤマレコ]も多い。(そう言う私も、最初に行った時は、まちがえた)。これから訪ねる人のために、分岐点をくわしくレポートしておこう。
出発点の「西吾野」駅は、トンネルとトンネルのあいだの駅で、道路よりもかなり高い場所にある。駅で降りると、まず下り坂になる↓。下の橋のGPS高度は 225メートル。
駅で、「熊よけの鈴」を売っていた。「クマに注意」という登山者への呼びかけは、どこの山でもしているが、いったいどう注意したらいいのやら、教えてもらえたためしがないw。その点、ここの駅長は、賢いし有難い。
西武線のガードをくぐると、最初の分岐点がある↓。右へ曲ると「パノラマ・コース」登山口に至る。「パノラマ・コース」というが、植林の中の路で、展望はまったくないそうだ。苗木だった時に名前を付けたのだろう。左の道路を直進する。
↓「間野」集落への分岐点。右折して橋を渡る。川は、高麗(こま)川の支流「北川」。
こちらのルートは、「シバハラ坂」という名が付いている。
古い石の道標も並んでいるが、磨滅した字は「子のごんげん」と読める。「子(ね)ノ権現」は、真逆の方向だ。さきほどの、駅の坂道を下りた処から逆方向に行くと、「子の権現」の登山道になる。この石標は、まちがえか ?!
「子ノ権現」とは、太古の伝説的聖者「子ノ聖(ねのひじり)」に基づく名称で、「子ノ神戸(ねのかのと)」など、同じ聖者の事績地名は、この地域に多い。昔は、高山不動も、「子ノ権現」と呼んでいたのか? それとも、自治体が石標を移設した時に、あらぬ方へ向けてしまったのか? 委細不明。
「間野」集落の中を、道なりに昇ってゆく。だんだんに狭くなり、この路でよいのだろうかと心細くなったころ、集落のはずれで、左へ案内する手製の道標↓が現れる。
この道標を見逃すと悲惨だ。民家の軒下を抜けて、まもなく舗装道路と合流するが、そのまま進むと、泥沼のようなダートになり、さんざん苦労したあとで行き止まりになる。
手製の道標にしたがって、左へ木の階段を登って行くと、集落を見下ろす場所に出る。さきほど橋を渡った分岐点が見える(⇒印)。あとから登って来る人も見える。
ここから、暗い杉植林の中の登り坂になる。
標高410メートル圏で、四ツ辻になる。ここは、下りて来る時には迷うかもしれない。右の坂へ下ってしまいやすいだろう。昇りなら、直進でも左でもよい。すぐに合流する。
↓「萩の平茶屋址」。470メートル圏。廃屋がある。最近まで「茶屋」が営業していたのだろうか。石碑もあるはずだが、見あたらず。
「石地蔵」↓。GPS高度 508メートル。ここで「パノラマ・コース」と合流する。
地蔵像の両側には、「天保癸巳年五月建之」「高山城主熊五良」とある。天保4年癸巳(1833年)は、「大飢饉」が起きるより前。伊勢参りの盛行。この年、木戸孝允が出生。前年に頼山陽が没、鼠小僧治郎吉が刑死。翌5年に江藤新平が誕生。江戸・化政文化の最後の輝きの時代か。
高山氏には、明治時代に「高山長五郎」(1830年生れ)という養蚕の功労者がいる。「熊五郎」は、「長五郎」の係累の人か?
↓この山域に多い下生え。シダの一種でオオバイノモトソウのようだ。ふつうの羊歯の葉形のシダも生えている。成長した植林の林床は暗くて湿っぽい。
杉、ヒノキの植林だが、コナラ、クリ、カシワ、ホオノキ、ハリギリなどの自然樹林が隣り合っていて、広葉の落ち葉が多い。
540メートル圏で、木の間越しに北側の景色が見える。刈場坂(かばさか)峠~正丸峠の連なり。
標高580メートル圏で、「大滝」「関八州見晴台」方面(左)と分岐する。ここから「高山不動」へは、下り路になる。
「高山不動尊」に到着。「大イチョウ」↓のある広場。境内は、6段のヒナ壇に分かれて斜面上に展開する。ここは、上から4つ目の段。標高560メートル圏。
「大イチョウ」は、樹齢推定800年。老木なので、気根がいくつも垂れている。これを乳房に見立てて、「子育て銀杏」と云うそうだ。しかし、乳房にしては細長い。イチョウは雌雄異株だが、雄樹ならオ〇ン〇ンによく似ている。下に丸いふくらみが2つあると、もっと見栄えするだろう←
白梅が7分咲き。ふもとの「越生梅林」でも、まだ開花前の樹が多いのに、ここでは早い。「大イチョウ」の影になって、うまく映らないのが残念だ。
驚いたことに、もう桜が咲いている↓。寒桜だろうか。
蠟梅(ろうばい)もある。
境内は、6段のヒナ壇に分かれている。「不動堂」は、石段を登った・ひとつ上の段。赤い屋根が見える。
「不動堂」。
「高山不動尊」というのは通称で、正式には「高貴山常楽院」という真言宗のお寺だ。もとは神仏習合の霊場だったが(「権現」を称したはずだ‥)、明治の「神仏分離」以来、寺院に一本化したという。ヒナ段の最高壇には、鳥居が立っていた址もある。
「常楽院」の本尊は、じつは不動明王ではなく、軍荼利(ぐんだり)明王で、平安中期の木造軍荼利明王立像(国指定重文)がある。ただし秘仏で、収蔵庫にしまわれている。「不動堂」にあるのは不動明王の画像で、室町時代の作。「不動堂」の広壮な建物は江戸後期の建築。これらは県指定文化財になっている。
「不動堂」の内部は簡素で、奥にあるはずの不動さまの画像も、見ることはできない。その代りなのか、小さなお地蔵さま?が置いてある。
「本坊・常楽院」は、いちばん下の段にある。
ヒナ壇の最高段からさらに上へ昇って行くと、頂上に「奥の院」があり、この山頂は「関八州見晴台」と呼ばれている。関東8ヶ国が見えるということらしい。しかし、まわりの樹木が成長しているので、そこからの展望は、それほどよくない。おもに平野部の展望になる。
不動尊の本院の近くには、「虚空蔵(こくうぞう)山 618.8m」というピークもある。そこに登っておこう。ただし、道標は無い。地図に記された路も、いっさい無い。
「虚空蔵山」に登頂するには、いったん道路を下って、「八徳」に下りる登山道に入り、「八徳」方面と「志田」方面の分岐点↑から登るのがよい。北側から尾根伝いに南下して頂上へ行こうとすると、途中で路が不明になる。
勾配は急だが、路形ははっきりしているので迷わない。不安がないだけ楽だ。
山頂は、広さ6畳ほどの平らな場所で、↑木製の祠と3等三角点がある。周囲は植林ではなく落葉樹の雑木林で、木の間越しに山の風景も見える。
祠の中には、石仏が置かれていた。虚空蔵菩薩だろうか。
ピークの3方は切り立った岩場だが、北側へ巻く小径があるので回ってみると、尾根伝いに踏み跡が続いている。↓山頂を振り返る。
そのまま歩いて行くと、かんたんに北側の道路に出てしまった。先日、北側から来た時には、途中で路形が見えなくなって引きかえしたのに、まるで鼻をつままれたようだ。
道路から、いま出てきた植林の森を振り返る↓
【つづく】
タイムレコード 20210220
「西吾野」駅800 - 823「間野」集落入口828 - 830登山口840 - 844杉林入口850 - 906四叉路910 - 920「萩の平茶屋址」 - 929「石地蔵」936 - 953「大滝」分岐点956 - 1002高山不動(大イチョウ)1031 - 1040本坊・常楽院1046 - 1106「八徳」「志田」分岐1110 - 1118虚空蔵山1147 - 1154北側道路合流点 - 1200鳥居址。