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       弟子の報告

 師匠はもう何日も床に伏して言葉を発しません、
 苦しみに身じろぎしているのか、意識してそうしているのか、
 ときどき私には判らなくなります。私が何か言っても、
 師匠は聞いていませんが、私が坐って歌をうたうと、
 眼を閉じたまま放心したように聴き入っているのです、
 賢者の至高の境地なのか、それとも
 何かの音に心動かされた子供に還っているのか、
 とまれ中道の律から外れることはなく。

 時に師匠は強
(こわ)ばった手を動かして、
 筆を執ってものを書くかのようにすると。部屋の扉にまた向かい
 えも言われぬ親愛の眼差しを向け、
 あたかも天使の翼に乗って使者が近づく音を聴きとるように
 天の扉が開け放たれているのを見るように
 あるいは己
(おの)が遠い故郷の丘の列(つら)
 夜明けの風に椰子がそよいでいたのを見るように。

 私はときどき、師匠ではなく自分が病気なのではないかと不安になります、
 私自身が灰色になり、消えてゆき、年をとってゆくのではないかと、
 ちょうどあの瘦せ細った葉の一枚の、
 朝の光が壁に描く影のように。

 ところが師匠はといえば、現実を、存在を、
 実在をたっぷりと吸いこんで充溢し、
 私が消えゆくかたわらで、世界そのものに拡がって
 輝かしく全能の存在として天を満たすように思われるのです。





 “同じ曲は2度流さない”というジンクスを守っても、まだだいぶ余裕があるのがチャイコフスキー。「チャイコ節」って言葉があるんですね。たしかに、独特の節回しというか、メロディーのパターンがあるようです。交響曲の解説を見ると、楽曲形式も意外と古典的でパターンなんですね。

 個人の趣味を言えば、圧倒的に4番・5番なので、1~3も6も、まだほとんど手付かずです。いちばん有名な、ファンの多いのといえば6番「悲愴」。そのへんから聴いてみます。


 

チャイコフスキー『交響曲 第6番 ロ短調“悲愴”』から
第3楽章 アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ
ユーリー・テルミカノフ/指揮
レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団


 

 格調高く堂々としていながら、どこかユーモラスな持ち味が垣間見えますね。早春の野に、冬眠から覚めたばかりの兎が跳び出して(ウサギは冬眠しないか。。。)切り株につまずいて転ぶようなスケルツォ。

 ↓つぎは、似た曲想の初期のシンフォニーを聞いてみます。



交響曲第3番 ニ長調 作品29は、ピョートル・チャイコフスキーが1875年に作曲した作品。『ポーランド』の愛称で知られている。

 チャイコフスキーの7つの交響曲のなかで唯一、長調で曲が始まっている。

 『ピアノ協奏曲第1番作品23』の他、オーケストレーション完了と時期をほぼ同じくしてバレエ音楽『白鳥の湖』の作曲に着手して翌1876年4月に完成させるなど、当楽曲が書き上げられた頃は、チャイコフスキーにとって傑作を次々に生み出していた時期にあたっており、そのことを背景にして当楽曲は音楽的に充実したものとなっている。にもかかわらず、演奏される機会はチャイコフスキーの交響曲の中では比較的少ないものとなっている。

 当時、チャイコフスキーはモスクワ音楽院に於いて教鞭を執っており、そこで教えていた学生の一人で才能を高く評価していたウラジーミル・シロフスキーと親友関係を築き上げていた。1870年代、チャイコフスキーはウクライナのウーソヴォにあったシロフスキーの住まいをしばしば訪れており、当交響曲の作曲を開始した時にもウーソヴォに滞在していた。

 第1楽章

 ソナタ形式による第1楽章は、葬送行進曲を導入部とし、活気にみちた第1主題〔3:43-〕、そして詩的な第2主題〔5:25-〕へと移ってゆく。

 

  "葬送行進曲" の長めの序奏で開始される。第1主題〔3:43-〕はシューマンを思わせる明るい楽想で、経過部を経て全合奏で再び提示される〔5:00-〕。第2主題〔5:25-〕はロ短調でオーボエにより優美に提示される。木管に引き継がれて発展し、小結尾〔6:08- 6:59-〕は再び明るく賑やかなものである。」

Wiki:「交響曲第3番 (チャイコフスキー)」 Wiki:「同」独語版
 


「1875年、チャイコ35歳の時の作品です。

 この曲の魅力は、次々湧き出る旋律とアイディアが横溢していること。それを目一杯盛り込もうとしたためか、全5楽章という破格な交響曲になってます。

 チャイコにとっては、その後の傑作の礎となる、プラットフォームのような作品です。

 第1楽章は葬送行進曲風に陰鬱に始まりますが、曲の盛り上がりと共に、アレグロの第1主題〔3:43-〕が提示されます。その後、オーボエがロシア民謡風の第2主題〔5:25-〕を吹きます。両主題の展開はどこを切っても、後年のチャイコ節が聴けます。

 クライマックス〔12:35-〕は凄絶に盛り上がり、終楽章のフィナーレのよう。」

『ほぼ毎日コンサート』

 

チャイコフスキー『交響曲 第3番 二長調“ポーランド風”』から
第1楽章 イントロドゥツィオーネ・エ・アレグロ
ベルナルト・ハイティンク/指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

 


 「長調」といいながら、葬送行進曲風の短調の序奏で開始されます。明るく快活なのは第1主題だけ。全体としてもの悲しさが漂うのは、どうしてでしょうね?
 

 



 



 ↓2つあるスケルツォの2番目。まだ寒い風が森を吹き抜けるような、単調ながら、やはりどことなくユーモラスな余裕が感じられます。

 

チャイコフスキー『交響曲 第3番 二長調“ポーランド風”』から
第4楽章 スケルツォ:アレグロ・ヴィヴォ
エドヴァルト・チフシェリ/指揮
USSR国立交響楽団

 


 おしまいは「悲愴」にもどって、有名な終楽章で一気に有終の哀感にひたることとしましょう。

 

チャイコフスキー『交響曲 第6番 ロ短調“悲愴”』から
第4楽章 アダージオ・ラメントーソ‐アンダンテ‐アンダンテ・ノン・タント
小澤征爾/指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団




 

      ひ び

 わたしは稀有
(けう)なるヴァイオリンを有していた
 すばらしい褐色の磨きがかかった、堅牢な胴と
 明るく、手堅く、
 古めかしい枠板
(フレーム)とを具(そな)えた。

 ただその底部には斜めに、素人は気づかないような

 罅(ひび)があって、高貴な音色に
 異様に硬い、
 傷つけられた、病んだ呻きを与えていた。

 があがあ鳴くのは烏だってできる、
 音を奏でようとする者は、
 歌をうたおうとする者は、
 罅などもっていてはならない。



 

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