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蛇行するアーレ川に囲まれた村

ブレームガルテン・バイ・ベルン。 

赤丸の中が、ブレームガルテン城。
 



     ブレームガルテン城にて

 この背の高い栗の樹を植えたのは誰、
 石造りの泉で水を飲んだのは誰、
 飾られた大広間で踊ったのは誰?
 彼らはみな去った、忘れられ、沈んでいった。

 きょうの日が照らすのは、愛らしい鳥たちが
 歌いかけるのは、このわたしたち:
 テーブルと蝋燭をかこんで坐り、心をひとつに、
 永久
(とわ)なる今日(きょう)を拝して神酒(みき)を供える。

 そしてわたしたちが去って、忘れられたあとも、
 樹々の梢
(うれ)ではあいかわらず
 鶫
(つぐみ)がさえずり風が鳴り、
 その下で川は岩に当って泡を吹くだろう。

 孔雀どもの宵の嘶き、大広間には
 また別の人たちが坐る。
 拍手して讃える、なんと美しいのだろうと、
 過ぎてゆく三角旗で飾った船また船、
 笑っている永久
(とわ)なる今日の日が。 





 「ブレームガルテン」は、ヘルマン・ヘッセの小説『東方巡礼(東方への旅)』に登場するスイス・ベルン近郊の実在の村。川の蛇行にかこまれて周囲から孤絶したメルヘンチックな場所です。小説では、“東方巡礼”に赴く秘密結社が、「ブレームガルテン」の城で「結社祭」を催し、主人公もそこに参加します。


    『東方への旅』《あらすじ》

「主人公はかつて崇高な理想を掲げたある結社の一員として、この結社の指導する『東方への旅』に参加していた。それぞれ胸にひとつの夢を秘めた仲間たちとともに、不思議な巡礼の旅についていたのだ。

 遥かな過去に起源をもち、しかも永遠に途絶えることのないはずの旅だったのだが、従者としていつもみんなを慰め、励ましてきたレーオという人物の失踪を機に立ち往生してしまう。やがて仲間たちの間に疑惑や反目が生じ、連帯感も消滅して、すべてが崩壊してしまったというのである。

 そしてそれからおそらくは相当の時を経て、結社の消息も絶えてしまった今、ただ一人の生き残りとして、主人公はこの旅の記録を残そうとしているのである。

 
〔…〕主人公は『東方への旅』を記述して行く。〔…〕自分がメンバーとなるために受けた試問の様子、巡礼してまわる地域や脱落者のエピソード、そしてブレームガルテンでの結社の祝祭へと続く。

 
〔…〕この祝祭の描写は、ヘッセの数ある作品のなかでも最も美しいもののひとつだろう。そこでは彼の愛した多くの詩人やその作品の登場人物、そしてもちろんヘッセ自身の作品の登場人物たちまでもが自由に徘徊している。」

ヘッセ研究会・友の会『ヘッセへの誘い 人と作品』,

毎日新聞社,1999,pp.240-241,245-246.
 



ブレームガルテン城、大広間。

 


「最も美しい体験の一つはブレームガルテンの結社祭であった。その時、私たちは魔法の輪にひしひしと取り巻かれた。

 城主マックスとティリに迎えられて、私たちは高い大広間でオトマルがグランドピアノでモーツァルトをひくのを聞き、庭園にオウムやその他ものを言う動物が住んでいるのを見、噴泉のそばで妖精アルミダが歌うのを聞いた。
〔…〕ルイはスペイン語で長ぐつをはいた雄ネコと話し合っていた。その間、ハンス・レーゾムは、人生の仮装劇を見抜いて心を動かされ、カール大帝の墓への巡礼を誓った。それは私たちの巡礼の勝利の時代の一つだった。私たちは魔法の波をたずさえて来たのだった。それがすべてを洗い去った。土着民はひざまずいて美に恭順の意を示し、城主は、私たちの夕べの行いを取扱った詩を朗読した。城主のまわりをぎっしりとり囲んで、森の動物たちが耳を澄まし、川の中では魚がおごそかな行列をしてきらめきながら泳ぎ、パンやブドウ酒をふるまわれた。

 
〔…〕高い木立ちの間から月がのぼってくる時、クジャクの長い尾がきらきら光ったさま、岩の間のかげった岸で浮びあがってくる水の精が甘く銀色にかがやいたさま、クリの木の下の噴泉のそばにやせたドン・キホーテがひとり立って、最初の夜警をしていたさま、その間に城の塔の上で花火の最後の光のたまが静かに月夜の中に沈んださま、そして私の同僚パブロがバラの花輪に飾られて少女たちの前でペルシャの葦笛を吹いていたさま、そういう光景はいつまでも私の記憶に残るだろう。〔…〕

 ブレームガルテンの城の塔で寝室に寝ていると、ニワトコのにおいがただよって来、木立ちを通して川のせせらぎが聞えた。私は幸福とあこがれに酔いしれ、窓をぬけて、深いやみの中におり、見張りしている騎士と、眠りこけた酒客のそばを忍び足で通り、岸べへ、ざわめく水辺へ、白い光る人魚の方へ下って行った。すると、人魚たちは私たちを、そのふるさとの、月のように冷たい水晶の世界へ連れて行った。そこで彼女らは、救われぬままに夢みごこちで宝庫の王冠や金の鎖をもてあそぶ。このきらめく水底で幾月も過ぎ去るように思われたが、私が浮きあがって、深く冷えきったからだで岸に泳ぎ着くと、相変らずパブロの葦笛がはるか庭からひびいて来、月は依然として高く空にかかっていた。」

「東方巡礼」, 高橋健二・訳『ヘッセ全集』,8,新潮社,1982,pp.245-246.
 



蛇行するアーレ川。

ブレームガルテン城の一部が見える。
 



 さて、前回からひきつづき、『オーボエ協奏曲』を聴いて行きます。

 J・S・バッハには『オーボエ協奏曲』がいくつかありますが、いずれも、自分の作曲したカンタータや協奏曲をオーボエ用に編曲したものです。

 まず、↓この緩楽章から。もとはカンタータ「わが片足すでに墓穴に入りぬ」BWV156。


 

J・S・バッハ『オーボエ協奏曲 ト短調』BWV1056R
第2楽章 ラルゴ
クリスティアン・ホンメル/オーボエ
ヘルムート・ミュラー=ブリュール/指揮
ケルン室内管弦楽団

 


 ↓BWV1060R。もとは『2台のチェンバロのための協奏曲(ダブル・コンチェルト)』。これの緩楽章も捨てがたいのですが、1・3楽章を聴くことにします。

 ここでやっと、カール・リヒターのバッハを聴く機会を得ました。リヒターは、近年のバロック楽団の急速演奏とはちがって、たいへんゆったりとしています。調性の解釈も違います。しかし、一度は聴いておきたい名演でしょう。


 

J・S・バッハ『オーボエ協奏曲 ニ短調』BWV1060R
第1楽章 アレグロ
エドガー・シャン/オーボエ
オットー・ビュヒナー/ヴァイオリン
カール・リヒター/指揮
ミュンヘン・バッハ管弦楽団

 

 

J・S・バッハ『オーボエ協奏曲 ハ短調』BWV1060R
第3楽章 アレグロ
クリスティアン・ホンメル/オーボエ
リサ・スチュワート/ヴァイオリン
ヘルムート・ミュラー=ブリュール/指揮
ケルン室内管弦楽団

 

 



アーレ川の屈曲部。
    

ブレームガルテン・バイ・ベルン
 

 


 モーツァルトの『オーボエ協奏曲』。『オーボエ協奏曲』と言えば、これを思い浮かべる人が多いでしょう。『のだめカンタービレ』でも、名場面に使われていました。⇒:のだめカンタービレ:オーボエ協奏曲まぁなんと乙女チックな演奏シーン。オーボエ+モーツァルトの甘い響きが、このシーンにピッタリだったりして。

 

モーツァルト『オーボエ協奏曲 ハ長調』K.314
第1楽章 アレグロ・アペルト
第2楽章 アンダンテ・マ・ノン・トロッポ
第3楽章 アレグレット
グレハルト・トゥレチェク/オーボエ
カール・ベーム/指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 


 ベートーヴェンにも『オーボエ協奏曲』があると言ったら、首をかしげるかもしれませんね。

 でも実際にあるのです。しかも、作品番号もついていない。「作品1番」の何年も前に作曲されています。

 伝記でご存知のように、モーツァルトに心酔していた若きベートーヴェンは、ウィーンへ出かけて、あこがれのモーツァルトに面会をはたしますが、母が急死したために、すぐに故郷のボンに呼び戻されてしまいます。それからは、飲んだくれの父と諍いながら、幼い兄弟姉妹を養うためにアルバイトの掛け持ち。音楽家の夢は遠く消えてゆくかに思われました。

 その時、たまたまイギリス旅行の帰りにボンに立ち寄ったハイドンが、ルードヴィヒの才能を認め、ウィーンへ招聘します。この『オーボエ協奏曲』は、ウィーンでハイドンの指導の下に、“エクササイズとして”作曲したもの(1792年。21-22歳)。まだあまりベートーヴェンらしくない。モーツァルトとハイドンの色濃い影響が聞き取れます。

 この協奏曲は、ベートーヴェンの生前にも死後にも出版されたことがなく、楽譜も残っておらず、こんな曲があることは、長い間誰にも知られていませんでした。1935年にハイドンの文通を調べていた音楽史研究者が、ベートーヴェンのスポンサーだったある貴族のハイドン宛て書簡のなかに、ベートーヴェンの『オーボエ協奏曲』について触れたものを発見したのです。ボンで、その演奏を聴いたが、どおってことなかった、と書いています。

 その後 1964年頃、ボンの図書館で、この協奏曲の3つの楽章の冒頭の楽譜が発見され、そこで、ブリティッシュ・ミュージアムに保管されているベートーヴェンの音楽メモの山のような束と照合したところ、メモ束から、第2楽章全体のスケッチを見つけることができました。

 このスケッチをもとに、第2楽章全体のスコアを復元する試みは、これまでに何度か行われているようです。ヨウツベにも、2種類のヴァージョンの演奏がアップされています。

 ↓この音源は、オランダの音楽学者が復元したヴァージョンで、考証の正確さという点では、現在最高峰ではないかと思います。⇒:『USAトゥデイ』記事2003/2/3



 

ベートーヴェン『オーボエ協奏曲 ヘ長調』
第2楽章 ラルゴ
セース・ニウンハイゼン+ヨシュ・ファン・デァ・ザンデン再建版
バルト・シュネーマン/オーボエ
ヤン・ウィレム・デ・フリーント/指揮
オランダ放送室内管弦楽団

 




      テッシン(※)の冬

 森が灯
(あか)りを全部点(とも)してからというもの、
 なんと世界は変ってしまったことだろう、
 こちらでは延び広がり、あちらでは圧縮し、
 すべては新たに、明らさまに照らし出された!

 山々は薄紫のヴェールをまとう、
 その向うで冷たく光る冠雪:
 あらゆる線が解き放たれ戯れる、
 いままでより近く、大きく見える湖水。

 そして岩峰の南斜面では
 暖かな太陽、温
(ぬく)い風、
 芳
(かぐわ)しく息づく大地、
 そこはもう春の匂いでいっぱいなのだ。


註(※)「テッシン(ティチーノ)」:スイス南部の州(カントン)。ヘルマン・ヘッセは、第1次大戦が終った 1919年から死去まで、ここ(ルガノ郡モンタニョーラ村)に住んだ。





 

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