大霧山頂からの展望は期待に違わなかった。秩父~上州の山は、手に取るようだ。低空がもっと澄んでいれば、八ヶ岳や日光連山も見分けられるだろう。
南西から、~西~北~東へカメラを回してみよう。
ほぼ真南、太陽の下に武甲山 1304m の三角形の頂きが見える(A)。その右、樹の梢に隠れているが、平野部と秩父市街。秩父市の中央を流れる荒川の源流は、いちばん遠くの稜線(B)に発している。埼玉・山梨・長野3県境の甲武信岳 2475m 周辺だ。AとBのあいだに、東京・埼玉都県境の諸峰が並ぶ。
右に眼を移すと、両神(りょうかみ)山(C)がほぼ真西に見える。その右やや手前に城峯(じょうみね)山(D)。城峯山 1038m の右奥に、御荷鉾(みかぼ)山 1286m と浅間山 2568m。下の白い斜めの線は、荒川の支流:赤平川だ。
↑両神山 1723m のアップ。鋸の歯のような険しいピークが並んでいる。両神山の左後ろに覗いているのは八ヶ岳らしい。
↑御荷鉾山と浅間山のアップ。左の2峰が西・東御荷鉾山。遠くで白く冠雪しているのが浅間山。手前に城峯山の尾根。さらに手前の低い丘は蓑山(美の山)。
ふたたび右に眼を移す。ほぼ北の方角になる↑。上州の榛名(はるな)山(E)と赤城山(F)。近景の丘陵は「秩父高原牧場」と登谷山方面、この大霧山の連なりだ。その左に、長瀞~野上あたりの荒川河谷。
↑榛名(はるな)山アップ。三角のとんがりが榛名富士 1391m。その右に相馬山、水沢山。榛名湖の弛みをはさんで左に掃部ヶ岳 1449m。その左は、上越国境の白砂山~苗場山方面だろう。近景の暗いとんがりは陣見山 531m、その下は、樋口~野上付近の荒川谷。
榛名(E)と赤城(F)のあいだに、小野子山 1208m(左)、子持山 1296m(中央)が見える↑。その右には上越国境の山脈(清水峠付近)が見えるはずだが、きょうは雪雲でけぶっている。
↑赤城山アップ。頂上が雲を突いている最高峰が黒檜(くろび)山 1828m、順に左へ、地蔵岳、荒(あら)山、鈴ヶ岳、鍋割山。近景は、秩父高原牧場~登谷山。
赤城の右に見える・この山塊↑は、渡良瀬の袈裟丸(けさまる)山~皇海(すかい)山 2144m。日光は薄雲におおわれている。
大霧山頂から先の尾根は、粥新田(かいにだ)峠へ、やや急な下り坂になる。↓結晶片岩が露出して、石畳のようになっているところがある。
粥新田峠 565m は、峠に降りてゆく手前に、秩父往還に下る分岐点がある。
路は、牧場のヘリを下ってゆく。
しばらく下りると沢沿いになる。車道と合流したところに、蛇紋岩の露頭がある。
看板の下の露頭はザレだが、たしかに蛇紋岩だ↓。蛇紋岩は、マントルの主成分かんらん石が水と反応して生成する。表面がぬるぬるした印象の(じっさいに湿り気はない。あくまで見た目)暗い岩石だ。
説明のとおり、「三波川変成帯」には蛇紋岩の露頭が何か所かある。マントルとプレートの接触運動の力のひずみで、マントルの一部が溶融して上昇してきたのだろう。⇒:荒川の碧き流れに(11)
すこし先に、岩体の露頭がある。完璧な蛇紋岩の露頭だ。
↓秩父往還が通る三沢川の谷間に降りた。正面は対岸の「蓑(みの)山581.5m」。最近、観光目的で「美の山」に字を変えた。
この丘の向う側には、「和銅鉱山」の遺跡がある。奈良の大仏に原料の銅を供給したという。奈良時代の精錬所の跡もある。「三波川変成帯」の結晶片岩は、銅、鉄を豊富に含む。長瀞から下流の荒川岸に、廃坑の跡がいくつもある。
↓おもしろい形の山が目についた。地形図を見ると、左のピークが 431メートルだが、無名峰らしい。「猫耳山」と命名する。
三沢八幡神社に到着。秩父往還、「上三沢」バス停は、すぐ裏にある。
まだ時間が早いので、蓑山の中腹、「二十三夜寺」近くまで昇って、大霧山を下から眺めておくことにする。
いちばん奥の、雲の下が「大霧山」。下から見ると、前方後円墳というか、ひょっこりひょうたん島の形をしている。奥多摩の「大岳山」に似た形だ。
大きなヤドリギが、初冬の風情を添えている。
タイムレコード 20201226
(1)から - 1313大霧山1345 - 1415粥新田峠手前の分岐点 - 1443蛇紋岩露頭1445 - 1528三沢八幡大神社 - 1533「上三沢」バス停