前回は、「高松の池」を出発して、「北山散策路」に沿って「愛宕山」へ。中央公民館の裏に下りて「報恩寺」まで行った。
今回の目標は「米内(よない)」。「米内」という地名は、山田線「山岸」駅の東側に「下米内」があり、山田線は「米内川」に沿って上流へ向かう。「山岸」の次の駅が「上米内」。途中に「中米内」もある。
しかし、「上米内」駅は、「高洞(たかぼら)山 521m」の向う側だ。そのへんはもう「丘」というより山地だから、除外してよかろう。「下米内」「中米内」が、めざす範域だ。『角川日本地名事典」によると、↑地図に出ている小字名の「寺並」「大豆門(まめかど)」は行政地名「下米内」に属し、「名乗」は「上米内」に属している。
したがって、「山岸」の北側(閉伊街道)から、東の「米内川」河谷(山田線)にかけての丘陵地を、狭義の「米内」の「丘、丘」と見てよさそうだ。
賢治の時代には、「北山」「三割」「山岸」「米内」はすべて「米内村」に属していた。明治22(1889)年、「上米内村」「下米内村」「山岸村」「三割村」「植田(上田)村」が合併して「米内村」になっている。だから、賢治の言う「米内」は、広義には、「上田」の「高松ノ池」も、「北山」も、「山岸」も含んでいると考えていい。
出発点は、「桜ヶ丘団地前」バス停。団地内の道路を昇って行くと、頂点で尾根すじの路に接続する。
東京で「団地」と言うと高層アパート群だが、岩手県でいう「団地」は、いままで人の住んでいなかった谷間や丘陵地に造成された分譲住宅地のことらしい。盛岡でも花巻でも、「団地」の造成には自治体の関与が大きいのだろう、市の中心部への交通アクセスが良く、生活インフラも行き届いているようだ。
丘の尾根すじに沿って、路は曲がりくねりながらつづく。雑木林。コナラが多いようだ。
↓アカマツがふえてくる。賢治の
「松森ノ丘、」
(『文語詩篇ノート』11頁,1914年10月欄)
に近づいてきた。
「下米内2丁目」「寺並」へ下りる谷すじの路と分岐する。すこし谷間に降りてみる。
谷から見上げると、みごとな松林だ。
尾根すじに戻って、奥へ進む。林相がアカマツばかりになってきた。
「松森の丘」だ! ここから先、ずっと「松森」がつづく。
十月に 白き花さき 実をむすぶ 草に降る日の かなしくもあるか
(『歌稿A』#42,推定1913年10月)
靴にふまれ ひらたくなりし からくさの 茎の白きに おつる夕陽
(『歌稿A』#44,推定1913年秋)
アカマツとカラマツの疎林がひろがる気持よい路だ。
↓木の間越しに「高洞(たかぼら)山」が見える。
ふたたび、落葉樹がふえてきた。ホオノキの落ち葉が多い。↓雪が残っている。
灌木の かれは紅き実 かやのほの 銀にまじりて 風にふかふか
(『歌稿A』#60,推定1913年晩秋)
厚朴〔ほお〕の芽は 封蠟をもて固められ 氷のかけら 青ぞらを馳す
(『歌稿A』#71,推定1913-14年冬)
ややっ。こんなところで、いきなりスチール柵と、送電線の標識が現れた。林の中に、まっすぐの狭い路がつづいている↓
↓木の間越しに透かして見ると、やはり、送電線の鉄塔がある。尾根道から外れて、そちらへ行ってみる。
鉄塔のところから、南側に、ちょっとしたピークが見える↓。アカマツが数本生えて、よさげな風情だ。手前はカラマツか。頂上を踏んでおくことにする。
ピーク。「名乗山 290m」と書いた手製の山名標がかかっている。
すばらしい展望だ。西に、岩手山。
巨なる 人のかばねを 見んけはひ 谷はまくろく 刻まれにけり
(『歌稿A』#72,推定1913-14年冬)
「おおいなる人のかばね」――巨人の屍(しかばね)とは、彷徨時代の賢治の眼に映った岩手山なのだろう。
↓南に、盛岡市街と、その向うの紫波山塊。
↓西北方。送電線の列と、上米内、名乗(なのり)の「丘、丘」。
白きそら ひかりを射けん いしころの ごとくちらばる 丘のつちぐり
(『歌稿A』#64[初期形],推定1913-14年冬)
つちぐりは 石のごとくに 散らばりぬ 凍えし丘の あかつちだひら
(『歌稿A』#65,推定1913-14年冬)
↓さっきの鉄塔まで戻ると、その先に路がつづいているので、そのまま行ってみる。送電線の次の鉄塔へ向かう巡視路だろう。
こちらにも、松の生えたピークがある。
さっきと同じ手製の山名標がかけてある。「小高森 309m」
↓カシワとホオノキ。賢治が愛したカシワの林。雑木林に柏が多いのは、岩手山麓の特徴なのだろう。
「小高森」から巡視路を、さらに進む。すこし降りた山腹で、次の送電線鉄塔に出会う。
巡視路は、谷すじへ下ってゆく。しめた! これで、麓の道路に出られそうだ。地面はチシマザサにおおわれた雑木林。
旧・閉伊街道の道路に出た。1924年早春、農学校教師時代の賢治が徹夜で歩いた道だ。
「天然記念物 名乗坂のエドヒガン」という標杭があって、道路の向う側の丘へ昇ってゆく路がついている。彼岸桜の古木。春に来てみるのもいいかもしれない。
↓「老人いこいの家前」バス停から振り返る。左が、エドヒガンのある丘。右が、登ってきた「小高森」「名乗山」。あいだの道路が旧・閉伊街道。
バス停のそばで、ナツメに似た赤い実がなっていた。
タイムレコード 20201202
「桜ヶ丘団地前」バス停845 - 858団地最高点 - 909寺並分岐点917 - 1008 4号鉄塔入口 - 1027名乗山 - 1035 4号鉄塔 - 1042小高森 - 1052 5号鉄塔 - 1106旧・閉伊街道出合(エドヒガン入口) - 1129「山岸老人いこいの家前」バス停