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 韓国の日刊紙『ハンギョレ』に連載中の論評記事から、きょうは、第5~8回のダイジェストをお届けします。この記事は、全10回の連載予定で、現在までに8回が掲載されています。

  『ハンギョレ新聞』は、軍政時代、民主化を主張して職を追われた新聞記者が中心になり設立された。盧泰愚、金泳三、李明博、朴槿恵の保守派政権には批判的だったが、金大中、盧武鉉と続いた改革・進歩派の政権では、比較的政府に好意的であった。

 2017年に誕生した文在寅政権に対しては一貫して支持しており、文在寅自身も、かつて『ハンギョレ新聞』の創刊発起人、創刊委員、釜山支局長などを歴任している。他方で、政権寄りの報道に対して若手記者が抵抗する事態も起きている。

 この記事も、文政権の外交・統一政策に対して盲目的に支持するのではなく、基本的に評価しつつ、客観的・批判的視点をも失わない基調で書かれている。

 執筆者キル・ユンヒョン氏は、大学で政治外交学を専攻。駆け出し記者時代から強制動員の被害問題と韓日関係に関心を持ち、多くの記事を書いた。2013年秋から2017年春までハンギョレ東京特派員を務め、安倍政権が推進してきた様々な政策を間近に見た。韓国語著書に『私は朝鮮人カミカゼだ』、『安倍とは誰か』などがある。現在、『ハンギョレ』統一外交チーム記者。

 

 

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白頭山(長白山) 天池

 

 

 

http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/37705.html

 

 

「ジョン・ボルトン前国家安保担当大統領補佐官は、北朝鮮核問題の解決のために歴代の米政府がこの20年余りにわたり傾けてきた多くの努力をまとめて非難した後、『金正恩に会う』というドナルド・トランプ大統領の情熱についても、『頭が痛かった(sick at heart)』との表現で冷笑した。

 対北朝鮮・超強硬論者である『ネオコン』のボルトン氏が、韓国の鄭ウィヨン大統領府安保室長と初めて顔を合わせたのは、任命22日目の2018年4月12日だった。この会談でボルトン氏はチョン室長に対し、同月27日に予定される『板門店会談』において、韓国は『非核化についての具体的論議を避ける』ようにと要求した。

 チョン室長がホワイトハウスを訪問した『まさにその日』に、ボルトン氏を訪れたもう一人の客がいた。安倍晋三首相の外交の『懐刀』であり、12・28韓日合意を通じて、日本軍『慰安婦』問題の『最終的かつ不可逆的解決』を試みた谷内正太郎・前国家安全保障局長だった。トランプ大統領の突然の首脳会談受諾により発生した『外交的試練』に対応するために、日本が血眼になっていたことが推測できる。

 ボルトン-谷内会談では、その後の朝米核交渉の方向性を事実上決定する『驚くべき化学作用』が発生した。

 

 谷内氏はボルトン氏に『核を持つという北朝鮮の決心は確定したものなので、この問題を平和的に解決しうる最後の機会に近づいている』とし、日本はブッシュ政権が2000年代半ばの6カ国協議で試みた『行動対行動』の解決策を望んでいないと述べた。『行動対行動』原則は一見合理的に見えるが、北朝鮮が意味ある措置を取る前に経済的利益を得ることを認めているため、肝心の非核化を『永遠に遅らせる』との理由からだった。谷内氏はさらに『トランプ政権下で直ちに(北朝鮮の核の)解体を開始し、(非核化に)2年以上かからないことを望んでいる』と述べた。

 

 するとボルトン氏は、自らが主導した2004~5年のリビアの非核化に言及し『6~9カ月あれば十分』と答えた。ボルトン氏は谷内氏が『返事の代わりに妙な笑みを残した』と書いている。ボルトン氏はこの会談について『東京の予測は韓国の予測と180度違い、簡単に言えば私と非常に似ている』と評した。ボルトン氏は、トランプ大統領の深い信頼を得ている『安倍の日本』という友軍に出会ったのだ。

 1週間後には安倍首相が直接乗り出してきた。安倍首相は4月17~18日、フロリダ州にあるトランプ大統領の別荘『マール・ア・ラーゴ』で、北朝鮮に核だけでなく、あらゆる生物・化学兵器も放棄させねばならず、米国を攻撃できる大陸間弾道ミサイル(ICBM)はもちろん、日本を脅かす中・短距離弾道ミサイルも放棄させるべきだと強調した。北朝鮮が事実上受け入れがたい『最大値の要求』をしたのだ。

 それから10日後の27日、南北首脳が板門店で会談した。4・27『板門店宣言』には米国の要求通り『南北は「完全な非核化」を通じて核のない朝鮮半島を実現するという共同の目標を確認』するという宣言的な文句だけが盛り込まれた。

 ボルトン氏と谷内氏の間で、北朝鮮の非核化方式に関する『具体的合意』がなされたのは5月4日だった。発表文には、北朝鮮のすべての核、弾道ミサイル、生物・化学兵器、さらには関連するすべてのプログラムを、完全かつ永久に解体するという共有された目標を、両氏が再確認したという文が含まれている。翌年2・28「ハノイの悲劇」の直接の原因になったとされる(トランプ大統領が金正恩委員長に渡した)『非核化定義文書』の内容が、この日、米日間で合意されていたことが分かる。その意味で、2018年5月4日を、朝米核交渉の悲劇的運命が事実上決定した『運命の日』と呼ぶこともできるかもしれない。

 ボルトン氏はABC放送のインタビューで、『非核化というのは単に核兵器のみをいうのではない』とし、『弾道ミサイルもテーブルの上に載せてあり、化学・生物兵器にも触れる』と述べた。続いて、『永久かつ検証可能で不可逆的な非核化(CVID)』とは『すべての核兵器をなくし、それらを解体して(米国の核施設)テネシー州オークリッジに持ってくることを意味する』と述べた。米国が北朝鮮の核・弾道ミサイルと化学・生物兵器を対象として、迅速かつ攻撃的な『ビッグディール』式の非核化を進めるという公開宣言だった。ボルトン氏の『強硬論』はその後、北朝鮮と直接交渉する国務省の『現実論』と対立し、浮き沈みすることになるが、結局ハノイでの2回目の首脳会談まで生き残り、核交渉を破局へと追い込むことになる。

 事実上の『白旗投降』を求めるボルトン氏の要求に北朝鮮は動揺した。北朝鮮内の強硬派であるチェ・ソンヒ外務次官は5月24日、「我々は米国に対話を乞うことはせず、米国が我々と向き合わないと言うのなら、強いて引き止めることもないだろう」と述べた。この頃の北朝鮮の最大の悩みは『米国を信じても良いのか』という信頼の問題だった。金正恩委員長は文在寅大統領との4・27徒歩橋会談などで『我々は核を放棄する誠意を持っている。米国が我々の要求を受け入れれば、1年以内に非核化することも可能だ。米国が受け入れるかどうか心配だ』と述べたという。

 北朝鮮の激しい反応に当惑したトランプ大統領は、その直後の5月24日午前9時45分(米国時間)、ツイッターにアップした公開書簡で「最近の談話文に表れた激しい怒りとあからさまな敵愾心からして、会談を開くのは不適切だと感じる」とし、6月12日にシンガポールで予定されていた会談を突然取り消した。安倍首相の“密使”谷内氏は、『会談が取り消されて非常に安心した』という反応を示した。

 もちろん、これは最終的な結末ではなかった。金正恩委員長も5月26日、文大統領と板門閣で突然首脳会談を開き、朝米会談に対する切実な意志を示した。金委員長は感謝の意を込めて文大統領を抱擁した。

 鍵を握るトランプ大統領も、心から会談を取り消すつもりはなかった。板門閣で南北首脳会談が行われたというニュースが伝えられた後の26日、『われわれは6月12日にシンガポールで会う。これは変わっていない』と述べた。北朝鮮も『労働新聞』の1面で『6月12日に予定される朝米首脳会談』と表現し、会談を既成事実化した。実際に解決した問題は何もなかったが、破局はひとまず回避されたように見えた。」

 


 

 

 

http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/37933.html

 

 

「世紀の会談が行われたシンガポール・カペラホテルの会議室。金委員長は『我々の足を引っ張る過去があり、また誤った偏見と慣行が時には我々の目と耳を塞ぐこともあったが、すべてを乗り越えてここまで来た』と複雑な思いを詰め込んだ『冒頭発言』を終えた。逐次通訳で伝えられた金委員長の話を聞いたドナルド・トランプ大統領は『それは事実だ(That's true!)』と述べ、手を差し伸べて握手を求めた。

 それから4時間後、歴史的な6・12朝米シンガポール首脳会談の共同声明が公開された。この文書を受け取った日本は驚愕した。共同声明には『朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)は「板門店宣言」を再確認しつつ、朝鮮半島の完全な非核化のために努力することを確約した』という文句が入ってはいたものの、非核化の時期や方法などの『具体的内容』は抜けていたからだった。米国が固執してきた『永久かつ検証可能で不可逆的な非核化(CVID)」という表現も明記されていなかった。にもかかわらず米国は金委員長に『新たな関係樹立』と『朝鮮半島の恒久的かつ強固な平和体制構築』を約束するという大きな贈り物を与えた。それだけではなかった。トランプ大統領は会談後の記者会見で、韓米合同軍事演習には『巨額の費用がかかる』ことを理由に、交渉が進められている間は演習(war game)を中止するという『サプライズ宣言』を行なった。

 朝米は会談が決定した5月末から会談直前まで、合意文案作成のための『集中協議』を続けていた。この実務会談を主導したソン・キム駐フィリピン大使は当初、声明にCVIDと2020年(トランプ大統領の任期)までにという非核化の期限を明記しようとしていた。しかし、北朝鮮の実務交渉代表であるチェ・ソンヒ外務次官の防御は鉄壁だった。チェ次官は、当初は『非核化』という用語の使用さえ強く拒否した。米国が北朝鮮の体制を保障し、朝米間に信頼関係ができなければ非核化は不可能との主張を曲げなかったのだ。北朝鮮があまりにも体制保障にばかり集中したため、時に米国側が声を張り上げることもあった。チェ・ソンヒ次官は『共同声明で非核化に言及することは問題ない』という線までは譲歩したものの、CVIDには断固反対した。不安になった安倍首相は、シンガポール会談直前の6月7日の首脳会談で『CVIDを絶対に明記すべきだ』と繰り返し強調したが、トランプ大統領はCVIDの概念さえ理解していない状況だった。

 11日、シンガポールに到着したトランプ大統領に、マイク・ポンペオ米国務長官が、膠着状態に陥った実務交渉の情況を報告した。これに対するトランプ大統領の反応は、この会談は『広報イベント』なんだから『実質的な内容のないコミュニケ(共同声明)に署名し、記者会見で勝利を宣言して、ここを去ろう』というものだった。

 ギリギリまで続いた実務交渉の争点は、『終戦宣言』を対価として北朝鮮が具体的に何を出してくるかだった。「強硬派」ボルトンの立場は「明らかな対価を得るまで、終戦宣言は受け入れられない」というものだった。協議当日の12日午前1時、マシュー・ポッティンガー国家安保会議副補佐官が寝ていたボルトンを起こして、交渉が依然として膠着状態であることを伝えた。終戦宣言とその対価についての合意がなければ、共同声明は「簡素な声明(short statement)」にならざるを得なかった。トランプ大統領は12日午前、予想外にも、終戦宣言について言及していない短い文書に満足していると述べた。

 金正恩委員長は会談の結果に大いに満足した。『朝鮮半島非核化』の意志を明らかにしただけで、韓米合同軍事演習の中止と、新たな朝米関係の樹立、朝鮮半島平和体制構築に対する約束を引き出したからだ。金委員長は拡大会談でトランプ大統領に『北朝鮮の脅威を受けないで済むため、お互いに核ボタンの大きさを比較することもないだろう』と冗談を飛ばした。まるで公認された核保有国の首脳のような態度だった。そして『トランプ大統領が(ボルトン前補佐官らが反対した)「行動対行動」アプローチに合意してくれて嬉しい』と述べ、『次は国連(安保理)制裁の解除か』と尋ねた。

 しかしトランプ大統領は『行動対行動』アプローチに同意したことはなかった。金委員長がこの時点で、トランプ大統領が自分に完全に説得されたと『錯覚』していたことが分かる部分だ。北朝鮮の論理によると、1回目の会談で『韓米演習中止』という成果を得たのだから、2回目の会談の目標は国連制裁の解除にならねばならないはずだった。北朝鮮は実際に2・28ハノイ会談で、寧辺核施設廃棄の対価として、2016年以降国連が科している制裁の解除を要求することになる。2・28ハノイの破局の原因は、結局この『認識の不一致』だった。

 『文藝春秋』は、6・12合意が公開された直後の2018年8月号に、2002年9月の小泉純一郎首相の訪朝を実現させた日本総合研究所国際戦略研究所の田中均理事長(元外務審議官)の寄稿を掲載した。

 田中氏は、朝米合意は『期待外れ』と述べつつも、『合意の方向性は正しい』と言い切った。非核化に向けて朝米が信頼を築かなければならないという考え方が、自らが命をかけて進めた2002年9月の朝日平壌(ピョンヤン)宣言の基本的な考え方と一致するという見解だった。一時、日本の外務省内の『最高の戦略家』と呼ばれた田中氏は『私は現在の状況が本当に嫌だ。米国はもちろん日本の大切な同盟国であり、基本的価値を共有している。しかし、朝鮮半島問題においては利害が一致しない部分が実に多い。日韓を無視し、朝鮮半島の諸事案を米国の論理だけで決めることを断固として阻止すべきだ』と述べた。

 寄稿が一般に公開された7月3日、田中氏は日本記者クラブで講演した。講演の冒頭で彼は『ここでの会見は10回目』だが『これが最後だという思いを込めて』日本政府に対し『圧力』一辺倒の対北朝鮮政策を転換することを求めた。彼の主張の肝は、北朝鮮と日本が東京と平壌にそれぞれ連絡事務所を設置すべきだというものだった。

 『米朝首脳会談の結果、非核化はどうなるでしょう。皆さんどう思いますか。ポンペオ氏が北朝鮮に行けば、数日以内にロードマップ(非核化の日程表)ができると思いますか。それは不可能です。歴史を知っている人なら分かるはずです。(では)何が必要なのでしょうか。北朝鮮が非核化するにあたって(日本がそれなりのやり方で)関与すべきです。北朝鮮が一日で非核化することは決してありません。北朝鮮の核を(一気になくすことはできなくても)減らしていくことが日本の利益になると思いませんか』」

 


 

 

 

http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/37973.html

 

 

「『日本が蚊帳の外に置かれているという懸念の声があります』(日本記者)

 

  2018年1月、北朝鮮の金正恩国務委員長の新年の辞をきっかけに、東アジアの旧冷戦構造を崩す南北会談と史上初の朝米首脳会談が相次いで実現すると、日本国内ではこの『激変の流れ』の中で日本だけが疎外されるのではないかという懸念が噴出し始めた。『ジャパンパッシング』論議だった。安倍晋三首相(当時)は、南北首脳が『板門店宣言』を通じて朝鮮半島の完全な非核化を約束した4月27日、自国の立場を説明する簡易記者会見に臨んだ。安倍首相はこの場で、相次ぐ『ジャパンパッシング』関連のストレートな質問に、『絶対そうではない』という激しい言葉でこれを否定した。

 しかし、『強い否定』は時に『強い不安』を内包するのかもしれない。日本でジャパンパッシング論議に最も敏感にならざるを得ないのは安倍首相自身だった。南北首脳が板門店で相次いで会い、朝米首脳が史上初の『世紀の会談』を終えた後も、朝日間の意味ある接触は行われていなかったためだ。

 日本は2014年5月、韓国、米国に横目で見られながら、北朝鮮と『日本人拉致被害者に対する全面的な調査を進め、日本人に対するすべての問題を解決する』という内容の『ストックホルム合意』に署名した。しかし北朝鮮は特別調査委員会まで設置し、大々的な再調査を行った後も、『生存している拉致被害者はいない』という立場を変えなかった。それに対して日本が反発し、北朝鮮の調査報告書の受け取りを拒否して一部緩和した独自制裁を復活させると、北朝鮮も2016年2月、激しい罵倒を浴びせてストックホルム合意の破棄を宣言した。対話の失敗を通じて、朝日間の相互不信の溝は深まっていった。

 しかし、朝鮮半島をめぐる情勢が急変する状況で、いつまでも『棚からぼたもち』を望むわけにはいかなかった。

 安倍首相は、記者会見で、ドナルド・トランプ米大統領がシンガポール会談で金正恩国務委員長に対し『拉致問題を提起すると強く約束した』、という事実をしきりに強調した。しかし、この『世紀の会談』を自分のための巨大広報イベントと考えていたトランプが、どれほど真摯な姿勢で拉致問題を取り上げたかは分からない。結局、6・12シンガポール共同合意文に期待されていた拉致問題に対する言及は含まれなかった。

 安倍は、日朝首脳会談を開くためには、まず、北朝鮮と高官級接触を試みなければならなかった。しかし、北朝鮮の反応は冷ややかだった。大連、香港など第3国での『外務省ルート』が、今回は機能しなかった。その代わりあふれ出たのは北朝鮮特有の『言葉爆弾』だった。

 北朝鮮は『朝鮮中央通信』を通じて8件の日本に対する論評を出した。『日本が古臭い「拉致問題」を執拗に騒いでいるのは、朝鮮人民に犯した特大犯罪を隠して過去の清算を回避しようという無駄な謀略にすぎない』(6月26日)、『日本が対話について騒ぐのは、心から朝日関係の改善を望んでのことではない。激変する朝鮮半島情勢の流れから押し出された苦しい立場を免れ、遅ればせながら割り込んで利益を得ようという邪な打算によるものだ』(7月3日)。7月18日の論評で北朝鮮が主張したのは、場違いな拉致問題いじりはやめ、『日本がまず過去の清算をすべきだ』というものだった。

 日本は米韓に頼らず、独自に北朝鮮へ接近しようとしたが、無残な失敗に終った。」

 



 

 

http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/38104.html

 

 

「シンガポールで開かれた6・12朝米初の首脳会談の後、最も大きな混乱に陥った人は、間違いなく交渉当事者である金正恩(キム・ジョンウン)北朝鮮国務委員長だったに違いない。

 

 金委員長は会談を通じて、トランプが北朝鮮の主張してきた『行動対行動』、つまり朝米がお互いに信頼を築きながら一つひとつ非核化作業を進めていく『段階的非核化』の解決策に同意したと信じていた。そのため会談翌日の13日、『労働新聞』は3面で『朝米首脳は朝鮮半島の平和と安定、朝鮮半島の非核化を実現していく過程で段階別、同時行動原則を遵守することが重要だということについて認識を共にした』と書いた。 

 

 米国は『決して』そうは思わなかった。6・12首脳会談を治績の誇示のための『巨大広報イベント』と考えたトランプはどうだったか分からないが、ボルトン氏とポンペオ国務長官は『行動対行動』原則に同意したことはなかった。彼らの唯一の関心は『一日も早く』北朝鮮を非核化過程に引き込むことだった。そして北朝鮮に非核化の意志があるなら、自分たちの持っている核兵器や弾道ミサイルなど核関連リストを申告するだろうと考えた。

 

  こうした認識の不一致を伴ったまま、7月6~7日、ポンペオ国務長官の3回目の訪朝が実現した。非核化の第一歩として核施設などの『申告』を要求するポンペオ国務長官に対し、キム・ヨンチョル副委員長は携帯電話を投げて『トランプに電話をかけろ。トランプならそんなことは言わない』と声を荒げた。

 

 キム副委員長の強硬な姿勢にポンペオ国務長官は大きく落胆した。7日午前7時半(韓国時間)、ワシントンに電話をかけ、会談は『信じられないほど不満で、ほとんど進展がなかった』と告白するしかなかった。ポンペオ国務長官は、金正恩委員長に会うこともできず、平壌を発った。 

 

 しかし、北朝鮮はその100倍は大きな当惑を感じた。これを示す文書がある。ポンペオ国務長官が平壌を去ったまさに『その日の夜』、外務省報道官は『朝鮮中央通信』を通じて米国に『深く裏切られた思い』を吐露する談話を発表した。本文に書かれた『強盗のような要求』という独特の表現で歴史に記録された、鬱憤に満ちた談話だった。

 『米国側はシンガポール首脳会談の精神に反する「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」(CVID)だの、申告だの、検証だのと一方的で強盗のような非核化要求ばかりを持ち出した。すでに合意されている終戦宣言の問題までいろいろな条件と口実を並べ、先延ばしにしようとする立場を取った』

 韓国政府の凄絶な仲裁努力が続いた。韓国政府が終戦宣言に執着すると、ハリー・ハリス駐韓米国大使は8月2日、国内メディアのインタビューで『終戦宣言をするには、北朝鮮が非核化に向けて相当な動きを見せなければならない。北朝鮮が信頼構築の道に進むことができる核心であり本質的な措置は、完全な核施設リストを提供することだ』と断言した。終戦宣言のためには、北朝鮮が核施設を先に申告しなければならないという強硬な立場だった。

 

  朝米対話が暗礁に乗り上げると、日本は北朝鮮への圧迫強化に精力を傾け始めた。国連安全保障理事会は2017年9月に決議第2375号で北朝鮮船舶と公海での物品の移転を禁止し、第2397号では北朝鮮への精油製品供給量を年間200万バレルから50万バレルに大幅に減らした。すると、2018年初めから朝鮮半島周辺の公海で北朝鮮船舶が怪しい船と精油製品と推定される何かを取り交わす、いわゆる『積み替え』(ship to ship transfer)、日本語では『瀬取り』方式の密輸をする姿がよく目撃されるようになった。外務省と防衛省は8月31日、海上自衛隊が撮影した北朝鮮船舶の瀬取り密輸シーンを3分19秒の映像にし、ユーチューブを通じて公開した。この映像を見ると、北朝鮮船籍のタンカー『ユピョン5号』が上海南南東400キロ海上で正体不明の小規模船舶とホースで何かをやり取りする場面が確認できる。さらに、海上自衛隊は朝鮮半島周辺海域の偵察強化に乗り出す。自衛隊の活動の変化は2018年12月20日、東海(日本海)で発生した『海上自衛隊の脅威飛行および韓国海軍のレーダー照準』事態という大きな嵐を呼び起こすことになる。

 状況がこうなると、文在寅大統領はもう一度大きな『外交的冒険』に出た。朝米の膠着を一気に崩すため、平壌で金正恩委員長と3回目の首脳会談に臨んだのだ。

 南北首脳は期待に応えるかのように、9・19平壌宣言を通じて朝鮮半島非核化に関する重大な進展を成し遂げた。北朝鮮が新しい大陸間弾道ミサイルを開発するために必ず必要な施設である『東倉里(トンチャンニ)エンジン試験場とミサイル発射台を関係国の専門家たちの参観の下、永久的に廃棄』し、『米国が6・12朝米共同宣言の精神に従って相応措置を取るなら、寧辺(ヨンビョン)核施設の永久廃棄のような追加の措置を続けて取る用意がある』と明らかにしたのだ。文在寅大統領は第3回首脳会談直後、ソウルで進行した国民向け報告を通じて、金委員長が『可能な限り早い時期に完全な非核化を終え、経済発展に集中したいという希望を明らかにした』と述べた。

 その直前に、文大統領を招いて訪問した白頭山(ペクトゥサン)頂で、金正恩委員長は、頂上のカルデラ湖である『天池』を見下ろしながら、意味深長な言葉を残した。

 『この天池の水に筆をつけて、北南関係における新しい歴史を我々は書き続けていかなければならないと思います』

 文在寅大統領が満面に笑みを浮かべながら言った。

 『今回私が(平壌に)来て、新しい歴史を少々書きました。平壌市民の前で演説もしたので』

 しかし、日本の反応はこの上なく冷ややかだった。朝日新聞は、『非核化より南北融和が先に進めば、日米韓の共同歩調が乱れるという懸念の声が出ている』と論評した。

 韓国と日本の間に潜伏していた核心の対立要因がついに姿を現し始めた。韓国・大法院(最高裁)の強制労働被害者賠償判決が翌月末(10月30日)に迫っていた。」

 



 

 

 キル・ユンヒョン記者はまだ予告的にしか触れていませんが、2018年12月20日の『海上自衛隊の脅威飛行および韓国海軍のレーダー照準』事態について、私は、事件発生時以来、日・韓いずれの論調とも異なる感想をもっています。

 

 キル記者によれば、海上自衛隊は、北朝鮮の「瀬取り」を監視する目的で行動範囲を広げ、韓国海軍の艦艇とニアミスを引き起こしたのが、この事件の本質のすべてです。本来、韓日間に葛藤を生ずるようなできごとではないのです。もし、日・韓が、北朝鮮に対する“オドシ役ナダメ役”という互いの役割を自覚して、連携して事に当たっていれば、葛藤は生じなかったはず。。。

 しかし、記事はまだ連載中です。私見は、全10回のダイジェストを終えたあとで、まとめて述べたいと思います。

 

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