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 シリーズ「新・冷戦」をめぐる韓日戦は、まもなく『ハンギョレ』に掲載される原記事の連載第8回をまって、第5~8回のダイジェストをお送りする予定です。

 

 

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 《米日韓軍事同盟》は、条約という法的絆で、いわば無理やり結びつけられている。絆は、国民の心情にまではかならずしも及んでいない。日本でも韓国でも、米軍基地反対運動は根強い。

 

 ところが、北朝鮮と中国、ロシアの間には、そのような表立った軍事同盟は存在しない(密約はあるかもしれないが)。北朝鮮には、中国軍もロシア軍も駐留していない。にもかかわらず、心情的な絆はきわめて深く強いように見える。たとえば、脱北者からさえ、安保面での中国に対する非難は聞いたことがない。

 

 これは、いったいなぜなのか? 今回は、この問題を歴史にさぐって、次回ダイジェストの“まくら”としたい。

 

 《朝鮮戦争》について、かつて「南」(西側)の政権と学者は、共産圏(金日成,毛沢東,スターリン)による計画的侵略が発端だと主張した(①――南侵説)。「北」(東側)の政権と学者は、韓国・米国による計画的侵略(または謀略)が発端だと主張した(②)。こんにちでは、②の説は支持を失っている。ソ連崩壊後の文書公開によって、金日成の南侵計画が立証されたからだ。

 

 そこで、①に対抗する新たな説として、おもに政権に批判的なアメリカの学者から「内戦説」(③)が唱えられた。《朝鮮戦争》は、朝鮮半島での階級対立に基く「内戦」の発展であって、「内戦」は植民地支配の終焉とともに1945年に開始されたから、その後の1950年段階で誰が侵略したかを問うのは無意味だとする(ブルース・カミングス『朝鮮戦争の起源』。なお、↑Wiki日本語版の記述は①に偏っているので要注意)。

 

 しかし、私は③にも疑問がある。曲がりなりにも「韓国」という政府が実効支配していた 1945-50年の「南」を、アナーキーな「内戦」状態と決められるだろうか(局地的なゲリラ活動はあったが)。そればかりではない。「連合国」の分裂・イデオロギー戦という外的要因を脇において、「分断」を、もっぱら朝鮮社会の「自生的発展」のように見なしてしまう史観(極論すると「自己責任」論に行き着く)は、はたして朝鮮人・韓国人にとって受け入れうるものなのだろうか。そこに根本的な疑問がある。

 

 私は、《朝鮮戦争》に発展した「内戦」とは、朝鮮半島の「内戦」ではなく、中国の《国共内戦》だったと見たほうがよいように思う。

 

 

 1945年、日本の無条件降伏・撤退とともに、中国では国民党軍と共産党・人民解放軍のあいだで《国共内戦》が開始された。1949年に人民解放軍の勝利によって終結した・この《国共内戦》には、多数の朝鮮人兵士が参戦していた。

 

 国民党側では、おもに日本の学徒徴兵によって中国戦線に送られた朝鮮人学徒兵らが投降して、独自の部隊を編成していた。しかし、彼らの多くは《内戦》以前に韓国に帰国したようだ。彼らの一部は、中国に連れて来られていた朝鮮人慰安婦を救出して帰国させるなどの活動をしている。帰国した学徒兵は、韓国軍と韓国政府の中枢を形成した。

 

 他方、共産党指導下の人民解放軍には、“満洲”を中心に中国人兵士の1割にも及ぶ朝鮮族兵士が参加していた。中国共産党の根拠地・延安には、彼らの中枢部として『朝鮮独立同盟』がおかれていた。中国の《内戦》終結とともに、中共指導部は、平壌の金日成の要請に応じて、彼らを朝鮮半島に送り、その大部分は、翌年の《朝鮮戦争》勃発とともに南に進軍した。彼らの意識においては、中国の《国共内戦》《朝鮮戦争》は、連続した一つの解放戦争だった。

 まもなく、南からマッカーサーの米軍――名義上は「国連軍」――が反攻に出ると、中国・人民解放軍自身も、「義勇軍」という名の精鋭部隊を組織して朝鮮半島に派遣し、《朝鮮戦争》は事実上、中国とアメリカの間の戦争となった。

 

 

 

「満洲の朝鮮族は国共内戦に兵士を出して、解放区としてこの内戦を支えていたのだが、この人々はまた『南朝鮮人民抗争』〔韓国支配域でのゲリラ抗争〕をも支援していた。……

 こんにち延辺朝鮮族自治州を訪れると、村毎に革命烈士記念碑〔戦死者の追悼碑〕が立てられている。……

 『抗日戦死』とは東北抗日聯軍に参加して死んだ人であり、『中国戦死』とは国共内戦で東北野戦軍に参加して死んだ人であり、『朝鮮戦死』とは朝鮮戦争で中国人民志願軍か、朝鮮人民軍に参加して死んだ人である。この3種類の死者がひとつながりの『革命烈士』として祭られているのである。いくつかの碑を見た印象では『朝鮮戦死』がもっとも多いようであった。

 また、延辺朝鮮民族博物館の国共内戦のコーナーには、この戦争に参加したある朝鮮族の兵士の絵日記が展示されている。私が参観したとき、開かれている頁は朝鮮戦争開始の部分であった。……中国共産党の指導下に蒋介石軍を相手として戦ったことと、朝鮮戦争の先陣を切ってソウルへ突撃することとは、この人にとって一つながりのことだった。

 ……中国共産党の指導者は、〔日本が撤退したあとの〕朝鮮の事態をどう見ていたのか。……〔《国共内戦》当時から中共指導部では〕アメリカとの軍事的衝突がたえず警戒されており、ある意味では不可避であると意識されていたこと、そして〔中国本土ではなく〕朝鮮で戦ったのは、中国にとって最も有利な成行きであった……

 

 1958年2月17日、周恩来が朝鮮から撤兵した人民志願軍の幹部大会で語った……

 

 『われわれと米帝国主義が力くらべをするのは不可避であった。問題はどの地域を選択するかということである。……帝国主義は朝鮮を戦場と決定した。これはわれわれには有利だった。われわれは抗米援朝を決定した。……』

 

 ……中国革命がその基本勝利後、さらに拡大していって、アメリカと衝突するにいたる歴史的宿命とでもいったものが中国革命の指導者に感知されていたとみることができる

和田春樹『朝鮮戦争』,1995,岩波書店,pp.27-33.

 

 


延辺朝鮮族自治州の位置
 

 

 

 いま、中国の習近平指導部が「抗米援朝」をしきりに唱え、北朝鮮が、これに全面的に応じて唱和しているのは、この、中・朝一体化していた抗日戦争→《国共内戦》→《朝鮮戦争》の時代の記憶を再現実化しようとするものだと言える。

 しかし、こんにち中・朝が、地上戦による「武力南侵」に出る可能性は、きわめて低い。中・朝の“一体化”がめざすところは、一に外交上の「抗米」であり、二に、「核」をふくむ海空の軍備増強、示威、偵察、
訓練を通じた周辺国への威嚇と対米バランスの追求だろう。

 したがって、この情勢に対抗するには、米国側も、中・朝一体化した外交戦略を組まねばならない。北朝鮮だけを相手に「非核化」交渉を行なおうとしても、進展は無いかもしれない。中国との貿易紛争を激化させながら、北朝鮮との交渉は有利にまとめようとするトランプ政権の戦略は、成功の見込みがないだろう。

 

 逆に、中国側の意向を考えてみると、中国共産党の指導者は《朝鮮戦争》の経験から、アメリカと戦う土俵として朝鮮は有利だ、という認識をもっているようだ。これは、戦闘が外交抗争に変った今でも生きているのではないか。もし米側が抗争の舞台を「北朝鮮」に誘導すれば、中国は応じて来るように思われる。私たち周辺国の立場で見ても、たとえば台湾海峡に米中の対立が集中するよりも、朝鮮半島で解決するほうが、平和裏に推移する期待を持てるだろう。危機に対するクッションが、より多くそなわっているからだ。

 「非核化」交渉に、何らかのかたちで中国を参加させることは、必須の条件となった。場合によっては、アメリカは中国との均衡を取るために、自らも「核」軍縮に応じなければならないかもしれない。それは、トランプの共和党にとっては、ありえないことだ。バイデン政権となった場合に、バイデンがそこまで理解して米国民を納得させることができれば、北朝鮮の「非核化」は一挙に進むのではないだろうか。

 

 

 


延辺朝鮮族自治州 長白山北斜面
 

 

 

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