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        龍 安 寺

 

 

 どのくらゐまへのことだったらう

 ぼくらは雲取越えから熊野へ旅してゐた

 巨きな家の破風屋根の向かうから

 鳶が一羽はねをいっぱいにひろげて

 浮きあがるやうに上昇する

 ゆるゆると旋回しながら破風屋根の高さをこえ

 山の高さをこえて眠るやうに揚がってゆく。

 

 ――頬にかかれる蓬髪を

    無心に払ふきみの指

    顎にかかれる滴髪(しづくがみ)

    おもはず延ぶるわが手指――

 

 湯は膝にも届かない千人露天風呂の端(はし)

 平(たいら)かな胸と胸を合はせて口づけするぼくらを

 粗野な子どもたちが囃したてた

 満場の観客に事欠かない

 あの晴れがましい披露の庭でのことなのだ。


 

 


 



 宵の静かな寺院の庭 

 月が照らす蒼(あを)の帷(とばり) 

 昼の無遠慮な喧騒は掃き出され

 苔と水藻がしっとりと光る沼、汀(みぎは) 

 並んで座るはだしの膝とゆび; 

 ……きみが歩いてくるのがわかる。

 

 ――頬にかかれる蓬髪を

    無心に払ふきみの指 

    顎にかかれる滴髪 

    おもはず延ぶるわが手指――

 

 ひとりでゐても 

 きみが後ろから歩いてくるのがわかる 

 きっときみはいまでも歩いてゐる 

 喪(わか)れてしまったいまとなっても変はることはなく 

 人と交はす言葉は失なっても屹立する精神に棘はなく 

 ぼくの眼にふれぬ後ろから歩いてくるその視線にうながされ 

 ぼくも歩きださうかと池の縁(ふち)をみつめてゐる 

 宵の静かな寺院の庭 

 月が照らす蒼の帷にうまゐして 

 きみが歩いてくる執拗な夢に魘(うな)されてゐる。


 


 

 

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