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沼津アルプス~沼津奥アルプス

 

 

 

 最初に、前回のさいごの部分に2点を追加。

1 「中将宮」のところで触れた“戦闘に耐えない女装少年”平敦盛の戦死については、こちら(⇒:荒川の碧き流れに(1) 熊谷)で『平家物語』の該当箇所の引用・現代語訳を出しているので、興味ある方は参照されたい。敦盛の墓は長岡京だが、対戦相手だった熊谷直実の故郷・埼玉県熊谷市・熊谷寺に追善碑がある。

2 「鷲頭神社」の由緒書きの写真を、もう少し解読できた。

 文明元年(1469年)に伊予国から「高龗神」を勧請し、同18年頃に鷲頭山頂に遷宮。清水港の漁師らも参拝に来て賑わった、とある。関西圏を跳び越して伊予からというのに驚くが、松山市に「三島大明神社」があって、「高竈龍神」を祭神としている。「高龗神」または「高竈龍神」は水神で、雨乞いの神。出雲大社の龍蛇神(ヤマタノオロチ?)の別名とも云う。雨乞いだけでなく、水供給一般を司るらしく、「鷲頭神社」の由緒書きでも、勧請の動機は、旱魃・水害対策だったとする。狩野川の水害にも悩まされていたのだろう。

 明治7年に山麓の村社に合祀、山頂の旧座を奥宮とする。これは、明治初年のいわゆる「廃仏毀釈」の一環。「廃仏毀釈」は、仏教寺院だけをターゲットにしたのではない。天皇制による国民精神の一元管理を目的とした改革であって、寺院以上に、江戸時代までの民衆の心をとらえていた津々浦々の“産土
(うぶすな)社”を廃し、国家支配下の神社系列に統合すること(神社合祀)に力を注いだ(安丸良夫『神々の明治維新』岩波新書)。多くの地方で路傍の石仏が破壊・撤去された。神社合祀には、南方熊楠が猛烈に反対している。

 関西圏を跳び越して四国からの水神勧請といい、「中将宮」の重衡逃亡伝説といい、戦国時代には、関西圏中心の日本史とは別の、“海”でつながった世界が開けていたのかもしれない。

 

 

 

 さて、「鷲頭山」から東は、上り下りとも急坂が増え、岩がちになる。しかし、地元山岳会が設置したトラロープのおかげで、迷い道に踏み込む危険もなく、安心して歩けるのはありがたい。

 下り坂の途中で、↓北側の展望が開けた。空は雲が減って、明るくなってきた。左の2つ並んだ山は箱根。二子山と駒ヶ岳か。
 

 

 

 多比峠、多比口峠を経て、ふたたび急坂を大平山へ昇る。岩に石段が刻まれている箇所もある。古くからの参道なのだろう。
 

 

 

 

 雲がしりぞいて、富士山が顔を出した。
 

 

 

 「大平山」 356メートル。展望はないが、ここでお昼にする。
 

 

 

 大平山からの下りで、行く手の尾根を見渡せる場所があった。急な下り坂の連続と見える。
 

 

 

 

 北方に張る新城尾根↓。まもなく、尾根伝いのエスケープ・ルートが分岐する。
 

 

 

 

 巨岩をトラロープで登る。このでこぼこの岩は、集塊凝灰岩だろう。凝灰岩は、火山灰が固まった岩石だが、そのなかに火山弾や火山礫が混じっている。滑らないのはよいが、もろくて、風化すると崩れやすい。
 

 

 

 

 「新城尾根分岐点」。でこぼこ岩が寄り合うピークの上だ。
 

 

 

 

 急坂に気をとられて、ウバメガシをすっかり忘れていたことに気づく。ここにもウバメガシがあるので、1枚撮っておく。シラカシなどと違って、幅広い葉なので見分けやすい。
 

 

 

 

 ↓でこぼこ岩はなくなったが、とがった岩だらけの尾根がつづく。たぶん凝灰岩。
 

 

 

 

 南方の葛城山方面を見はるかす。
 

 

 

 

 「大嵐山」 192m に到着。別名「日守山」。ひもりやま公園の柵を乗り越えて中に入る。
 

 

 

 

 柵のおもてに回ると、こんな注意書きが。踏破したあとで言われても困る。裏に、「所有者様に謝罪して来い」とでも書いておくとよい。

 

 

 

 「大嵐山」頂から。富士山も、だいぶ晴れてきた。左下は、狩野川。
 

 

 

 

 「大嵐山」頂から、歩いて来たほうを振り返る。高いのが大平山と鷲頭山だろう。
 

 

 

 

 下り道。ヒガンバナには白花のもあるようだ。
 

 

 

 

 ややっ! 大失敗。調子に乗って下りて来たら、縦走路から外れて、ふもとの公園入口に出てしまった。しかたない。大嵐山から先は、いつかリベンジしよう。
 

 

 

 

 狩野川の土手の上を石堂橋へ。油のように流れる河水を見下ろしながらの散歩も、なかなかよい。

 ↓石堂橋。天城連山がよく見える。空はすっかり晴れた。


 



 石堂橋上から川を見ると↓、岸辺にツルがいる。はじめは置き物かと思ったが、生きて動いている。マナヅルだろうか。カメラを構えているあいだに飛んで行ってしまって撮影できず。
 

 

 

 

 

   黄鶴樓    (唐 崔顥)

 昔人已乗白雲去
 此地空餘黄鶴樓
 黄鶴一去不復返
 白雲千載空悠悠



 昔人已に 白雲に乗じて去り
 此の地空しく餘す 黄鶴樓
 黄鶴一たび去って 復返らず
 白雲千載 空しく悠悠

 いにしえ 武漢の酒家に
 襤褸纏う 仙人来り
 快く ふるまうあるじ
 客 礼に黄鶴描く
 手を打てば 鶴舞い踊る
 評立ちて 千客集う
 積富の果て 老いの仙人
 鶴に乗り いづくへか去る
 人は飛び 鶴は還らず
 たたなづく 白雲のまに





 

タイムレコード 20200919
 志下坂峠登り口0910 - 0924志下坂峠 - 0935志下山0938 - 0949志下峠1000 - 1003中将宮1015 - 1021小鷲頭山1050 - 1200多比峠1203 - 1215大平山1250 - 1315山口分岐 - 1340新城分岐1355 - 1435大嵐山1500 - 1516日守山公園入口1522 - 1545石堂橋東詰