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       晩 夏

 晩
(おそ)い夏がそれでもまだ甘ったるい

 熱にあふれた日々を送ってくる。傘形のシシウドの花〔※〕の向うから

 こちらにまたあちらに、くたびれたように翅をうごかして

 一羽の蝶が漂い、ビロードの黄金(きん)を閃(ひらめ)かす。

 

 夜と朝が薄い霧の混じった呼気(いき)を吐く、
 その湿り気はまだ温
(ぬく)い。
 桑の樹
(き)からいきなりぽっと灯(とも)って
 黄色く大きな一枚の葉が淡
(あわ)色の空へ舞い上がる。

 トカゲが石の上で日なたぼっこ、
 葉の影に葡萄の房が身を隠す、
 世界は魔法をかけられたように眠りこむ、夢を
 みる、起すんじゃないぞと君に警告している。

 すると時おり長い時間拍子を打って音楽が
 流れる、金色
(こんじき)の永劫を見つめ、
 ついには魔法の眠りから身をもぎ離し
 生成の気力と現実を取りもどして目を覚ますのだ。

 われら老人は葡萄垣
(ぶどうがき)〔※〕に立って収穫し
 日に焼けた手を暖める。
 日はまだ笑っている、まだ沈みはしない、
 立ち止まって、今日・此処での儚
(はかな)い喜びを与えてくれる。


散形(傘形)花序(Blumendolde):
 花軸(かじく)が非常に短く、一点から放射状に花柄(かへい)が伸びているように見える花序のこと。ネギ、ニラ、ギガンチューム、ヤツデ、ヒガンバナ、ウド、セリ科植物など。
 ここでは、日本の高原や北日本の秋に特徴的なミヤマシシウド(↓下写真)などセリ科の花序をイメージして訳しました。

葡萄垣(Spalier):
 ブドウを、棚仕立てで栽培する中国、日本とは違って、ヨーロッパでは、地面に立てた杭の間に張った垂直の網に蔓をはわせる生垣仕立てがふつうです。

 



ミヤマシシウド

尾瀬マウンテンガイド (https://mountain-guide.jp/)

 

 

ドヴォルザーク『交響曲 第1番 ハ長調“ズロニツェの鐘”』から
第1楽章 マエストーソ‐アレグロ
ラファエル・クベリーク/指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 


 ドヴォルザークの交響曲といえば、第9番『新世界から』が飛びぬけて有名で、ほかの交響曲は聞いたことがないという人も多いのではないかと思います。

 じっさい、交響曲1番から4番までは、生前に出版されることなく、ドヴォルザークの死後しばらくのあいだは、現在の6番が1番と呼ばれ、『新世界』交響曲は5番と呼ばれていたほどです。

 とくに、↑この第1番は数奇な運命をたどりました。ドヴォルザークは、1865年、プラハのオーケストラのヴィオラ奏者をしていた時に作曲して、ドイツのコンクールに応募したのですが、落選し、送ったスコア(オーケストラ用の譜面)は戻ってきませんでした。そのため、ドヴォルザーク自身、この曲のことは忘れてしまっていたようです。もちろん、生前に演奏されたことはありませんでした。コピーのない時代には、今では考えられないようなことが起こるんですね。

 ところが、1923年にチェコの歴史学者の遺品の中から、そのスコアが発見されました。ドイツのコンクールから、いったいどうやって、この歴史学者の遺品にまぎれこんだのかは、まったくの謎です。

 当時は、チェコは独立しており、国民的音楽家としてドヴォルザークの名声も高まっていたことから、1936年には、モラヴィア(チェコ東部)都市ブルノで、国立劇場管弦楽団による初演も行なわれました。しかし、どういうわけか、この歴史学者の遺族が、スコアの所有権を主張して出版に反対したために、第1交響曲は、ふたたび地に埋もれることになってしまったのです。

 結局、第2次大戦後の 1961年にようやく『第1番』のスコアが出版され、チェコ内外のオーケストラによる演奏が可能になったのでした。


「ズロニツェ(Zlonice)はプラハの西方にある町で、ドヴォルザークが家業の肉屋を継ぐための修業で少年時代をここで過ごし、また彼が初めて音楽の勉強をした町である。」

Wiki:「交響曲第1番 (ドヴォルザーク)」
 

 


 さて、ドヴォルザークの交響曲のなかで人気があるのは、『新世界』以外では、7番と8番だそうです。私の個人的な好みを言いますと、↑この1番8番が気に入っています。

 1番は、プラハのオーケストラで、一楽団員としてスメタナの指導を受けていた頃の作品。その後、ドヴォルザークは、ウィーンのコンクールに応募して入選し、ブラームスの庇護のもと、ドイツ音楽の強い影響を受けるようになります。

 しかし、8番になるとブラームスの影響からも脱して、ドヴォルザーク独自の、チェコ郷土色の強い音楽になってゆくと言われます。次の9番『新世界』は、チェコというより、滞在先の北アメリカの風物とネイティヴ・アメリカン(インディアン)民謡の影響なしには考えられない作品です。

 したがって、1番8番には、もっともドヴォルザーク独自のチェコ民族色が現れているのかもしれません。別に、そんなことを考えて好きになったわけではありませんが、1番8番は、何度聞いても新たな感動がある作品です。



交響曲第8番ト長調作品88。

 第7番以前の交響曲にはブラームスの影響が強く見られ、また第9番『新世界より』ではアメリカ滞在のあいだに聞いた音楽から大きく影響を受けているため、この交響曲第8番は「チェコの作曲家」ドヴォルザークの最も重要な作品として位置づけることができる。ボヘミア(チェコ)的なのどかで明るい田園的な印象が特徴的で、知名度の点では第9番には及ばないものの、第7番などと同様に人気のある交響曲である。

 第3楽章 Allegretto grazioso - Molto vivace

 全曲中最も有名。3拍子の舞曲で、スケルツォではなくワルツ風である。中間部の旋律は、歌劇『がんこな連中』からとられたものであり、ト長調4拍子となる力強いコーダ(楽章の終結部)もまた同じ素材を元にしている。

 第4楽章 Allegro ma non troppo

 トランペットによるファンファーレの導入のあと、ティンパニのソロがあり、チェロによって主題が静かにゆっくりと提示される。ゆっくりのままで何度か変奏されたのち、次は力強く速く変奏される。ここではホルンのトリルが特徴的である。

 新潟大学准教授の宇野哲之は、第4楽章はボヘミア独立の英雄を描いており、チェロで奏される第1主題が英雄の勇気と慈悲を表すテーマ、第2主題はメフテルの形式からなっており、これは当時『トルコ軍楽隊』と呼ばれていたオーストリア軍楽隊、すなわちボヘミアを支配していたハプスブルク帝国を表しているという説を発表している。」

Wiki:「交響曲第8番 (ドヴォルザーク)」
 

 

ドヴォルザーク『交響曲 第8番 ト長調』から
第3楽章 アレグレット・グラツィオーソ‐モルト・ヴィヴァーチェ
ジョージ・セル/指揮
クリーヴランド管弦楽団

 

 



 


 

ドヴォルザーク『交響曲 第8番 ト長調』から
第4楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ
クラウディオ・アバド/指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 


 最後は、↓『スラヴ舞曲集』から、おなじみ(!)のナンバー。

 

ドヴォルザーク『スラヴ舞曲集 第2集 作品72』から
第2番 ホ短調 アレグレット・グラツィオーソ
ジョージ・セル/指揮
クリーヴランド管弦楽団

 




      9月の真昼

 青い一日が一刻
(いっとき)立ち止まる
 高みで一息ついている、
 やつの光があらゆるものをつつんで止まらせる、
 人は夢を見ているかもしれない:
 その影もない世界は、
 青と黄金
(きん)のなかを揺られつつ、
 仄かな香りと熟した平穏のほかに何もないかのように。

 ――もしもこの映像にひとつの影が落ちたら!――

 と、君が思うやいなや、
 黄金色
(きんいろ)の刻(とき)
 そのふわふわした夢から目覚め、
 色褪
(あ)せてしまう、静まって笑う、
 辺りでは日の光が冷めてきた。



 

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