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夏と秋のあいだ


 

 関東では、夏と秋のあいだに、どちらでもない季節がある。

 太陽は、もう夏の輝きを失っている。しかし、樹々の葉はまだ色づかない。ブナの高い梢に、ちぢれた硬い葉が密集するのも、このころだ。アルプスにも花はなく、一面の草紅葉だ。厚ぼったい硬い木の葉と、黄色く枯れて丈高い草、シシウドの白い花序をこよなく愛する山旅人などは、めったにいないだろう。

 人間にとっては、つまらない季節だが、草木と虫にとっては、どうだろうか? 夏の渇水と過剰な日射からも、秋枯れの残酷な襲来からも護られた、つかのまの生命の季節ではないのだろうか?

 8年間の虚偽の上に君臨した迷惑なトップがついに音を上げた日。哀惜の美辞の虚飾をまとった凱歌と安堵の声が世界を駆け巡るなか、わたしも心底から湧きあがる生気を感じて、どこでもよいから出かけたくなった。

 小学校のころ、先生に引率された山路を、またたどってみたくなった。ほんの2時間程度の楽な下り道だと記憶していたのだが。。。

 

 

御岳神社~大楢峠~城山~鳩ノ巣 (約3時間) 2020.08.29.

 

 

 

 

 ややっ! 山道に入ると、さっそくこのざまだ。

 

 去年の台風で、道が崩れたらしい。しかし、たいしたことはない。ほんの 10メートル程度の区間。むしろ、「通行止め」のおかげで、うるさい観光客がこっちに来なくなるのは、幸い中の幸い。

 

 

 

 崩壊の向こう側の道は、ちゃんとしているではないか。

 

 しかし、用心して、高巻きで崩壊を越える。すでに、おおぜい通過しているらしく、高巻きの踏み跡は、しっかりしている。

 

 

 

 崩壊は、どうということはなかった。その後は、倒木が何度か道をふさいでいるだけだった。よく整備された道だ。桟道も、保守が行き届いている。まったく危険はない。そして、うるさい集団ハイカーもいない。

 

 

 

 

 杉植林の間伐がゆきとどいているのもありがたい。木漏れ日が快い。といっても、むし暑いのは日なたと変わりないが。

 

 しかし、小学校で先生に引率されたのは、ほんとうにこの道だったろうかと疑問になった。先生は、オリンピックの元陸上選手だったが、50人の小学生を一人で引率していた。写真左側は、谷底まで 300メートル以上の急崖だ。しかも、恐かった記憶がまったくないのだ。

 

 おそらく、当時はもっと幅広い道だった。御岳神社の参道として整備されていたにちがいない。台風で何度も崩壊して、造り直すたびに道幅が狭くなってしまったのだろう。今は、神社もこの道を参道として認めていない。

 

 この後、大楢峠で、2度目の「通行止め」に出会った。そこでもう、崩壊しかけている山腹の道を行くのはやめて、尾根筋を歩くことにした。

 

 尾根には、登山地図にも、25000分の1にも、道はないが、「城山」というピークに三角点があり、そこから少し降りたところに高圧電線の鉄塔がある。鉄塔からは、電力会社の巡視員が使う作業道が麓まで伸びているはずだ。

 

 

 

 ↑高圧線鉄塔から、「城山」を振り返る。

 

 尾根には踏み跡が付いていたが、それなり手応えのあるヴァリエーション・ルートだった。山の神の祠があった。ただし、展望は皆無。

 

 

 

 ↑御岳方面が少し見える。左端のピークが奥の院か。

 

 

 

 鉄塔から下る途中、巨きな岩があった。観察する余裕がなかったが、結晶質のようだ。石灰岩(大理石)のレンズ状岩塊だろうか。

 

 

 

 多摩川渓谷側に降り立った。下方の集落は鳩ノ巣。遠方に川乗山が見える。

 

 

 

 つり橋で多摩川を渡る。 ↓川べりも暑そうだ。

 



 

 

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