近藤洋逸『新幾何学思想史』
もう絶版になっている本なので、図書館で借りて読んだ。
非ユークリッド幾何学について、はじめて納得できる説明をしてもらった気がする。われわれの住んでいる宇宙空間は、ユークリッド的なのか、非ユークリッド的なのか? この本に出会うまでは確信がもてなかった。ただし、数学的な説明も初等幾何学的な説明もないので、それが必要な人は、たとえば遠山啓の入門書:
などで補う必要がある。↑この本もお勧め(書店で入手可能)。遠山啓氏は、フランス構造主義のブルバギ学派のもとで研究した人。
ユークリッド空間(三次元、無限、一様)の絶対性を突き破った非ユークリッド幾何学の成立は、カントのアプリオリズム(経験や実験を超越した絶対的真理が存在するという考え方)に破綻を宣告するもので、現代の数学と新しい幾何学は、経験主義的な態度によってこそ開かれた―――というのが著者の考え方であり、この本の結論であるようだ。
数学者ガウスは、「三角形の内角の和は2直角」かどうかを、広域測量によって確かめようとしたほどの経験論者だった。彼は、ユークリッド幾何学の立場に立ちながらも、その公理系の不完全さを指摘し、概念の明確化、公理の定式化の必要を語った。(p.301) そこから、非ユークリッド幾何学までは、わずかな一歩だった。
ところが、カントの「合理論的なアプリオリズムは、公理を自明な真理に祭りあげ固定化したために、非ユークリッド幾何学の確立に対してブレーキの役割をはたし、公理の仮説化を妨げ」た。公理は真理ではなく仮説にすぎない。このことを理解できたのは、当時の数学者のなかで経験論に立つ少数派だけだった。
「経験論者ならぬカント」は、「公理のアプリオリな直観的構成を主張し、公理をアプリオリな真理として固定した……〔カントは、空間・時間を、対象の側ではなく、我々認識主体の側の「感性のアプリオリな形式」であるとした。―――ギトン注〕
経験的所与の複雑さに注目し、それに有効に対処するためには、……構成されたさまざまな理論が必要であり、従って数学は経験的所与に根ざしながらも高度の相対的独立性をもっているという洞察をもった経験主義が、数学の発展に、そうしてまた現代の公理論の進展にも役立つのである。」(pp.304-305.)
アインシュタインの一般相対性理論は、幾何学的表現としては、すでに1世紀前にリーマンによって提唱されていた。しかし、20世紀の哲学者には、リーマン幾何学をはじめとする非ユークリッド幾何学を理解できる者はほとんどいなかった。バートランド・ラッセルさえ、曲率可変のリーマン空間までは理解できなかった(現実にはありえないと考えていた)。リーマンは、空間の曲率は場所によって異なり、それはそこに存在する物質の影響を受けて決まるとしていた。これはまさに、アインシュタインの一般相対性理論の宇宙だ。それは、まもなく日蝕の観測によって(つまり「実験」によって)証明された。
カッシーラーは、20世紀前半までの哲学者で唯一、曲率可変の非ユークリッド空間を認めた。「空間そのものは計量的には無定形であるとして可変曲率のものをも認めたのはカッシーラーである。新カント学派に属しながらも、新幾何学に対して最もすぐれた解釈をもっていた彼に対しては敬意を表しておくべきであろう。」(p.308)
ガウスの「実験」は失敗した。彼は、ユークリッドの公理を「実験」で確かめようとしたが、確かめることができなかった。人びとは、ガウスの数学的業績に敬意を払いつつ、数学の公理を証明しようという「実験」を嘲笑った。しかし、約2世紀後にアインシュタインは成功を収めた。非ユークリッド空間(リーマン空間)を「実験」で確かめたのだ。
宇宙空間は、カッシーラーのいうように「無定形」 ではないが、おそらく非常に複雑なものなのだ。「曲率が可変的」ということは、空間が、でこぼこしているということだ。ブラック・ホールを考えてみればわかる。
アインシュタインの一般相対性理論は、実験的方法によって、現実と矛盾しないことが証明されたが、幾何学的表現としては、その1世紀前にリーマンによって提唱されていた。カントが、宇宙空間の性質を、絶対的アプリオリに認識されるものとしたのは無理なことで、カントのいう「アプリオリな感性形式」の具体的内容は、当時の物理学の発展段階(ニュートン)に制約されている。
じっさいの宇宙空間に対しては、ずっと高度なモデルが必要なことは明らかで、しかも、単一の体系ではなく複数の競合的モデルが必要なのだろう。なぜなら、体系というものがそもそも、公理に基づくものだからだ。すべての科学体系は、アリストテレス論理学に基く公理系であるほかない。ユークリッド幾何学との違いは、科学体系のほうは「実験」によって証明されているという一点のほかにない。 最近では、アリストテレス論理とは異なる・量子論理などの研究が始まっているが、この分野はまだ曙光の段階だ。しかも、量子論理もやはり、公理系であって、アリストテレスとは異なる公理に基いている。
しかし逆に、仏教哲学のような、非論理が真であるとしてそこで行きどまってしまうような方法では、何も解明できないこともまた、明らかだ。
それでは、最初の質問の《答え》を書いておこう。
―――われわれの住んでいる空間は、ユークリッド空間なのか、非ユークリッド空間なのか?
非ユークリッド空間のなかの《曲率可変・リーマン空間》である、と現時点では言える。しかし、今後の人知の発展によって、《曲率可変・リーマン空間》よりもっと複雑な空間であることが証明されることはありうるし、それどころか、複数の《空間》モデルの競合(AでもあるしBでもある)によってはじめて理解されるものであるかもしれない。もっとも、われわれが地球上で暮しているかぎりは、ユークリッド空間だと思っていても支障はない。地上で暮すかぎり、天動説を信じていても支障はないのと同じように。
抄録を作り終ったので、かんたんなレビューを書いてみました。
「非ユークリッド幾何学の数学的な理屈はざっくりわかったつもりだが、それなのに、‥何というか、ピンとこない」とか、「何が納得できないのか、うまく言えないが、とにかく納得できない」とか、「数学者ってのは、どうしてこんな屁理屈をこねて偉そうにしてられるのか、わからない」とか、とても数学の先生には持ちこめない疑問をかかえている人には、ぜひ一読を勧めたい本です。
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