1908年3月 直哉と弴は、夜行列車で関西の旅へ。
暴風雨と塵埃にまみれた15日間のあと
「君と私の間は目に見えて近づいて来た」
↓こちらにレビューを書いてみました。
志賀直哉と里見弴―――
―――同性の愛慾と葛藤(4)
里見弴と4歳年上の志賀直哉との同性愛
♪カチューシャ可愛や
別れのつらさ
大正期の日本で、この唄が風靡したのも
“若様と女中の人目を忍ぶ関係”が
当時けっして珍しいことではなかったからです。
帝国ロシアの社会悪を告発する
トルストイ『復活』の烈しい筆致も、
里見弴にとっては、己が肉を切り刻む
劫罰の刃でした。
晩年の里見弴が瀬戸内寂聴に語った
ところによれば、「純潔も人生もお終いだ」
と泣く19歳の弴に、彼を犯した40代の女中は
「泣くほどのことじゃないだろ」
と人ごとのようにうそぶいたそうです。
自刹を試みて果たさず、
身の置きどころもなくなり、
誰にも言えない秘密をかかえて
自宅と友人たちのあいだをさまよう
弴が、ただ一人、救いをもとめて頼ろうとした
相手が志賀直哉だったのは偶然ではない。
しかし、その直哉にも、いくどか告白しようとして
果たせず、女中との関係も断ち切れない
煩悶の日々は何年にもわたって続きます。。