失われた響き
いつか子供のころ
わたしは野原を歩いていた、
朝の風にしずかにはこばれて
ある歌声がとどいてきた、
青い空気の音色、
または香り、花のような、
甘い芳香が永遠のなかで
ひびいていた、
わたしが子供であるかぎりずっと。
その音は聞こえなくなっていたが‐
いまようやくこの数日というもの
わたしは胸の奥にふたたび
隠されて打つその響きを知る。
いま世界のすべてはわたしには単調にすぎ
幸せな人々と役割を交換したいと思わない、
わたしはただ耳を澄ましていたい、
芳(かぐわ)しい音色がひびいてゆくさまに、
耳を澄まして静かに立っていたい、
それが昔聴いた響きであろうとなかろうと。
東京と近県に緊急事態宣言があった夜半過ぎ、私の町に耳慣れない梵鐘が響いていました。まるで除夜の鐘のように、ゆっくりと間隔をあけて響きわたる低い音に、近くにお寺などあっただろうかと耳を疑いました。政府も県知事も、コロナ退散の祈祷をせよとは要請していないはずですが、お寺の考えで鳴らしたのでしょう。
どこのお寺なのか、音のするほうへ行ってみたい衝動にかられましたが、外に出た時には、鐘は鳴りやんでいました。
シューベルト『白鳥の歌』から
「ドッペルゲンガー」
ハインリヒ・ハイネ/詩
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ/バリトン
「大都会のせまい往来で、夕方お日様が沈んで、雲が空高く煙突と煙突のあいだに金色に輝くころ、この人の耳に、またあの人の耳に、というように時おり、不思議な音が聞こえてきました。それは教会の鐘の音のようでしたが、誰の耳にも、ほんの一瞬しか聞こえないのでした。〔…〕
郊外の、あまり家の立てこんでいない、家と家のあいだに庭やちんまりした畑のあるところでは、夕焼けの空もまずまず美しく見えましたし、鐘の音もずっとはっきりと聞こえました。そこで聞くと、それは静かな、むせるような木の香りのする奥にあるお寺から響いてくるようでした。みんなはその方角を眺めて、おごそかな心持になるのでした。〔…〕誰言うとなく、『どうもあの森の中にお寺があるようだね。あの鐘の音色はいかにも美しい。ひとつ出かけて行って、正体を見届けようじゃないか。』こう言って、お金のある人は馬車で、まずしい人は歩いて出かけました。」
H=C・アンデルセン「鐘」:大畑末吉・訳『完訳 アンデルセン童話集 2』,岩波文庫 + 楠山正雄・訳『アンデルセン童話全集 第1』,1924,新潮社
町のお菓子屋も付いて行って、森の中に休憩のお茶屋を出したほどでした。
しかし、森の奥はとても深くて、人びとはくたびれてしまい、ついに“お寺”も鐘も見つけることができませんでした。ついには、王さまが、音のありかをたしかめた者に、「世界の鐘つき番」という称号をさずける、というおふれをだしましたが、それでも謎は解けませんでした。
その後、ある年の「堅信礼」(まぁ男女一緒の元服みたいなもの)の日に、式を終えた子供たちが外に出ると……:
「すると森の中から正体のわからない鐘の音が奇妙にはっきりと聞こえてきました。子供たちはさっそく探検に出かけたくなりました。〔…〕子供たちは勇んで出かけました。〔…〕
けれどそのうち一番年下の2人がくたびれて町へ帰りました。女の子2人は座りこんだまま花環を編みはじめて、行かなくなりました。ほかの子供たちは、れいのお菓子屋が茶屋を出した柳の下まで行くと、『さあ、着いたぞ。鐘なんかありゃしないな。ありゃ、ほんとは、みんなが頭の中でこしらえた想像かもしれないよ。』と言いました。そう言うそばから、森の奥でれいの鐘がいかにも澄んだおごそかな音を送って来たものですから、子供たちのうちの5,6人は、もう少し奥まで入ると言いだしました。森はずいぶん深くて、木立ちはしんしんと茂り、〔…〕車葉草やアネモネは伸びすぎるほど高く伸び、花ざかりの昼顔や草苺が長い環につながって、木から木へ垂れさがっている中で、ナイチンゲールは歌を歌うし、日の光がちらちらと面白そうに動いていました。〔…〕」
H=C・アンデルセン「鐘」,:大畑末吉・訳『完訳 アンデルセン童話集 2』,岩波文庫 + 楠山正雄・訳『アンデルセン童話全集 第1』,1924,新潮社
やがて現われた小屋の軒に小さな鐘が吊るしてあるのを見つけました。子供たちは、これが「鐘の音」の正体だと納得しましたが、なかに一人だけ、「これは小さすぎる。とても町までは聞こえない。」という子がいて、その子だけ、さらに奥へ進んで行きました。その子は、王さまの子供でした。
「で、王子が進んで行きますと、だんだん森のさびしさが胸にいっぱい込み上げてくるようでした。けれど、あの鐘の音はやはり聞こえていました。〔…〕重苦しい音は、だんだんと高くはっきりとしてきて、オルガンの伴奏でもついているような具合でした。〔…〕
すると、がさがさという音が草むらの中で聞こえて、ひとりの子供がひょっこり眼の前に現われました。」
H=C・アンデルセン「鐘」,:大畑末吉・訳『完訳 アンデルセン童話集 2』,岩波文庫 + 楠山正雄・訳『アンデルセン童話全集 第1』,1924,新潮社
この子は貧乏人の子で、「堅信礼」のために借りた上着と靴を返しに行っていたので、みんなより遅れて森に入って来たのでした。いまは、ぼろぼろの普段着に木靴をはいていました。
王さまの子は喜んで、いっしょに行こうと言いましたが、貧乏人の子は、ぼろぼろの服装が恥ずかしかったので、王子とは逆の方向を探してみたいと言って、去って行ってしまいました。
王子は、牧場のような草原や、ブナとカシワの大木の森、白鳥のいる湖水などを経て行きますが、まだもっと奥から聞こえてくる鐘の音に向っているうち、ついに陽が沈みかけてきました。
「空一面が火のようにかっと赤くなりました。森の中は神々しいくらい静かでした。〔…〕
『どうしても探すものは見つからない。〔…〕暗い夜になろうとしている。でも、まだすっかり落ちないうちに、円い真赤なお日さまを見られるかもしれない。あの大きな木が立っている一番高い岩の上に登ってみよう。』〔…〕
こう言って、王子はつる草や木の根につかまって、〔…〕岩のてっぺんに登りました。〔…〕
長いうねりを岸にむかって打ちよせている、すばらしい大海原が、目の前にひろがっていました。そして、はるかかなたの、海と空がふれあっているあたりに、お日様が大きな光り輝く聖壇のように浮んでいました。ありとあらゆるものが、もえたつ色のなかへ、とけこんでいました。〔…〕宇宙全体は一つの果てしなく大きな神殿で、木立ちや雲は円柱で、〔…〕天はそのまま丸天井で、やがてお日さまの光が薄れてゆくと、〔…〕何百万という星が光りだして、何百万ものダイヤモンドを燈しました。〔…〕―――そのとたん、右手の道を通って来た、ぼろぼろの服に木靴の貧乏人の子が出てきました。〔…〕
二人はたがいにかけよって手と手をつなぎあいながら、自然と詩の大聖堂のなかに立ちました。頭の上で、眼に見えない聖なる鐘が鳴りだしました。2人の至福の魂は、鐘のまわりを跳び回りながら、歓びのハレルヤを声かぎり歌いました。」
H=C・アンデルセン「鐘」,:大畑末吉・訳『完訳 アンデルセン童話集 2』,岩波文庫 + 楠山正雄・訳『アンデルセン童話全集 第1』,1924,新潮社
王さまの子と貧乏人の子が、正反対の方角へ向って行ったのに、同じ時刻に同じ岩の上に到着するという筋書きは―――しかもそこに作為を感じさせないのが―――アンデルセンならではでしょう。
↓おまけボカロ:
堀江晶太(kemu)『拝啓ドッペルゲンガー』
Gumi/VOCAL
おればなな/VOCALOID EDIT
さて後半は、中央アジア風(トルコ民謡?)で行ってみたいと思います。といっても、カバーと演奏は、スペインのバレンシアに本拠を置くグループです。
手回しオルガンのような楽器は「hurdy gurdy」、バグパイプが「gaida」。「pandero de Peñaparda」という打楽器は、日本の「大つづみ」系のようですね。
The III Project - Kopanitsa
エフレン・ロペス/hurdy gurdy
メイラ・セガル/gaida
ミリアム・エンシナス/pandero de Peñaparda
イザベル・マルティン/pandero de Peñaparda
Hortus deliciarum - live at Valencia, 2016
エフレン・ロペス/hurdy gurdy
メイラ・セガル/gaida
ヨニ・ベン=ドル/davul
春の話し声
子供は誰でも、春の語りかけを知っている:
生きよ、伸びよ、花開け、希め、愛せ、
おのずからの喜びと新たな活動に
身を捧げよ人生を恐るるなかれ!
老いぼれは誰でも、春の語りかけを知っている:
古き人よ、地に埋められてゆくがよい、
おまえの場所を元気な少年たちに明け渡せ、
身を捧げよ死を恐るることなかれ!
よかったらギトンのブログへ⇒:
ギトンのあ~いえばこーゆー記
こちらは自撮り写真帖⇒:
ギトンの Galerie de Tableau