ピーテル・ブリューゲル(父)「雪の中の狩人」(部分)
↓こちらにレビューを書いてみました。
【必読書150】スピノザ『エティカ』(9)―――
―――「理性」とは何故かくもドラマチックなのか?
人が時間の中で生きているとき
見ている世界は、自分の身体にできた「へこみ」
にすぎない。写真乾板に映った死んだ絵、
窓ガラスとともに粉々に砕けてしまう田園風景、
なぜなら人が世界を直接知ることはできないからだ
とスピノザは言う。
自分の身体にできた「へこみ」を
世界だと思って想像している
そこに開示されるのは世界ではなく
人間身体の本性だ
人の似姿のような神々と動物たち‥
人は自分を見ているのだ。
そこに理性が到来する:
理性は人に公理を示し、
「点」「直線」「1」「ゼロ」「運動」
そこからすべてを演繹する。
理性の魔術に人は夢中になるが、
人は生々しい世界から切り離されて
空虚な思考を展開することになる。
スピノザはそんな理性では満足しない。
スピノザの中で愛と憎しみと欲望の感情が
自己主張する。
理性は虚しい思考をやめて身体とともに
世界との交渉に参画する。
第4部・定理59:
「感情がなしうるすべての行為は
理性によってもすることができる。」
理性が感情の依頼を受けて
感情の決定と行為を代行する。
理性が感情を屈服させたのではない
克服したのでもない
ましてどこかから道徳的義務がやってくるのでもない。
「理性の導き」という言い方は
おそらくスピノザの本心ではない。
あふれ出ようとする感情が
理性を先導しているのだ。
理論理性から
《神すなわち自然》の倫理へ。
『エティカ』「第4部」 :
人間の隷従または感情の力について