記憶にまちがえがなければ、
「子孫に美しい日本を残すんだ」と
どこかの国の首相が言ってましたわね?
あれも、選挙めあてのウソだったの? 安倍君!
原発廃止、抑制の関心で来られた方は
ここで、↑リブログ先に飛んでください。
そして、ぜひ拡散してください。
このニュースは、カンジンの日本ではまだ関心薄。
海外のブロガーから指摘されて
目下、声が出始めている状況です。
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私の記事では、ここから、“自然の力と人間”について少しダベリたいと思います(興味のある方以外は、↑リブログ先へ。そっちのほうが緊急 !!)
上関といえば、四国の「伊方原発」の対岸、あいだの瀬戸内海には、《中央構造線》(日本でいちばん大きな活断層)が通っています。上関でやる「ボーリング調査」は、原発予定地の直下だけ調べて、
「活断層はありませんでした」
「安全です。建設OK」
と言うんでしょうけど、
活断層から、どれだけ離れたら「安全」なのかは、まだ誰にもわかっていませんよね?
「原発って、どうして活断層の上に造るんですか?」
と、電力会社の人に聞いたら、
「原発を活断層の上に造ったんじゃない! 活断層が原発の下にあるのが悪いんだ!」
と言ってキレたという笑い話がありますが、
《中央構造線》の東の端は、福島第一原発のすぐそばを通っているそうです。
しかし、原発さえ無ければ、地震ぐらいで大自然が壊れたりはしません。地震は人間にとっては災害ですが、自然にとっては、折り込みずみの痙攣かクシャミのようなものでしょう。
人間の科学が発達しても、まだまだ大自然を制御するどころか、私たちは自然について知らないことだらけです。
そこで気になるのは、最近議論が激しい《地球温暖化》(「気候危機」)の問題です。
わかりやすく、ぼくの(現時点での)結論を先に言ってしまうと、
少なくとも、「2050年排出ゼロ」(CO2の排出≦吸収)という《パリ協定》の目標は、実現すべきです。
すでに工業化をなしとげた先進国(日本も韓国もアメリカも)は、「ゼロ」より多く努力すべきです。放っておけば植物の生える湿潤温暖気候の日本は、「マイナス」にしなければ世界に申し訳が立たない。先住民時代には青々とした森林におおわれていたアメリカ合州国は、みずからが破壊した森林を回復すべきです。ハダカの耕地で大規模農業をやって、輸出して儲けている場合じゃありません。
繰り返しますが、私たちはまだ、自然というものの、ほんの端っこの表面のことしか知らないのです。トゥーンベリさんだって、科学者ではないんだから、自分で研究して確かめたわけではないでしょう。彼女が科学者の結論を、いわば“受け売り”しているのは事実です。しかし、彼女はそれを信じすぎるくらい信じているし、誰かに騙されて信じているわけでもない。ぼくの見立てによれば、そう言えます。
私たちは科学者ではない。世界中の科学者すべてが同じことを言っているわけではない。ほぼ同じことを言っているとしても、それが未来永劫に通用する真理なのかどうか、確かめる手段などありえない。このような場合、私たちは、どうしたらよいのでしょうか?
理科系の人には理科系のやり方があるでしょう。ぼくは、純文科系なので、文科系のやり方で切り込むほかはない。それは、↓つぎのようなアプローチです。
専門家のあいだで意見が分かれている時は、まず、多数説・通説(権威のある説)のほうから、その根拠として主張していることが何なのかを検討します。多数説になっているのは政府が研究費を出しているからだとか、権威があるのはパワーエリートが支持しているからだとかいうことは、あるかもしれませんが、とりあえず考慮の外に置きます(無視するのではありません。のちほど、「反対説」「少数説」の一部として検討します)
《気候危機》に関しては、「多数説」とは、IPCC(政府間パネル)の見解です。それが、科学者の間でも「多数説」だという事実については、異論はないはずです。
つぎに、反対説・少数説を検討します。ここでもやはり、結論が正しいかどうかを、科学者でない私たちが直感的に知ることはできないのですから、根拠として何が主張されているのかを、とことん追及します。反対説・少数説は、日本人のネット・ユーザーの間には溢れていますから、それらにアプローチして、もちろん彼らは科学者ではないのだから、どこのどんな議論を受け売りしているのかを追いかけていくことになります。
ぼくの検討は、始めたばかりで、まだ本格的に主張するつもりはありませんが、現段階を言えば、「多数説」にくらべて「少数説」は、論理矛盾が多く、根拠も薄弱に思われます。もちろんこれはあくまでも“現段階”の見立てです。これから考えが変わるかもしれません。
たとえば、「少数説」のなかには、太陽黒点の観測データをあげて、“温暖化どころか氷河期が来る”と主張しているものがあります。ぼくのこれまでの知識では、太陽黒点の変化と関係している―――と言われているのは、「氷河期」ではなく「小氷期」です。あの「天明・天保の大飢饉」は、「小氷期」だったとされています。当時、海面が後退して、かなり沖合まで陸地だったことは、古文書や埋蔵貝殻の研究で明らかにされています。太平洋側の山林にも残っているブナの大木は、樹齢から見て、その「小氷期」の痕跡です。大木・老木しかないのは、その後に気候が温暖化したからです。
しかし、“「氷河期」が来る”と予言するのであれば、「小氷期」とは比べものにならないほどの膨大な証拠を積みあげなければならない。太陽黒点のデータだけでそれを言うのは、あまりにも杜撰なデマでしょう。
↑最初に書いた“とりあえずの結論”は、こうした検討の結果(まだあまりにも不十分ですが)と、もうひとつ、ぼく自身の一種の“自然感覚”↓によります。
人間はせいぜい 100年程度しか生きられない生物です。大自然の巨きな変化を、直接身に感じることはできないと思います。大自然の変化だと思っているのは、近眼で見た自分のメガネのホコリのようなものでしょう。それなら、もっと長生きする生物に聞いてみるべきです。それには、森へ行って樹木に聴いてみるのがよろしい。さきほどブナの例をあげましたが、樹々が私たちに語る変化の大部分は、人間の活動―――排気ガス、乱開発など―――のせいで生じた短期的な変化です。それらを取り去ってみると、やはり、徐々に温暖化しているという兆候がみられます。寒冷化の兆候は、森の樹々からは読み取れないのです。
さいごに、「通説」に対する疑問(「反対説」ではなく)を記しておきたいと思います。《温暖化》という傾向現象と、《気候危機》という攪乱現象を認めるとしても、①《温暖化》の速度(観測地のヒートアイランド現象の評価など)②《温暖化》と《気候攪乱》の間の関係いかん③今後に加速要因が現れるとしても、減速要因も現われるのではないか、などについて疑問が提起されます。そこで、IPCCの主張をおおむね認めるとしても、もっとゆるやかな対策ではだめなのか、という主張が、科学者の一部からも出ているのです。これについては、私はまだ論じる用意がありません。
しかし、それらの点を勘案しても、《パリ協定》の目標はなお堅持してよいと、現段階では考えている、としか言えません。↑上記のアプローチ方法によって、今後さらに調べていきたいと思っています。
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